「公権力」と「放送」が結託する不幸

 昨年5月に放送された『クローズアップ現代』(NHK)のやらせ問題について、昨日、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会が意見書をまとめたが、やらせの検証報告以上に注目を集めているのが、BPOが政権からの番組圧力を強く批判したことだ。
《今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである》(意見書より)
 これは今年4月17日、自民党の情報通信戦略調査会が『クロ現』のやらせ疑惑と『報道ステーション』(テレビ朝日)での元経産官僚・古賀茂明氏の発言を問題視してNHKとテレビ朝日の幹部を呼び出し事情聴取、さらに同月28日、両局に高市早苗総務大臣が「厳重注意」とする文書を出した件だ。今回、BPOは、この政権による番組への介入を「圧力そのもの」と明言し、政権の暴走に牽制をかけた格好だ。
 しかも、BPOは意見書のなかで、放送法を盾に圧力をかけた高市総務相を《(放送法は)放送事業者が自らを律するための「倫理規範」であり、総務大臣が個々の放送番組の内容に介入する根拠ではない》と厳しく批判。そもそも放送法の原則を守らなくてはいけないのは放送局や制作者ではなく、《政府などの公権力である》と突きつけている。
《放送法第1条2号は、その時々の政府がその政治的な立場から放送に介入することを防ぐために「放送の不偏不党」を保障し、また、時の政府などが「真実」を曲げるよう圧力をかけるのを封じるために「真実」を保障し、さらに、政府などによる放送内容への規制や干渉を排除するための「自律」を保障しているのである》
《政府がこれらの放送法の規定に依拠して個別番組の内容に介入することは許されない。とりわけ、放送事業者自らが、放送内容の誤りを発見して、自主的にその原因を調査し、再発防止策を検討して、問題を是正しようとしているにもかかわらず、その自律的な行動の過程に行政指導という手段により政府が介入することは、放送法が保障する「自律」を侵害する行為そのものとも言えよう》
 しかし、このBPOの真っ当な声明も、多くのニュース番組では『クロ現』のやらせ問題を大々的に取り上げる一方、政府の番組介入を「圧力」だと批判したことはオマケ扱いになっている。せっかく第三者機関が踏み込んで政府に釘をさしたのに、当のテレビ局側の及び腰を見ていると、ここまで萎縮は進んでいるのかと呆れてしまう。
 だが、このようにテレビ局が取り合わない事態を想定していた人物がいる。それは『そして父になる』『海街diary』などの作品で知られる世界的な映画監督であり、数々のテレビドキュメンタリーを手がけてきた是枝裕和氏だ。是枝氏は今回、意見書を出した放送倫理検証委員会のメンバーだが、本日7日、自身のブログに今回の意見書の私見を綴っている。
〈僕の予想が正しければおそらく当事者であるNHKはともかく、他局のニュースの多くは意見書の中で述べられた「重大な放送倫理違反があった」という委員会の判断について大半の時間を割いているのではないでしょうか。(といっても2、3分のことだとは思いますが)〉
〈僕の危惧が杞憂に終わっていれば良いのですが、この2つ目の指摘(編集部注:公権力による放送への介入について)がいろいろな思惑からメディア自身によってスルーされるのではないかという不安からペンをとることにした次第です〉
 まず是枝氏は、放送法第1条2号「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」を取り上げ、1950年の衆院電気通信委員会における綱島毅電波監理庁長官の発言を引き、〈第1条は放送従事者に向けられているのではなく政府(公権力)の自戒の言葉であることを、政府自らが明らかにしているんですね〉と解説する。
〈なぜそんな自戒の規定が必要だったかと言えば、それは放送という媒体がその成り立ちや電波という物理的性格からいって公権力の干渉を招きやすいメディアであるからなのです。敗戦の5年後にこの議論が行われていることに注目しなくてはいけません。つまりは「公権力」と「放送」が結託したことによってもたらされた不幸な過去への反省からこの「放送法」はスタートしているわけです〉
