「ことばの贈りもの」-2

家のことはまかせてねことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族母がかるい鬱状態になったとき、父に言われた言葉だそうです。父は、家事や育児で悩んでいた母にたいして言ったそうです。言葉通り、父は会社から帰ったら家事や育児をきちんとこなしたらしいです。そしたら母の状態もだんだんよくなりました。東京都 jgh さん ( 18 女性 )

もう、がんばらなくていいよ。毎日、こうして会社に行くだけでもたいしたことなんだからことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん鬱になってから、8年目を迎えました。その間に、娘は、3才から10才へと成長いたしました。休職、会社への復帰を何回となく繰り返しました。ぼくの職場のまわりには、鬱でこれない人が数人います。そんな中、会社になんとかこれている僕に、妻から、「もう、がんばらなくていいよ。毎日、こうして会社に行くだけでもたいしたことなんだから」といわれたことが気休めになっています。決して誉められた出社状況ではないのですが、この言葉に救われています。静岡県 匿名 さん ( 42 男性 )

がんばらなくてもいいのよ。いいかげんでいきましょう。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんいつもがんばってなおそうとばかりいてあせっていた私ですが、この言葉を聞いていいかげんでいいんだと思って心に余裕ができました。がんばらなくてよくて負けないことにしました。富山県 安部樹里 さん ( 44 女性 )

人生長いのだから焦らずゆっくり行こう。ことばをくれた相手:同僚 ことばを掛けられた人:患者さんばりばり働いている女性の存在に、休職している自分が焦ってしまった時に、同僚が 人生は長いのだから、と 人は人、自分は自分の人生があるよ、とかけてくれた言葉。この言葉をかけてもらって肩の力が抜けたような気がして、焦りがなくなった。とても温かみのある言葉だと感じた。東京都 匿名 さん ( 40 女性 )

今のままでいいんだよ。ゆっくりする時を頂いたんだよ。大きく変わる時がきてるんだよ。ゆっくりだよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん週に1度は家に来て、励まし続けて下さった友人Kさんの言葉です。それまでの私の活動を具体的に評価して下さり、どんなささやかな私の思いも、じっくりと聞いて下さったうえでの言葉でした。平成20年5月にうつ病と診断され薬を飲み始めました。何もヤル気が出ず、夜はねむれず、夜中にひき出しの中をかたづけたりしていました。Kさんのこの言葉を支えに次第に、落ち着きをとりもどし自信を回復することができました。22年から短歌の通信講座を受講し、今回の歌会で特選に入選しとても喜んでいるこの頃です。あの頃の苦しみが、まるでウソのようです。Kさんはじめ、家族、医師、全ての方々に感謝の毎日を送っています。新潟県 幸月 さん ( 68 女性 )

この病気を治す良い薬が有るよ!君、好きな人が居るだろ。結婚しちゃいなよ!それが妙薬だよ。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん同じ職場の2歳年上の女性との婚約を上司に報告したところ、臨時異動で私は遠い田舎町へ左遷させられました。泣く泣く彼女に「3年くらい待って欲しい。それから結婚してください。」と言い残して新職場へ赴任しました。そこには会社の社宅や独身寮もなく、昔、芸者の置屋だった6畳一間の所へ下宿しました。すぐにノイローゼになり、毎日眠れない夜が続きました。体調もおかしくなり、お医者さんへかかりました。毎日、鼻へ”ぷう~ん”と来る注射を打ってくれましたが、今思うと栄養注射だったと思います。しばらくして、お医者さんが仰った言葉が「好きな人が居るだろ。結婚しちゃいなよ!」でした。直ぐに、彼女に電話連絡しました。彼女は快く申し入れを受け入れてくれました。彼女は退社し結婚してくれました。それを機に私のうつ病はすっかり回復しました。そして幸せな今があります。先生本当にありがとうございました。愛知県 朝日川ひろし さん ( 65 男性 )

大好きなお母さんを悲しませるようなことはしないで!!こんないいお母さんをもって幸せなんやからことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:ご家族すごくうれしくて思わず涙が流れた。和歌山県 NNR さん ( 21 女性 )

これからはずっと独りじゃないよ 辛い時は話してくれた方がいいことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さんうつを患い8年になり、その間2度離婚しました。高圧的な態度、病を馬鹿にする態度に耐えれませんでした。もう、独りで生きていくって固く誓い、仕事に迷惑がかからないよう、眈々と生きていく覚悟でした。それでも、たまたま出会った女性を好きになり、つきあいはじめ、3ヶ月になります。その間、上司からは病のことを責められ、症状が悪化し、自傷行為もしました。彼女は私のそんな弱い所を全て見てます。いまだに症状は良くならず、彼女を泣かせたりもしました。もう、自信がもてなくて、やはり私には恋愛はだめだろうと、考えはじめた時、この言葉をかけられ、ありがたくて泣いてしまいました。岩手県 なんくるないさ さん ( 39 男性 )

大空をあおいでしんこきゅうしてみるといいことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私が失恋してつらいとき 手紙でくれました北海道 チェリー さん ( 46 女性 )

お世話されるよりしてあげられる方が幸せだよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族母がうつ病になったとき、私にくれた言葉… 当時、まだ20代の若さだった私は、あまりうつ病の知識もないまま、母に接していました。ありがとう、ごめんなあといつも言ってくれていた母。でも時には私も感情的になり母を責め、文句を言ったり…その後でいつも後悔していた自分がいました。もっと優しくできない自分のふがいなさを情けなく思いました。 母が数年後、完治してからあのときはありがとう、そして私が嫁ぐときはあなたが居てくれたから本当に助けられたといった言葉。今ではこっちが貴重な体験をともに過ごさせてもらい、一緒にいる時間を共有できたこと、なかなか自分の親には素直になれなかったことを今は正直に反省することができ親孝行しなくてはと思うようになりました。人生苦ばかりでは決してないこと実感しました。大阪府 かあちゃん さん ( 40 女性 )

一緒に幸せ保険作って励ましあっていこう!ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんSNSのコミュニティからリア友になった同い年のコ。あの出会いを得て会うと考え方など似ていてお互い支え合うようになったのが大きい。なんか偶然でなく必然だった。仕事のことばかり頭から離れず、悩んでいたが一緒に楽しいこと増やして考えていこうとする友人に心強さを感じました。神奈川県 まなみん さん ( 25 女性 )

