慈悲

“両者の違いは、動物の行動にたとえるとわかりやすいでしょう。親鳥は子どもの前でエサを取って見せますが、それを見た雛鳥は、親に倣って自分でエサを取るようになります。つまり、エサを取る自分の姿を子どもに見せることが、結局は子どもを助けること、すなわち教育になる──これが「釈迦の仏教」でいう慈悲です。対して大乗では、たとえば飢えたトラを助けるために「私を食べなさい」とトラの前に身を投げる。それを慈悲だと言うのです。自己犠牲の心ですね。  この、本質的に異なる二種の行動を簡単に「利他」という言葉で一括りにしてしまうため、混乱が生じます。”
NHK 100分 de 名著 『ブッダ 最期のことば』

飢えたトラを助けるために「私を食べなさい」とトラの前に身を投げる
というのはたとえ話としても抵抗がありますね 

進化生物学で言う利他的行動は同時に利己的利益も増進しているものなので
虎の例はそれにはあたらない

自己犠牲を体験してトラが慈悲に目覚めて悟るという道筋もあるだろうが
極端すぎる話