自分は異常であると言明する場合、
一応のこととして、判断する部分と、判断される部分を分けることができる
判断する部分が異常である場合、
言明が異常であるかどうかは判断できない。
判断する部分が正常である場合、
言明は意味を持つことになり、
判断される部分が異常なのかもしれないと考えることになる。
そして、「自分は異常である」とする言明を肯定する限りは、
それを判定した部分に関しては正常であると認定することになる。
このように考えると
自分は異常であると語っている人は自分を判定する部分については正常である
と言わざるをえない。
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判断する部分と判断される部分が同一である場合を
原理的に考えることができるかどうかは微妙だと思う
判断している部分そのものを客体化して観察して判断する事ができるものだろうか