仕事して、失敗したっていいんだからね。怒られたときは ごめんなさい、と謝ってあとで舌を出してればいいんだよことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は2008年5月に仕事の多忙さから、うつとなってしまいました。約2ヶ月の自宅療養を経て、何とか職場復帰することができました。復帰条件としては、職場を増員して業務を緩和するというものでした。しかし一安心したのもつかの間、当時上司であった部長が、職場復帰後一週間で他界してしまいました。(当時私の役職は課長でした)増員していただいた方は、業務の経験がないため、私の仕事はうつ病の発病前に戻ってしまいました。しかも部長が急死されたため、業務は前にも増して過酷なものとなりました。薬治療のおかげで、何とか仕事は続けられましたが、2009年今度は会社の業績悪化のため会社を身売りすることになりました。会社清算と、統合先会社との打ち合わせの業務のため2009年12月に相手先の本社において会社統合に向けての会議を行っておりましたところ、今度は過労のためか会議中に倒れてしまいました。病名は大動脈乖離という病気です。(後で医者に伺ったところ、7人に1人は亡くなるという病気だそうです。)救急病院に運ばれ9時間に及ぶ緊急手術を受け、何とか一命は取り止めました。入院と療養の末、2010年4月にはありがたくも統合先の会社に受け入れてもらえることとなり、職場も別の部署となりました。しかしこの部署が会社の中でもっとも多忙な部署であります。ということで現在に至っております。周囲の方は何かと気遣ってくれますが、仕事上の話になると病気は関係ありません。新しい会社ということもあり、慣れない仕事でトラブル続きで、またうつにもどってしまいそうな感じもあります。仕事をやめてしまえば、一時は解放されますが、今以上の困難があると思うと、それもままなりません。それに追い討ちをかけるように今年3月には大震災がありました。幸いにも私のところは被害が少なかったのですが、福島原発の放射能漏れににより、放射能への不安を持ちながら暮らす毎日です。前置きが長くなりましたが、現在もうつ病の治療は継続中であります。この病気のときにかけられた言葉としてありがたかったのは、嫁さんのお母さんの次のことばです。「仕事して、失敗したっていいんだからね。怒られたときは。ごめんなさい、と謝ってあとで舌を出してればいいんだよ」この言葉を苦しいときに思い出すと気が楽になります。うつという病気は厄介なもので、直らないかもしれないと思います。でも気持ちの持ちようで、仲良く付き合っていくしかないんでしょうね。最後に    なんとかなるさ!福島県 クッキー さん ( 56 男性 )

ゆっくり歩いていけばいいんだよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん体調に波があり、人生そのものを焦っていた。そんな時に同じ病気の友人から言われた。「焦らなくてもいい、ゆっくりと」自分は焦っていた、最高の一言でした。愛知県 yuki さん ( 23 男性 )

言葉ではなく優しい瞳でした。暖かい眼差しが心の支えでしたことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん話している事も やっている事もわからなくなった時 ずっと見守っていてくれた その人の瞳に心 安らいだ大阪府 とっこまま さん ( 49 女性 )

もうがんばらなくていいよ、十分、がんばったのだから、うつは勲章みたいなものよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん6年前、激務からうつ病になり、ドクターストップで即刻休職。何度も復職、休職を繰り返しました。休めば休むほど職場になじめなくなり、うつ病だという目で見られることが辛かったとき、ずっと看病して、見守ってくれた母がくれた言葉です。東京都 Tarka さん ( 35 女性 )

すべては君しだい。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんマイナス思考だったころ、この言葉を聞いて、「自分が信じている好きなこと、もの、に正直に生きた方が良い」と考えられるようになった。どうせなら、前向きに楽しく生きる方が自分らしいと思えた。石川県 パンダ さん ( 20 女性 )

そんなに頑張らなくていいんだよ。いつも通りで大丈夫。私はおめぇが誰よりも努力家だって事知ってるから。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん仕事のプレッシャー、人間関係でうつになり、誰にも言えずずっと一人で抱えて悩んでいました。憂鬱な気持ちで会社に行き、仕事でミスをするたびに怒られ、気持ちは沈んでいく一方でした。ある日久しぶりに友人に会い、初めて自分の心の中に溜まっているモヤモヤを吐き出しました。ずっと愚痴ばっかり言って、わんわん泣いて、それでも友人は黙って私の悩みを聞いてくれていました。「そんなに頑張らなくていいんだよ。いつも通りで大丈夫。私はおめぇが誰よりも努力家だって事知ってるから。」それを聞いたとき、気持ちがすうーっと楽になりました。一人で抱え込まず、信頼できる人に悩みを聞いてもらう。これが本当に大切な事なんだなと改めて実感しました。これからは家族、友人を大切にして前を向いてしっかり生きていきます。山形県 もじ子 さん ( 27 女性 )

大丈夫、大丈夫、心配要らないよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん冬に風邪を引き込み、咳が長引き、夜中咳込んで息苦しく睡眠不足になり血圧が上がり絶不調の頃、親しい友人が突然亡くなった。その悲しみの中で東北大震災が日本列島を襲い連日のテレビ報道に一人暮らしの私は夜を迎えると不安におびえる日々が続くようになった。ある日頭がふらつき気を失い救急車で病院に運ばれ診断の結果うつ病(パニック症)と言われ発作を繰り返しました。 パニック症の発作が起こったとき、嫁が強く強く抱きしめ「大丈夫、大丈夫、心配要らないよ。」と肩をなでてくれたあの温かく優しい感触は、忘れられない心身の安らぐ行為で大切な治療法でした。広島県 ふじばかま さん ( 70 女性 )

人生これからまだ長いんだし、その人生の休息があたえられたと思って静養しなさいことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私はうつ病歴9年目です。服薬治療で毎日眠る状態が続き仕事も何も出来なくなりました。「私このまま終わっちゃうのかなぁー」と思うと涙が止まりませんでした。そんな時親友からこの言葉をかけていただき、心を穏やかにして治療に専念することに思いを変えることができました。うつの波があり、調子の良い時は仕事をし、また調子が悪くなると休むをくり返し、会社にも迷惑をかけていますが、上司から「待ってます」との連絡を受けた時もうれしかった。そのおかげもあってうつ9年目の今年に入り、再発予防の薬一錠と入眠剤だけの服薬になり、仕事も家事も少しずつできるようになりました。広島県 匿名 さん ( 36 女性 )

頑張りすぎないようにしよう 出来ないものは 出来ないと はっきり言おうことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんうつが かなり 酷くなり 病院に行った日 私の顔を見るなり 主治医の先生が 即入院ですね 私が 必ず治しますからと言ってくれたこと。それでも 先生の言う事を聞かず 早めに退院してしまい再入院したこと。やはり 先生の言うことは きちんと聞かないとだめですね。宮城県 いつか さん ( 56 女性 )

自分の道を行きなさいことばをくれた相手:親戚 ことばを掛けられた人:患者さん療養しながら就活していた去年の秋、用事で上京した時に、伯母の家で寝泊まりしていました。その時今の就職活動の現状のこと等を訊ねられました。なかなか就職が決まらないことを責められると思ったが、その人に「今お前は好きなことをやれているのか?」と言われました。就職すれば金銭的に安定し、親たちも安心します。でもいつもどこかで「本当の自分の好きなことはこれではない」と考えていました。でも途中で進路変更する勇気もなく、そのまま引きずって行き、就活の息詰まりと、伯母の言葉をきっかけに、それらの感情が一気に溢れ出ました。「興味のない仕事に就いて生活が安定しても、お前の心は安定するのか? 楽じゃなくても、自分の道を行った方がいいんじゃないのか?」と言われ、気持ちが一気に楽になりました。まだ療養中ですが、将来の夢のために勉強しています。あの言葉がなければ、今の自分はいなかったかもしれません。福岡県 匿名 さん ( 23 女性 )

私たちにできることは、何でもします。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんパニック障害とうつで結婚を迷っていたとき、主治医の先生からいただいた言葉です。茨城県 空子 さん ( 35 女性 )

がんばらなくてもいいんじゃないかことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんなにもむりしてまで働かなくてもいい すこしやすんだら 家族から少しやすめと言われた 見ていてわかるんだと言われ入院した。 自殺未遂をしたから、「仕事はだいじょうぶ すなおになれ」とも言われた。ケンカになりそうになり 心配してのことだとわかり 人をあやめてはいけない 自分を大切にしろとも言われた。東京都 小池健さん さん ( 57 男性 )

