単純労働は機械に取って代わられ 単純プログラミングなどはインドなどに外注とか言われて 日本人の職がなくなっているとか言われたりする たしかに、こんな単純なこともできないのでは、この会社にもう君のできる仕事はない、別の会社を探したらどうか というような言い方はされるのかもしれない 単純作業の一例としてはコピーであるが それも、例えば、何台かあるマシンの特性を知って、状況にあった使用をする、 メンテナンス業者の各人の特性を知り、どんな時にはどの人にどのように頼めば修理がうまくいくのか、知っておく、 そのコ

単純労働は機械に取って代わられ
単純プログラミングなどはインドなどに外注とか言われて
日本人の職がなくなっているとか言われたりする

たしかに、こんな単純なこともできないのでは、この会社にもう君のできる仕事はない、別の会社を探したらどうか
というような言い方はされるのかもしれない

単純作業の一例としてはコピーであるが
それも、例えば、何台かあるマシンの特性を知って、状況にあった使用をする、
メンテナンス業者の各人の特性を知り、どんな時にはどの人にどのように頼めば修理がうまくいくのか、知っておく、
そのコピーでどんな仕事を誰がするのかを知ることによって、一工夫することもできる
など、決して、単純作業ではない

ネジを回すということも、一見単純作業ではあるが、熟練すればいろいろな技がある

また例えば、文書をPCを使って清書して印刷するという作業でも、
どうすれば読みやすいとか、どこをどの程度強調するとか、
工夫をすればいくらでも考えられるので、単純というものではない

また、簡単で単純な手作業というなら、そのような作業を長時間にわたり、ミスなく、一定の速度で続けられるというのは
かなりの熟練ということもできる
調子のいい時は速いが、機嫌が悪いと遅くなるというのでは、困るだろう

そんなことが背景にあり、しかし現在では、機械化が進行しているので、人間の単純作業の一部は、
機械を見張っていること、機械が不調なら調整して直すことになる
しかしそのようなマシンのメンテナンス等は向き不向きが大きな分野であって
それは単純作業ではないだろう
昔単純作業をしていた人が、いまは機械のメンテナンスをするというのは無理があると思う

ーーーーー
というような長い前置きをおいた上で考えるのだが
どうして会社不適応者がこんなにも大量に発生しているのだろうか

ひとつは学校での教育もまた選別機能もうまく行かず、うっかり就職したら、全く能力がマッチしていないということは
考えられることだ
学校と会社の『段差』が大きすぎるのだろう

否応なしに会社は学校みたいにならなければならないのだが
グローバル時代のいま、それは無理というものだろう

しかしまた逆に学校が会社みたいになるというのも無理である
少子化で生徒を取り合いしているのだし
選抜方法は形骸化しているし
モンスター・ペアレントによって熱血教師はすぐに燃え尽きる
サラリーマン教師は尊敬されない
どの角度から見ても、学校は会社みたいにはできない
だから学校と会社の間の段差はなくならない

ーーーーー
そんな事情を生きている若者に薬を飲ませれば
仕事が出来るようになるのではないかというのは
認識違いだろうと思う