理解するということは
色々なレベルがあると思うが
浅いレベルでは
実はその出来事の黒幕は誰で
どういう動機で計画したかなどを知ることだろう
このあたりは最近では検索エンジンでいろいろと探すこととが出来る
もう少し深いレベルで物事を理解するとすれば
ひとまとまりの出来事に関して
「ああ!これは内的構造としてあれと同じだ」と
別の分野の出来事との関連で理解する体験だと思う
このタイプの「理解の内的関連」 検索を作るれば
人間の脳の求めるものに応える道だろうという気がする
フラクタル構造ということが昔色々と言われたけれども
それは同一の構造部の内部でサイズの異なる同一構造があり
その事を理解することで
理解が深まるということになる
同じ事を外部構造の中に見ることも
理解を深める事になる
「分かる」という体験の分析としてはそんなことがまずあるのだと思う
ーー
共感覚の話があって
声が「黄色く」感覚されるとかそういうことだ
これは脳の聴覚部分と視覚部分の強い結合があるから起こることなのだろう
「理解する」ことも、一部はそのような事態であって
脳の内部のひとまとまりの体験システムと、
別の部分の体験システムが
強く結合して、対応関係ができた時に、
「Aha!」体験となったりするのだろうと思う
たとえば
量子力学と音楽とか
だからいろいろなことをやってみるのは大切なことである