あなたが会いに来てくれて嬉しい。私は今幸せよ。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん2011.8.15 今日、いつもの心療内科に行きました。担当の先生が退院する事で薬局も変わるだろうと思い、自分が特に気分が不安定な時に、優しく心配して下さった薬剤師さんにご挨拶をしました。女性のショートヘアーで背の高いいつも笑顔の薬剤師さん。暗い顔の私を見て、担当でない時も声を掛けて下さいました。解離性同一性障害で記憶が無い時に外出してしまったり、自殺行為もしてしまう私を心から励まして下さいました。最後の挨拶を…。と思い声を掛けたところ、私の為に涙を流してくれました。会えなくても同じ空の下、一緒ですよ。ととても優しく手を握りハグしてくれました。一生忘れる事のない「さよなら」でした。神奈川県 匿名 さん ( 30 女性 )

ひとりじゃない!仲間がいる。全力でサポートするから、安心して仕事においで!ことばをくれた相手:会社の上司 ことばを掛けられた人:患者さん私は8年間程うつ病の治療を続けています。平成23年7月、不安ながらも体調が安定してきたことから、職場を訪ねたところ、上司からこの言葉をかけてもらいました。その時、ハッと思いました。過去の私は仕事は人に頼らず、全力で頑張るもの、頼ることは、仕事ができない人がすることだと。完璧を求め過ぎて、オーバーワークが原因でうつ病になったという事が、その時はっきり認識出来ました。人はひとりでは生きられない。仕事もひとりではできない。助けを求めていいんだ。それ以来、仕事の事を考えるたびに不安になっていたのが消えました。現在はこの言葉に背中を押してもらい、完全社会復帰を目指し、通院と慣らし出勤の日々を送っています。この病気は決して薬だけでは直らない。踏み出すタイミングも大切。そのタイミングを上司は与えてくれました。熊本県 坂梨 岬 さん ( 39 男性 )

死ぬ気になれば何でも出来るって言うけど自分的には死ぬ前にやり残したことは無いかな?って考えるけどさ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病と診断され全てのことに対して前向きに物事を考えれなかった自分に対して、さり気なく言ってくれたこの言葉が頭や心から離れません。こんなふうに言われたり聞かれたりすると、やり残したことが沢山思い浮かんでしまい「そうだよね~、やり残したこと沢山ありすぎるし生きるわ」って返事してる自分がいました。この一言で生きる勇気や前向きな治療に望むことが出来ました、本当に感謝してます。富山県 電柱の小指 さん ( 41 女性 )

お母さんは、お母さんのままでいいよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん今から13年前、卵巣ガンと更年期が重なり、7年程、家から出られない状態でした。ひたすらテレビを見続け、最低限の家事もしない日々でした。何もヤル気が起きないのです。娘らは家を出ていましたが、私を見舞うより夫の話し相手によく帰ってきてくれました。私に特に気をつかうこともなく、家族で談笑し毎日の生活を普通に送ってくれたことがかえってよかったように思います。娘は医師にみてもらうよう心配してくれましたが、自力で何とか立ち直ることができました。支えてくれた夫は、他界しました。夫婦には様々なことがあり、乗り越えなくてはならない波がいくつもあるのだなと思います。沖縄県 匿名 さん ( 63 女性 )

あせらず、ゆっくりと。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私は、一人暮らしで姉が結婚して身近に住んでいますが、実家という帰るべき家がなく、不安な日々の暮らしをして。バイトをしては病気が悪化して辞めて病院通い薬飲み。でも少し落ち着いてきたら勝手に治療やめてバイトしてまた病気が悪化してまた辞めるとの繰り返しをしていた。日々の私はそんな自分自身から逃げ出したくなり引っ越しをしましたが、仕事は忙しくて体は休まらず引っ越しして2カ月頑張りましたがまた病気悪化して仕事辞めて。友達と電話とメールしててその友達から「『蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財よりも心の財第一なり』とあるのは、信心のことだけでなく、生命にとって宝を意味します。何よりも、心身共に健康である事が、地位や名誉、物質的な事よりも尊いのです。その第一の心の宝を磨くための休息です。」との言葉が私の支えです。この言葉があるから今まで治療続けてこられ、これからも治療し続けようと思えます。埼玉県 戸館 昭実 さん ( 37 女性 )

無駄な経験なんて何も無い。今迄の全ての出来事が今のあなたを造ってるんだから。あなたのまんまで百点満点。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私はうつ病歴16年、本格的に治療を始めて約5年になります。幼い頃受けた傷ゆえに感情を押し殺して育ち、「こうあらねばならない」という意識の強い人間になりました。そこにきて、脚の腫瘍や突然障害者になった弟など、「女手一つで育ててくれている母には心配をかけられない。私がしっかりしなくては!」と思うことが続き、さらに感情の表現を抑えて自分の中にストレスがふくれ上がってゆくままにしていました。自分に厳しく、結婚してからも「完璧」を求めていました。約5年前からうつ病が悪化し、朝起きられない、家事も満足にできないで、ただただ布団の上で天井を見つめているしかできない自分を責めて、涙を流してばかりいました。「なんで私がこんな辛い病気に?私は今とても命を無駄にしている。死んだほうがましだ。何も役に立てないどころか主人の負担になっている私はいる意味がない」と毎日考えていました。そんな時です。母が先の言葉の書かれた色紙を私に贈ってくれました。どなたかは存じませんが、心に響く一言をやわらかい雰囲気の絵と共に、いい具合いに力の抜けた筆で書いておられる作家さんの言葉の一つのようです。その中から母が「完璧」ばかり追い求め、自分を責め続ける私に、この言葉を選んでくれたのです。私を厳しく育てた母からの意外な「百点満点」という採点に自然と心が緩み、涙が頬を伝いました。「そうだ。今の私が経験している苦しみも、いつかもっと他の人に優しく接することになれる糧だ。厳しく育てられたことも、確かに心の傷にはなったけど、一社会人として節度をわきまえた自分になるためには必要なことだったのかもしれない。」そう思えるようになりました(少しずつですが…)。そして「こうしなきゃダメ!こうでなきゃダメ!」と私を育てた母が、今のそのまんまの私を愛してくれていると感じられて、母との関係で初めて安堵を覚えました。主人も私に決して多くを求めないで、「今日はお米が炊けたね。良かった!がんばったじゃない!自分を誉めてあげて。」と言ってくれる優しい人です。今のまんまの私を受け止めてくれる家族に囲まれて、少しずつではありますが、今日の自分に良い点をつけてあげられるようになりました。私の場合、うつ病の原因が根が深いため、「生涯抗うつ剤のお世話にならねばならない」と宣告されています。毎年1度は「死にたい、死にたい」ばかり考え続ける不調の波がやってくるのも事実です。でも、支えてくれる家族に感謝して、なんとかうまくうつ病とつき合っていきたいと思っています。京都府 えりたん さん ( 37 女性 )

よく生きててくれたね。話してくれてありがとう。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん結婚を控えていて、話す前は覚悟がいりました。子供への影響、薬を減らすことができるかどうか。不安もありましたが、薬0にしてから子供ができるようにしていこうと思いました。今の夫を大切に、まるごとうけとめてくれて感謝しながら生きていきます。大阪府 エスポ さん ( 28 女性 )

