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過度の教育圧力に潰れたエリートの息子、酒に溺れて親に刃物を向ける男、母親を奴隷扱いしゴミに埋もれて生活する娘・・・・・・。ドキュメントで紹介されるのは、親も病院も扱いきれず、警察のお世話になる一歩手前のグレーゾーンにある人たちだ。事ここに至っても親たちは、専門家に任せればすぐに元の良い子に戻ると信じているそうだ。著者が長期戦になることを告げると、ならば金は払えないと逆上し、治る見込みがないならむしろ「殺してくれ」と懇願されるという。『「子供を殺してください」という親たち』というタイトルは、決して奇をてらったものではないと著者はいう。
幾度も耳にするようになったこの言葉に、非常に危機感を抱いたからです。私はこの言葉の背後に、「面倒なもの」「危ないもの」「厄介なもの」を徹底して排除しようとする、家族そして社会の姿が見えるような気がしています。本当にそれでいいのだろうか?と強く思ったことが、筆を執るきっかけとなりました。(本書「あとがき」より)
もし、現在進行形の当事者が本書のこういった指摘を読めば、気分が悪くなり、本を伏せてしまうかもしれない。当事者でなくとも、親のせいにするのは可哀想、という思いがはたらくだろう。しかし一方で、親の深い関与によって子供が立ち直った事例も本書では紹介されているため、著者の主張には強い説得力があった。中でも最も私の心をとらえたのは、必ず過去に分岐点となった出来事があるという教訓だった。このことから私は、「教育は、可塑性の高い幼少期に、より本腰を入れて取り組む必要がある」ということを学んだ。
要するに、子供部屋に入るのが怖くなってからでは遅い、ということだ。
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