 また、もっとわかりやすいようにと、是枝氏は放送法の条文をこのように現代訳する。
「我々(公権力)の意向を忖度したりするとまたこの間みたいな失敗を繰り返しちゃうから、そんなことは気にせずに真実を追求してよ。その為のあなた方の自由は憲法で保障されてるのと同様に私たちが保障するからご心配なく。だけど電波は限られてるから、そこんとこは自分たちで考えて慎重にね」
 安倍首相は今年3月3日の衆院予算委員会で、昨年末自民党が在京テレビに「選挙報道の公正中立」を要請する“圧力”文書を出したことを問われ、「不偏不党な放送をしてもらいたいのは当然だ」と語っている。だが、この現代訳を読めば、いかに安倍首相が厚顔無恥であるかがよくわかるというものだ。
 そして、是枝氏は、〈安易な介入はむしろ公権力自身が放送法に違反していると考えられます〉と述べ、この放送法を〈公権力も多くの放送従事者もそして視聴者も逆に受けとってしまっていること〉が〈一連の介入が許し許されている〉と考察。その上で、あたかも報道の原理原則のように語られる「両論併記」や「中立」といった言葉にも切り込む。
〈公権力はあたかも当然の権利であるかのように「圧力」として、放送局は真実を追求することを放棄した「言い訳」として、「両論併記」だ「中立」だなどという言葉を口にする事態を招いているのです。
 作り手にとって「不偏不党」とは何よりもまず、自分の頭で考えるということです。考え続けるということです。安易な「両論併記」で声の大きい人たちから叩かれないようにしようなどという姑息な態度は単なる作り手の「思考停止」であり、視聴者の思考が成熟していくことをむしろ妨げているのだということを肝に銘じてください〉
 臭い物には蓋をして「両論併記」でその身を守ることは、ただの思考停止にすぎない──。この是枝氏の指摘は、テレビに限らず、新聞や雑誌などのメディアにも当てはまる重要な問題だ。圧力を恐れるより前に、権力による介入を断固許してはならないし、なによりまず「知る権
利」を死守する、その使命をメディアは忘れてはならないのだから。
 しかし、他方の権力側は「テレビなんて放送法で簡単に黙らせられる」と言わんばかりに我が物顔をしている。是枝氏も、現状の異常事態をこう綴る。
〈近年BPOには政治家や政党から、番組内で自身や自身の主張が一方的に批判されたり不当に扱われており放送法に定められた「政治的公平」に反しているといった異議申し立てが相次いでいます。自分たちを批判するコメンテーターを差し替えろなどといった番組内容に直接言及するような要求までなされています〉
 このような身の程知らずの態度に、是枝氏はずばり〈BPOは政治家たちの駆け込み寺ではありません〉と断言。そして制作者たちに、いま一度、再考を促すのだ。
〈「批判を受けた」放送人が考えなくてはいけないのは、批判の理由が果して本当に公平感を欠いたものだったのか?それとも政治家にとって不都合な真実が暴かれたからなのか?その一点につきるでしょう。後者であるならば、まさに放送法に記されている通り、誰にも邪魔されずにその「真実」を追究する自由は保障されていますし、BPOもそんなあなたの取り組みを全面的に支持するでしょう〉
 BPO意見書と同様、是枝氏の“私見”は非常に真っ当な見識だ。第三者機関としての役割を果たそうとするBPOの今回の意見書は全面的に支持したいが、問題は、政権側が今後“BPO潰し”を本格化させる可能性が強まったことだろう。
 というのも、今年4月、自民党の川崎二郎・情報通信戦略調査会会長は、「テレビ局がお金を出し合う機関できちんとチェックできないなら、独立した機関の方がいい。BPOがお手盛りと言われるなら、少し変えなければならないのかなという思いはある」と発言。自民党はBPOに政府が関与する仕組みにしようと検討する方針を固めたのだ。つまり、政府が個々の番組に口を挟める体制をつくってしまおう、と画策しているわけである。今回、BPOが政権に対して「圧力そのもの」と批判したことで、この動きがさらに強まることは必至だ。
 もしもBPOが政府機関になれば、お手盛りどころか、放送の自由は完全に失われることになる。戦後に放送を開始したテレビは戦争協力を経験していないメディアだったが、テレビが言論弾圧に加担する日は、そう遠くないのかもしれない。