泣くの嫌やから。私より先に死んだらあかんで。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病と診断されてから二年になります。通院半年ほどで投薬治療は終えたものの、その後も良くなったり悪くなったりを繰り返しています。家族にうつ病であることを打ち明けたのですが、うつ病に対して偏見があり、症状の重い姿を見せたことはありません。うつ病に対する知識も少なく、心無い言葉を浴びせられることもしばしば。家族ですら偏見を持っている私にとって、病のことを他の人に打ち明けるにはとても勇気が必要です。投薬治療が終わった頃、様子がおかしいと気づいてくれた友人には打ち明けました。最近の何気ない会話の中でかけられた言葉だったのですが、ココロで感じて、ココロで発した暖かいコトバに感じ、私のココロの支えになっています。本当にありがとう。三重県 まるこ さん ( 37 女性 )

ゆっくりでいいよ。ことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さん当時お付き合いをしていた彼からもらった言葉です。うつになって仕事を休養していたのですが、心はいつも焦っていて「早く治して早く働かなければ あれもこれもしなければ 」と思っていました。そんな風に焦れば焦るほどまたストレスで落ち込む日々。そんな心の内を彼に打ち明けてみたことろ 「今は休む時期なんだよ。できる限りのことはするから頑張らないで休もう。ゆっくりでいいよ 」と。その言葉に安心して私は心から「ゆっくり」じっくりうつを治すことに向き合えました。今は別れてしまったその彼だけれども、本当に本当に私の支えになってくれていました。感謝しています。長崎県 匿名 さん ( 28 女性 )

頑張りすぎないでいいんだよ。一人じゃないんだから。みんなで進んで行こうよ!ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん普段の生活がちょっとした失敗ばかりで、なかなかうまくいかない事がかなり長い間続き、毎日イライラして時にはふさぎ込んだり泣いたりしていました。誰か人に相談する気も全く起こらず、なんとなく恥ずかしい気持ちもあったので自分のことは自分で解決しようと更に長い間もがき苦しんでいました。友人の前でもその事を悟られない様にわざと強がったり、無理矢理笑ったりなど無理して過ごす日々が続きました。そんなある日、友達にふと言われた一言でした。 突然の事でうれしいのと、ホッとしたのとで涙が止まりませんでした。鹿児島県 匿名 さん ( 38 女性 )

三人の子供を立派に育て上げ皆に誇れる父さんです。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん過去を全否定していた自分に長男が掛けてくれた言葉です。長崎県 匿名 さん ( 51 女性 )

逃げちゃえばいいじゃないですかことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん毎日悶々と人間関係に悩み、どうしても苦手な人と顔併せる時間帯の現場の状況を担当医に話すと、”人間好き嫌いあって当たり前で、私も苦手な先生いますが、挨拶だけして逃げちゃいますよ?”と言われ…それまで、どうにか好かれようと必死になっていて疲れてしまった私にとって当たり前のこの言葉がとても目から鱗でした。それから、少しずつ外に出れるようになりました。愛知県 東 うみ さん ( 37 女性 )

あなたはママの子なんだから大丈夫。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん何があったわけでもなく、何かがつらくて苦しくて、耐えられなくなり母の前で突然泣き出してしまった私。母とは友達のように仲が良いけれど、だからこそ心配をかけたくなくてずっと我慢していました。その時、「ママの子なんだから大丈夫だから」と言われて安心したのを覚えています。宮城県 ぴい さん ( 25 女性 )

謝る事じゃない 生きていてくれればいいことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さん自分は現在うつ病と闘病中です 気分がひどく落ち込み死にたいもう誰も信用しないやひどい事ばかりを彼女に言ってしまい謝った時に言われた言葉です この言葉にすごく救われました 気分が落ち込んだ時はこのメールを見てます長野県 たくや さん ( 19 男性 )

遊んでてくださっていいですよことばをくれた相手:看護師になりたての同僚 ことばを掛けられた人:患者さん看護師をしております。休み中にうつになり、休み明けで、早出に行きました。誤薬した時に、立ち直れなくなると思い、同僚の夜勤者に「今日は、薬を触る自信がありません。すいません」と伝えた際、自分の不甲斐なさと夜勤者から来なければいいじゃないかと言われると思い、詰所で泣いた時に夜勤者が言ってくれた言葉です。その言葉で、それではいけないと思い、気持ちが持ち直しました。愛知県 匿名 さん ( 29 女性 )

今、できることだけをしなさい。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病で何もすることができなくて落ち込みが激しい時に、主治医の先生から頂いた言葉です。こころがすっと軽くなったのを覚えています。群馬県 るか さん ( 33 男性 )

無理しないで、自分らしく。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私とYちゃんの出会いは、ある精神科のデイケアです。その病院は今、放射線の影響で閉鎖されています。私は避難先を、体育館、民宿と転々としていましたが、Yちゃんも親せきの家などを転々としていて、今は新潟にいます。私は避難先のワイン工房でアルバイトをはじめましたが、長続きせず、入院してしまいました。そんなある日、Yちゃんから手紙が届きました。「無理しないで、自分らしく。」本当だなあと思いました。あれから数ヶ月、今度はYちゃんがアルバイトに挑戦しようとしています。面接を受け、落とされてもくじけません。次の面接、次の面接と進んでゆきます。そして、あるおそば屋さんに合格し、アルバイトをはじめました。お勤めも忙しい中、手紙をくれます。「無理しないで、自分らしく。」そのことばを今度はYちゃんが実践しています。私も負けないぞ!!無理しないで、自分らしく。福島県 もんたま さん ( 47 女性 )

真面目と生真面目は違う。人に優しく、自分に優しく。弱い自分を許してあげて。ことばをくれた相手:会社の上司 ことばを掛けられた人:患者さん人からどう見られているか気にする私は、責任感のある、真面目な自分を作っていった。今の職場に勤めて10年。仕事を真面目に要領よく熟し、後輩から「仕事が正確で早いですね」と言われ、優越感を味わっていた。一方で後輩たちの仕事のミスや要領の悪さに苛立っていたが、人からどう見られているかを気にする私は後輩に注意やアドバイスができず、ストレスを溜めた。自分ひとりが我慢すれば職場の雰囲気はまるく治まる。今まで楽しかった仕事も後輩と顔を合わせるのも嫌になり、全てが嫌で死にたくなった。逃げる自分も嫌いだった。うつ病と診断され、不安と苛立ちの日は続き、思い切って上司に打ち明けた。初めて人前で泣きわめいた。自分の弱い所を人に見せた。自分に厳しくて苦しめていたのは自分自身。当然、人にも優しくできなかった。上司は全て受け入れてくれた。私の甘えや弱さも。肩の荷が下りたような感覚だった。今では後輩、上司全ての人に感謝する日々を送っている。福島県 匿名 さん ( 30 女性 )

どんなママでも、ママだから頑張らなくていいよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん子供がまだ小学3年と2年と、幼い頃に、うつ病になり、2年程たったある日 今まで感じた事のない感情にかられ、自殺未遂した時に、下の娘が、「どんなママでもママなんだから、頑張らないでいいよ。ママのまま傍に居て。」と、言われ、我にかえれました。新潟県 まっきぃ さん ( 41 女性 )

時間が必ず解決してくれますことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は仕事の上司からパワハラを受けていて、精神的にボロボロになっていたときがありました。そんなとき母親は、仕事をやめてもいいんだよといってくれ、私はその一言で楽になりました。しばらく仕事を休んでいたのですが、そのときに母親から、時間が必ず解決してくれるんだから、のんびりしなさいといってくれて、心が軽くなったのを覚えています。愛知県 匿名 さん ( 36 女性 )

