“彼女はたぶん、たましいがとけあうような、どこまでが自分でどこまでが相手なのかわからなくなるような、強烈な恋愛が好きなのだ。 その気持ちはわかる。あれは気持ちいい。すごく気持ちいいし、それを経験することでしかまかなわれないものもある。その結果、人として救われてしまうことさえある。 「あのとき恋をしていなければ、私は自分の欠落にとらわれ、より深くそこなわれていた」というケースは、そんなに珍しいものではない。なぜなら人が宿命的に抱えこんだ欠落はたいてい、欠落自身を再生産しようとするものだし、それを自分だけ

"彼女はたぶん、たましいがとけあうような、どこまでが自分でどこまでが相手なのかわからなくなるような、強烈な恋愛が好きなのだ。
その気持ちはわかる。あれは気持ちいい。すごく気持ちいいし、それを経験することでしかまかなわれないものもある。その結果、人として救われてしまうことさえある。
「あのとき恋をしていなければ、私は自分の欠落にとらわれ、より深くそこなわれていた」というケースは、そんなに珍しいものではない。なぜなら人が宿命的に抱えこんだ欠落はたいてい、欠落自身を再生産しようとするものだし、それを自分だけで、あるいは日常的でおだやかな人間関係でどうにかしようとすることは、かなりの難題だからだ。
宿命的な欠落の処理にはある種のイニシエーションが要求される。劇的な献身(欠落のある者同士が相互に献身する状態がもっとも甘美であることはいうまでもない)、もしくは桁外れにうつくしい経験。そのようなものによってしか、ある種の欠落はまかなわれない。
そのような話をすると、彼女はいきおいよくうなずいた。たぶんこの人もなんらかの深い欠落をかかえ、それに苛まれているんだろうな、と私は思った。そういう人には、たしかに恋愛が最適だけれど、でも恋愛のすべてが欠落をまかなうわけではもちろんなくて、どうかするとその再生産に寄与する場合もあるんだけれど。
あなたの言うことはわかる、と私は言った。でも私は、そういう恋愛はもういい。なにしろ今、私は元気で、たしかにまだいろいろと欠けているところはあるけれども、それもひとりでどうにかまかなって生きていけるし、それに、どんな人でも、ほんとは他人なんだもの。だから私はもっと劇的じゃなくて、お互いが遠くて、でもしっかりと結びついているような、そういう関係性を求めようと思うよ。"