前NYタイムズ東京支局長「日本は米国の戦争にNOと言えるのか」
週刊朝日 2015年9月25日号
安保法制に関して、前NYタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー(48)氏はこういう。
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いま、日米両国をつなぐ人的パイプが極端に細くなっています。保守系のリチャード・アーミテージ元国務副長官やジョセフ・ナイ元国防次官補らが「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれていますが、彼らは米国のすべての意見を代表しているわけではありません。
日本を取り巻く国際的な情勢は、大きな転換期を迎えています。米国の力が衰退する一方で、中国の台頭が著しい。戦後日本の繁栄を支えてきた秩序が、崩れようとしています。
そのなかで、日本はこれからどのような道を選ぶのでしょうか。それを議論してほしい。憲法9条をどうするのか。新時代の日米同盟はどうあるべきか。ジャパン・ハンドラーだけではなく、もっと幅広く米国の政治家、学者、企業経営者、有力者などの意見も聞くべきだと思います。
なのに、国会でもメディアでも、安保法制の議論は集団的自衛権の定義を巡って細かな違いを論じるものばかり。これでは、日本が新しい時代を生き抜くためのアイデンティティーは生まれません。
これまで日本は、軍事力は米国に頼ってきました。それを安倍首相は“実力のある国”に変えようとしている。そして米国は、それを歓迎しています。中東問題が落ち着かない以上、アジア太平洋地域の軍事戦略は、オーストラリアと日本に頼りたいからです。
日本にとっては、この決断は戦後の歩みを大きく変えるものです。野球に例えるなら、高校野球を卒業し、世界を舞台にしたメジャーリーグに入ろうとしているようなもの。戦後70年も戦争をしてこなかった日本に、それができるのか。米国は、第2次大戦後も何度も戦争をしてきたことから、戦争の大変さを身をもって知っています。日本にその認識があるのか。私は不安を感じています。
イラク戦争の開戦時には、ドイツとフランスは米国と対立してでも、開戦に反対した。日本は、再びイラク戦争のようなバカな戦争への参加を米国から求められたら、ケンカをしてでも「反対」という結論を出せるのでしょうか。
議論すべきことはたくさんあるのですが、政治的には今は安倍首相の一強状態で、野党をはじめとする反対勢力の力が弱いのが問題です。それでも、メディアが権力の批判勢力として健全に機能していればいい。権力が暴走したときに、メディアがきちんと批判すれば、それがやがて世論になっていくからです。ところが、安倍政権を正面から批判しているメディアは、地方紙や週刊誌がほとんど。大手紙やテレビ局は、安倍首相に批判的な記事を書くことを怖がっているように思えます。
本当は、原発問題でも新しい安保法制でも反対派が多数を占めています。昨年の総選挙で、自民・公明の与党が得た比例区の得票も、全国民の約2割にすぎません。それでも、安倍政権に反対する意見は、政治に反映されることはありません。日本はいま、あらゆるところがマヒしているように見えます。