みんながついてるよ。家に引き篭もらず、勇気を出して外に出よう 明るい笑顔を見せて!ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私は、平成18年の夏C型肝炎で2カ月入院して一年間毎週一度インターフェロンを注射してきました。退院の一週間位前から、人と話をするのが辛く人に会うのも億劫になっていました。医師に注射の副作用でうつ状態だと言われ、自分ではおかしいな?と思っていましたが何をする意欲も活気もなく、目はうつろ、歩く姿もよたよたしていました。注射があと一カ月位残っていた頃、見守ってくれる友が「しっかりせよ!!」と私の背を押した時、私は、何をやっているのか、こんな私ではない!と、ハッと気がついたのです。趣味があるではないか、書道、新聞投稿、カラオケ、その上、友達のすすめで、近くの食堂で接客をはじめました。すぐに慣れて、楽しくて、たちまち、笑顔がもどり、大きな声が出るようになったのです。大切なのは、元気になろうとする心意気です。今は川柳も始め、自分を大切に常に前を見て、残りの人生を楽しく暮らしたい…励ましてくれた友に感謝して。(現在も肝炎は治療中です)鳥取県 笑顔のかずちゃん さん ( 68 女性 )

生きているだけで価値があることばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん治療に専念し数年経ち、なかなか回復の兆しもみられず自分に苛立ちを感じていました。時々、自分の存在が許せなくなり、悶々と日を送り時間に対する概念も崩れてしまいました。私には、自宅から少し離れた場所に年老いた認知症の父と、四十年以上もリウマチを患う母がいます。そして家には二人の娘。心の中で思いました。働けなくても、いないよりいたほうがマシかなって。両親にとっても、二人の娘にとっても、私はこの世にいないよりいた方がマシだと。自分に言い聞かせました。しばらくして、この事を娘に言ってみました。娘は私に“人は生きているだけで価値があるんだよ”と山梨県 トリニティー さん ( 41 女性 )

病は、神さまが、その人をもっと神さまの近くに来るようにと呼んでおられる証拠と私は信じています。ことばをくれた相手:その他 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病による休職中で症状の回復がなかなか見られず、焦っている時期に教会の牧師から頂いた言葉です。私は内科医です。うつ病が甘えや怠けではないと理解していつもりでしたが、自分のこととなると、疾患に逃避して勤労を免れていると思ってしまいます。 クリスチャンである私が牧師から頂いた言葉で、信仰のない方には関係がないと思われるかもしれません。しかし、病はそれを契機に自分の人生を振り返る、そこから学ぶべき時期だという意味では普遍性のある言葉と思います。私は正直、メンタルな訴えが多い方は苦手でした。苦手なのは、メンタルな訴えは病気ではなく性格の問題であるという偏見があったのだと思います。医療の素人である牧師が、メンタル疾患を身体疾患と差別することなく、さらに積極的な意義を見出そうとするこの言葉に新鮮な驚きを感じ、同時に医療人としての未熟さを痛感させられた言葉でした。東京都 匿名 さん ( 57 女性 )

がんばらずに長くやりましょう。あまり気にしないで。ことばをくれた相手:家族、心療内科の先生 ことばを掛けられた人:患者さん震災で親類、友人を無くして職場で問題発言があって休職した。気にするな、パートからいろいろいわれても流しなさい、等いろいろいわれた。宮城県 匿名 さん ( 44 男性 )

考えなきゃならない時もあるだろうけど時期を考えて体調悪い時はあまり考えないように まあそれが難しい。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私は高校をイジメで中退。元々中学時代に家族にいて欲しい時、そうではなかった。受験も家族の為、あきらめ、母のうつ病の心配で毎日学校の公衆電話からかけていた。私は心配。受験のはざまで、自律神経失調症から神経病。15年通院している。警察の世話にもなった位、自分が自分ではなかった。そんな時、15年前と同じ発作。助けてくれた友人に当時からのいきさつ。今の実親との不仲の原因を話した。彼は何かと助けてくれる近所の友人。彼は私の話だけを3時間きいてくれた。きくだけ。あとは、中学時代の思い出話。気を彼なりに使ってくれたのだ。おかげで友人の大切さが分かった一夏になった。私は中退はしたがあきらめたくなかった。フリースクールに移り、無事卒業した。心の傷がある分、今の旦那とも分かり合えた。旦那もうつ病がある。お互い補い合いながら、生きている。あきらめる事はしたくない。それでも生きていかなければならない。うまく病気とつき合い、薬も減っていき、新しい家族を作っていきたい。栃木県 ウメボシ さん ( 29 女性 )

頑張らなくていいんだよことばをくれた相手:会社の上司 ことばを掛けられた人:患者さん私の上司が言った一言でした。職場に復帰する旨を伝えに行ったときにかけてくれた言葉でした。東京都 ざぼん さん ( 30 女性 )

はりきりすぎないでね。自分のペースで!!ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん調子を崩し入院していた時、退院が決まった折にナースエイドさんから”はりきりすぎないでね、自分のペースで!”と言われ、色々とあったプレッシャーとか自分の中にある焦る気持ちがふっとゆるんで肩の荷がラクになりました。ついあれもこれもとやりたくなってしまう時がありますが、そんな時”はりきりすぎないでね”という言葉を思い出し、自分は今ムリをしていないだろうかと考えるようにしています。茨城県 キティ*ヨウコ さん ( 28 女性 )

皆、BlueGreenの味方です。大好きです。私もその中の一人です。何となく太陽みたいな存在です。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん彼女は大学時代サークルで知り合った一歳年上の友人です。卒業も一年早く、転勤により地方で暮らしていたのですが、お互い辛い時は話をして支え合ってきました。そんな中、彼女は私がうつ病になったことを知り、メッセージカードを送ってきてくれました。ありきたりな手紙すぎるからと、一度郵送を躊躇ったそうです。しかし、「破棄していないのなら読みたい」と伝えたところ、郵送してきてくれました。確かにありきたりな言葉かんもしれませんが、私はこのメッセージを読む度に涙し、「よし、頑張ろう」と思うことができる魔法の言葉なのです。彼女だけでなく、他の大切な人の顔もなぜか脳裏に浮かんできます。再び「太陽のような存在」になりたいので、彼女の言葉を胸に治療していきたいと思います。いつの日か、治療生活もいい思い出になるように。東京都 BlueGreen さん ( 26 女性 )

出社しているだけで十分。仕事することより、出ていることの方が重要。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんどうしても、出社したら何かしなければ…という思いばかりで、逆に出社しにくくなっていた私に、医師はそんなことないよといってくれた。それは、頭では分かっているのだが具体的にそう述べられることで、なんとなく安心したというのか…それでも、時々会社を休んでしまっていますが。群馬県 匿名 さん ( 44 男性 )

あずきさんは、いてくれるだけでいいから。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん2003年から治療を受けていますが、現在も体調の波が激しく、働くこともできない闘病の日々が続いています。長患いの私自身の存在が家族の負担・迷惑になっているのではないかと苦悩している時、夫の妹が言ってくれた言葉です。「こんな自分でも生きていていいんだ」と肯定してもらうこと、受け入れてもらうこと、それが辛い時の一番の慰めになります。実の親、兄でさえ掛けてくれない温かな言葉を義妹からもらい、今も落ち込んだ時の支えの言葉になっています。ありがとう。長野県 あずき大福 さん ( 45 女性 )

