"人間はひとりひとり脳の働きも違うし経験も違うので
考え方や感じ方も随分と違うものだと思う
しかし言語を用いて話が通じるので、
結果としては、ズレを含みながら、日常生活には支障のない程度の
共通認識をしているものと考えられる
全部を言わなくてもしばしば話が通じるのである
集団があれば、個々人の考え方や感じ方を一時表には出さず
表面的には全体の空気に従うということがしばしば行われる
その集団の空気を感じ取ることが人間の脳の大事な機能ということになる
集団の思考や感覚と言っても、それは原則的には各個人の思考や感覚の総和と言ってもいいものだと思うが
その総和が、逆に各個人を縛るようになるので、
方程式は少し難しくなる
人間は他人が何を考え感じているか、正確には分からない
どうしても、自分の考え方や感じ方を基本にして推測するので
自分が他人の集団からどの程度ずれているのかを推測するのは
難しい話になる
しかしながらそれもなんとか実行していて、我々の社会生活は成立している
主観の総和が客観かといえばそうではない
素朴科学的客観と社会科学的客観は異なったものであるし
主観の総和ではない客観を感じながら、また、
主観の総和ではない客観と、自分の主観とのずれを感じながら生きているので、
随分と不思議な話になる
主観の総和ではない客観を作り出す機能がリーダーシップと呼ばれるものなのだろう
戦争もなく飢餓もなく、ある程度豊かにいくられる社会になると、
主観の総和ではない客観とかその場の空気とかを読む能力もそれなりに衰退し、
自分の主観で生きてしまおうとする人も多くなる
それはそれで正直主義で良いことなのであるが
社会としては困ったことでもある
常識とか時代の空気とか、社会の大勢の意見とか、世論とか、
そこを上手にハンドリングするのが、上手な政治ということになるだろう
あたかも主観の総和として成立したかのように見える世論が実は、上手に権力側に誘導されたものであった
という事態が、為政者にとっては目標となるだろう
今後戦争が日常化し縦社会の規律がきつくなってくると、
建前としての一般常識がもっときつく共有されてゆく
その場合に、柔軟に、建前を内在化できる個人と、
なかなか建前を内在化できない個人とが現れるだろう
建前をすんなりと内在化できない個人は神経症的な症状に悩むこととなるだろう
たとえば会社経営者とか役所でたくさんの部下に働いてもらっている立場の人は
給料が良いから尊敬されるのではなくて
こんな風に個々人としては勝手なことを考えているくせに
集団としてはある程度目標を持って一定の方向に走り続けることができるように
集団のあり方と、それに応じて個人のあり方を指導できる存在であることが
尊敬される理由である
誰にでもできることではない
個人として能力が優秀であれば、えてして、集団への恭順を拒むことになりがちである
ましてや、自己の内面の規範と異なる、集団の空気など、無能者のたわごととしか考えられないだろう
そのように素直に結論を下すものは、集団の辺縁部に位置して、じゃまにならない程度に棲むことになる
集団の力学など軽蔑しつつも、そこで生きて、そこで優位に立つしかないのだと決意する、大人の脳もいて、
その場合は、ある程度の個人と集団のズレも、存在を認めつつ、ごまかしたり合理化したりして、
神経症的に生きることになる"