それだけやれれば十分だよことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんうつを理解していない人が今でも多く、私が心身共に疲れ果ててもうこれ以上頑張れないし気持ちも体も動かないと思っていた時、ある友人Bから「全然やってないもん、我慢強くないもん」と言われ、物凄くショックだった。その言葉で私は「自分は出来ない人間なんだ」と落ち込み、涙が止まらなかった。全く同じ話を友人Aにしたら、友人Aから「それだけやれれば十分だよ」と言ってもらった。うつを理解してくれている友人Aのその言葉がとても嬉しくて、私の気持ちは救われた気がした。山形県 ゆぅ☆ さん ( 43 女性 )

子供が出来なんでも、2人で楽しく生きていったらいいやんか…。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん子供がほしくて、産婦人科に通っていましたが、中々恵まれず、何をしても中途半端で、時折、死にたい、、と言葉にすると落ち着く時があったりして。その時に夫が言ってくれました。三重県 ゆん さん ( 44 女性 )

今は長い人生の中での必要な休養の時間だから、ゆっくり休養してね。ことばをくれた相手:会社の上司、同僚 ことばを掛けられた人:患者さん2年前から家内がうつ病で休職し、家内の苦しむ姿を見ていた。数年前から私自身、頭痛や吐き気などでときどき体調が悪くなり、出勤できなくなることがあった。あるとき、そのような状態が1週間弱続いた私を見た家内が、「心療内科に行ったほうがいいのでは。」と言い、心療内科を受診した結果、「うつ病」と診断され、そのとき初めて自分はうつ病だったのだと気づいた。職場の上司や同僚に相談した結果、すぐに休職の対応をしていただいた。主治医によれば、職場の理解がなく、完治しないまま復職しなければならない方もいるようで、それを聞いたときに上司の言葉が頭に浮かび、職場の理解なくしてこの病気を治すのは難しいと思った。現在、職場との連絡は、郵便や電話で行っているが、電話で話しをするたびに上司から温かい言葉をかけていただいており、人のありがたみをひしひしと感じている。熊本県 揺れる想い さん ( 38 男性 )

今まで一生懸命真面目に生きてきた証。だからこれからは、ゆっくり立ち止まりながら生きていけばいい。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん明確な理由は今でも分かりませんが職場の部下が自分に対し反抗的な態度や発言、試し行動に出てストレスを感じ始めました。加えて職場内での取り決めが理不尽なことが多く、このまま仕事を継続できるか悩み始めました。また夜勤を伴う責任ある職務で常に緊張感の持続を求められたことなどから不眠や罪責感、いらいら感がつのり始め、自分の価値を感じられなくなりました。希死念慮があまりなかったことは幸いでしたが些細な事で涙ぐむことが多くなり、何をしても楽しめなくなり、体が重く感じました。このため「うつ病診断表」で自己診断をしたところ「うつ病」との結果が出て、精神科医師の診断を受け通院と投薬治療を始めました。現在もフラッシュバックに苦しみ、また出勤前に愛犬に生きて帰るからと言ったことが思い出されます。この言葉はうつ病を打ち明けたとき高校時代からの友人にもらったものです。島根県 匿名 さん ( 54 男性 )

ばーば、この袋は魔法の袋。きっとなおるよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族4年ぶりに秋田より静岡へ帰省した、わが中1の姪。うつ病発症から2年になる我母(75歳)に、帰省中、布で薬袋を作って母へ渡してくれました。母にとっては、夫を送って3か月後に誕生したたった1人の孫が生きがい。しかし、わが姪は父親の転勤で何度か遠方へ。今も終了見込のない、秋田生活。4年ぶりの再会なのに発病し、以前の様に孫の相手ができず、涙ぐむ母。姪は最高の贈り物をしてくれました。今、薬と姪の贈り物パワーストーンの入った袋を胸に就寝の毎日。次回の姪の帰省を夢見て、不眠の夜の支えとなっています。静岡県 ししまる さん ( 46 女性 )

ねている事がそんなに罪ですか?悪い事ですか?なぜ休んではいけないの?なぜそんなにがんばるの?必要ないことでしょことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん離婚し、5才、3才の子供2人、実家に戻り、その後1年父が脳梗塞で倒れ20年の看病、母には休むことすらゆるされず、ただひたすら緊張の日々、長男は生まれつきのぜん息持ち、小5、6の時いじめに合う 私は、父の死後相続、その3年後母の認知症。23年1月、27年前のクリニックをセカンドオピニオンとして当初32才でDrに言われた言葉です。うつ病ではなく自分で勝手にうつ病になっていました。現在は、昼夜逆転ですが目がさめた時が起きる時、眠くなったら横になる。十人十色。朝強い人もいれば夜型の人もいます。でも私は大家になってしまったので出来る時に出来る事を。確定申告だけはやります。3月15日は待ってくれない。昼間人と会わなければならないので、仕方なく眠剤使用。いつ、どんな時でも”おはようございます”です。昼夜逆転なのに、無理に起きるので、うつの薬は止めました。勝手にうつと思い込み、自分自身を洗脳していたので。東京都 moririn さん ( 59 女性 )

家族3人だよ。「お父さん・お母さん・あなた」家族3人だよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は今、うつ病の治療中です。私の場合「薬」は、どうしても「目先のつらさ」を和らげる薬になりがちです。やはり、つらい時はつらくて、どうしても気分が沈みがちになってしまいます。そんな時に両親(父親と母親)が気遣ってくれて、「とりあえず、落ち着いたら3人で話しようね。私達は医者じゃないけど、私達に話するだけでも、あなた自身、少しは気が楽になるかもしれないし…」実際に、「心」を許し合える「家族」に、ちょっとした些細な話をするだけでは、うつ病は治らないと思いますが、私自身、ほんの一時だけ、つらい「うつ病」が、気分的・心理的に、少し「楽」になります。「家族3人だよ、お父さん・お母さんとあなた、家族3人だよ」(親愛なる、お父さんとお母さん)静岡県 奈都江 さん ( 43 男性 )

がんばろうと思わないでゆっくり休もうよ。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん保健師の方から体調が良い時ほど仕事の手際が良いからがんばってしまう。身体が休もうといっているのでせっかくだからゆっくり休んだほうがいいよ。時々がんばりすぎる時がある(テンションが高くなって)どんどん仕事がこなせる気がして仕事をしてしまう。その反動があるから気をつけてほしい。茨城県 マルネ さん ( 57 男性 )

がんばらなくてもいいんだよ ゆっくりゆっくりとねことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私がうつ病になった時友人が言ってくれた言葉です がんばりすぎて、先がみえなくなり気力も失い人生をあきらめようと思いつめていたときに友人が私に、「がんばらなくてもいいんだよ ゆっくりゆっくりとね」と私を励ましてくれました。まだまだうつ病を治療中ですが、その言葉をはげみにして、うつ病とむき合って克服したいと思っています。長野県 モコ さん ( 38 女性 )

ゆっくり、自分のペースでやっていいんだよ。ことばをくれた相手:カウンセリングの先生 ことばを掛けられた人:患者さん2011年4月私は第一志望の大学に合格し、大学生活をスタートさせました。しかし5月中旬から精神的に不安定になってしまい、私は大学にいるカウンセリングの先生、地元の病院の先生のもとに通院するようになりました。その時の私はどん底で、不安や悩みで心がいっぱいでした。休養をすすめられましたが、勉強から離れて皆と遅れてしまう不安、こうなってしまった自分に対する否定感、周りに対しての罪悪感でなかなか現実を受け入れることができず、この世から消えたいと思ったこともありました。そんな時、大学にいるカウンセリングの先生に、「あなたは今までいっぱい頑張ってきたんだから、これからは自分のペースでやっていいのよ。」と言われました。今までの私は周りを意識しすぎて、周りのペースに合わせすぎていたところがありました。あの子はあんなに頑張ってるんだから、私も、もっと!と思う気持ちが強く、ぼろぼろになっていたこともありました。そんな考え方が少し変わり、気持ちが少し楽になったのです。今は気持ちも前向きになり、後期から大学に戻ろうと思っていますが、前期休んでしまった影響で留年してしまうことは確定しています。そのことにショックを受けていた時、母から「ゆっくり、自分のペースでやっていいんだよ。」と言われました。私の事もお金のことも将来のことも全て受け入れてくれた母の言葉に私も立ち向かわなければと思わされました。東京都 匿名 さん ( 18 女性 )

題名『寂しくてメールしてみた(笑)』 学校来たら一番に抱きしめてください いや、抱きつきますことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私がうつになったのは、高校生のとき。何に対しても全力だった私の初めての挫折。辛くて周りなんて見えなかった。友達はみんな、呆れてると思ってた。でも、それは間違いだった。学校に行けてなかった私に届いた1通のメール。読んでボロボロ泣いた。ありがとう。私は一人じゃなかった。群馬県 奇跡の高商卒業生 さん ( 18 女性 )

頑張って下さいね、でも頑張りすぎないで。ことばをくれた相手:上司 ことばを掛けられた人:患者さん病気が落ち着き、薬を飲みながらバイトをしていた頃のこと。初めは仕事が全くできず、「あの子全然使えない」と上司に言われました。でも、できないなりに頑張りつづけたところ、上司は少しずつ私のことを認めてくれるようになり、会う度に「何か困ってることや問題はないですか?」と聞いてくれました。自分のことを見ていてくれる人がいる。それだけで人は頑張れるのだということを、初めて知りました。その上司が異動になることになり、最後の挨拶をしました。そこで言われたのが、この言葉です。正直、泣きそうになりました。「頑張れ」と言う人はどこにでもいます。だけど、この言葉を言ってくれる人がどれほど貴重か。長年の闘病で、痛いほどに知っています。私は、未だかつて親にも言われたことがありません。これからも、頑張りすぎずに、頑張ります。岡山県 サニー さん ( 32 女性 )

貴方はたった一つのかけがえのない命。母はいつまでも見守っています。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私が仕事中に父から電話があり、母親が危篤と。3時間泣きながら車を飛ばしました。そんな時昔言われた言葉を思い出しました。薄々自分の命が短いと知っていたのでしょうか。私が支えなければいけなかったのに、逆に支えられ続けて、自分で生きていく事ができるようになりました。感謝・・・ありがとう。青森県 匿名 さん ( 37 男性 )

絶対大丈夫だよことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん私は「自分は社会に必要ないのではないか、死んだほうがいいのではないか」とずっと心の中で思ってました。でも病院の先生はそんな私の話を一生懸命聞いて頂き、私のためにいろいろと考えてくれました。そしてそんな私を「絶対大丈夫だよ」と笑顔で言ってくれたのが本当にうれしかったです。茨城県 ロイド さん ( 58 女性 )

しんどい時は休んだっていいし、帰ったっていい。今は仕事より病気を治すことに集中しなさい。ことばをくれた相手:会社の上司 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病で社内を転々と異動し、3度目になる休職に落ち込んでいた時、社長からあたたかい言葉をかけていただき、「会社に行かなければならない」という考えから「病気と正面から向き合っていこう。」という考えに変わり、とても楽になれました。今でも休んだ時に「すみませんでした。」と言うと気をつかうなと逆に怒られるほど(笑)うつ病でも明るく社会生活を送れているのは周囲の理解と、あたたかい言葉のおかげと心から感謝しています。京都府 ぺりどっと さん ( 27 女性 )

あなたを理解したくて、いっぱい本を読んだ。数倍がんばったから少し休んで!私達ずっと見守ってる。絶対に!ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんたくさんの人が心配してくれ、感謝の日々でした。恵まれたありがたいことだと思いました。でも、かけてくれる言葉の1つ1つは、何か余計に悲しく1人になっていくものでした。「早く元気になれよ!」「誰でも落ち込むことはあるから心配するな」「笑顔のあなたが好きだよ」「みんなと楽しいことをしよう」「気持ちを切り替えて」「漢方薬がいいよ」etc 今、この元気になりたくてもなれない、笑えないつらい私をしばらくこのまま受けとめて…。少しでも理解しようとしてくれた気持ち、守ってくれる人がいるという気持ちは、うれしくて心の支えでした。愛知県 弘 さらり さん ( 51 女性 )

それは辛かったですね。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん流産後、誰も(自分も)気づかないままうつ病になり、自殺未遂をおこした。それが原因で別居する事になり離婚協議をしている頃、病院の先生が言ってくれた言葉。流産してからずっと誰にも言われなかった言葉。おそらく私を気遣って、皆が流産の事にも自殺未遂の事にも触れなかったのだろうが、それが余計に辛かった。この言葉でその時の自分の状況を始めて認めてもらった気がした。東京都 りん さん ( 38 女性 )

ひとりじゃないから。わたしがきみをまもるからことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん言葉としてもらった訳ではないのですが、高校のときうつで悩んでいたときに母が僕に一枚のCDを手渡してくれました。それはAIさんの「STORY」という曲でした。歌詞の内容はひとりじゃないよ、きみが私を守ってくれるように私もきみを守るよ。というようなものだったと思います。聞いた当時は、何を言ってんだ。何もわかってないくせに!と思いましたが、でも確実にその曲は僕の心に残っていました。その後少しづつ良くなっていった今もTVなどでその曲が流れると涙が流れてしまいます。今では少しは母の気持ち、優しさが理解できるようになりました。感謝、しています。ありがとう、かあさん。北海道 シュンスケ さん ( 24 男性 )

働かないんじゃなくて、働けないんだよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん持病の喘息で入院、治療のための出費が多いので働かなければ・・・と焦りがあるけれど体力的にも年齢的にも、精神的にも働けそうな仕事もなくて落ち込んでいました。愛知県 匿名 さん ( 47 女性 )

ゆうちゃんは、死なない?ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん甥が生まれて2ヶ月後、私は県外へ転勤。その1年2ヶ月後、職場で倒れ、うつ病と診断されました。 それから約5年、私の症状は安定せず、実家で休養させてもらっています。ほとんど寝た切りで毎日を過ごし、自傷や自殺を繰り返していた私を、両親(妹夫婦)が共働きのため、実家に預けられていた甥は、よく見ていたんだと思います。今年の春先、突然「小学生になりたくない!」と泣き出し、ママ(妹)が理由を尋ねると、自分が小学生になると、周囲の皆が歳を取って死んでしまうからだと答えたそうです。ママが「小学生にならなくても、皆は歳を取るのだ」と諭した時の言葉です。祖父(父)や祖母(母)がいるにも関わらず、真っ先に伯母である私の生存を確認したと聞き、自分でも認められない私の存在を、幼心に認めていてくれていたのだと励まされました。石川県 ゆう さん ( 38 女性 )

俺が支えていくから、ゆっくり二人で一緒に頑張ろう。無理させてごめんな。ありがとう。ことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さん私が、パニック障害で頑張っている時に仕事が忙しくなり、そのままうつ病になりました。そんな私を見て、家族には、気持ちの問題とばかり言われましたが、当時付き合っていた彼は優しく手を差し伸べてくれました。今では、私の大切なパートナー。わかってくれる人はきっといます。旦那と、共にこれからも、うつ病と闘って頑張って生きたいと思います。青森県 RENまま さん ( 23 女性 )

あなたはあなただよ。遠いけど辛い時には私が居るよ。いつも傍にいてあなたの事を思い心配しているよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私は元旦那の浮気現場を目撃しうつ状態になりました。愛してやまない我が子の事もかわいいと思えなくなってきたので仕事の合間に精神科に行きました。自傷行為も激しく「まれにみる酷いうつですね」と診断。うつはどんどん酷くなり実家に帰省。入退院を繰り返しました。カウンセリングにも通い自傷行為等は良くなったのですが、根本的に心の休まる事はありませんでした。地方に嫁いでいる親友が帰省。その時に全てを詳しく話しました。親友は知っていたみたいで、全て話した後に私にこう言いました。「あなたはあなただよ。遠いけど辛い時には私が居るよ。いつも傍にいてあなたの事を思い心配しているよ。生きて。」と。今まで慰めの言葉は沢山頂きましたが、心に響いてはきませんでした。親友の言った「あなたはあなた」私を1人の人間として受け入れてくれた事、とても嬉しく支えになり、生きようと思いました。支えになってくれてありがとう。福岡県 イチコ さん ( 31 女性 )

足ふみでもいいから前を向こうことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん毎日の暴力や、生活に疲れはてて、「死ぬのも私の人生だからもういい」って自殺を、考えていたときに、 毎日電話で「前向こう」「一歩が無理なら足踏みしたらいい 気がついたら一歩歩いてるよ。」「後ろ見ないで」って約一カ月 私は、その場所から逃げれた。  それから9年今では再婚して毎日笑い声の絶えない生活をおくってる。福岡県 ゆり さん ( 49 女性 )

今は、何も考えなくていいよ。治そう、治るまでいつまでも待っているよ。ことばをくれた相手:その他 ことばを掛けられた人:患者さん正直、心を誰からも閉ざしてしまっていました。仕事を頑張り過ぎて、パニック障害、うつ病を発症してしまいました。私は、心臓がドキドキしすぎて、死んでしまうのではないかという、恐怖と孤独でいっぱいでした。何もやる気もなく、外出も出来ず、将来どうしよう…。真っ暗でした。そんな時、母はいつも一緒に居てくれました。病院、整体、どこでも一緒でした。眠る時も不安でいっぱいな私の手を握ってくれました。そんな中、友人から電話があり一緒にずっと涙してくれました。今は、そんな私も前向きになりドキドキも薬いらずで一人でも外出できています。その後百日咳になりましたが、治りかけています。次から次へと病の多い私ですが、治ると信じて生きています。千葉県 元気 さん ( 30 女性 )

たとえ世界中があなたの敵だって 私だけは いつでも味方だわ あなたは私の奇跡 あなたは私の希望ことばをくれた相手:アーティスト ことばを掛けられた人:患者さん私が病を患って、約10年が経ちます。その間にたくさんの温かい言葉を頂きました。その中でも、特に胸を打たれたのが、この言葉でした。 きっかけは、母とNHK連続テレビ小説「おひさま」を観ていたことです。主題歌のメロディに惹かれCDを買い求めたところ、この歌詞が耳に入り、私に生きる勇気を与えてくれました。 もう、10年も前になりますが、私の大切な人は、自ら人生に終止符を打ちました。それからの10年間は、私にとって自責の念と、罪悪感にさいなまれた、苦しく辛い旅路でした。 死別から10年という節目の年に、偶然出逢った歌を通して、天国から故人が私を守ってくれるメッセージをもらった気がしました。それと同時に、故人を想う、私の気持ちをも代弁しています。 歌の言葉が持つ力は、時に圧倒的です。私はこのすばらしい言葉を胸に10年後、笑顔でいられたら。と思いました。愛知県 匿名 さん ( 29 女性 )

大丈夫。ありのまま、自然な流れに任せましょう。自分の治す力を信じましょうね。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん昨年夏に自殺未遂をして、少し回復してはまた気持ちが落ち込むのくりかえしで、治療に停滞感を感じ、もう駄目だと感じていたときに、医師に言われた言葉です。諭すでもなく、強い励ましでもない。ありのまま、自然の流れでという言葉に焦っていた気持ちが救われました。家に帰ってその言葉を何度も反芻して、心のお守りにしています。医師の言葉はビートルズの、「let it be」の歌詞を僕に連想させました。もう何年も聞いてませんが、優しいオルガンの音に包まれた気になれます。千葉県 イッチ さん ( 32 男性 )

あなただけが悪いのですか? あなただけのせいですか?ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん職場でのストレスが何年間も積み重なり、さらにはパワハラのような叱責も度々受けていて、ついにはあるとき職場で勤務中に倒れてしまいました。よく寝られず、下痢や吐き気が続いていました。何日か休めば復帰できる、いや復帰しないと周りにまたいろいろ言われる…と思って、がんばって職場にいこうと思ったのですが、朝から食事がのどに通らないばかりか、吐き気が治まらず、病院に行って数ヶ月の休職が決まりました。そのときに治療に当たってくださった医師の一言です。職場で「あなたが悪いんだよ」「あなたの責任だよ」と言われ続けていた私は、自分の責任だと深く感じていましたが、カウンセリングを受ける中で、自分だけではなくて、様々な要因がからまり、積み重なって起こってしまったことだと、受け止められるようになり、立ち直るきっかけの一つになりました。福島県 匿名 さん ( 32 男性 )

大丈夫よ (と、繰り返し背中を優しくトントンしてもらった)ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん主人の実家で、調子が悪くて震えていたときに、膝枕してくれたり大丈夫よって何度も優しくトントンしてくれて涙がでました。それからはざわざわして不安に襲われるときはトイレにこもり大丈夫だからと自分に言い聞かせています。愛知県 ぷりん さん ( 36 女性 )

俺がうつ病を治してやることばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病を患っていると知りながら、付き合い始めた彼からの言葉です。茨城県 あさり さん ( 47 女性 )

あなたはあなたでいいのだこれでいいのだ。人は好き勝手言うから自分も思う通りやればいい。ことばをくれた相手:TVCM ことばを掛けられた人:患者さん私はパワハラ的暴言などにより体調を崩し、心身が崩壊してしまいました。2年半休職した或る日TVのCMでこの2つの言葉に出会いました。「あなたはあなたでいいのだ。これでいいのだ。」自分自身を消し去ろうと思い考えていた私に、自分自身の存在を改めて気付かせて貰えたこと。力を抜いて考える、ある意味「いい加減さ」を教えて貰えた言葉です。「人は好き勝手言うからさ、自分も思う通りやればいいんじゃないの」よく考えれば、耳を傾ければ、社会全体、人間社会は好き勝手なことばかり言っている自己中心的だと思いました。それならば自分は自分の思い通りやろう。そうしようと気付かせて貰えた言葉です。患者さんには周囲に嫌な言葉、暴言を言う方もいらっしゃいます。それは、「溜まっている物を吐き出そうとしている」と考えてください。改めて言葉を掛ける事はいりません。傍に居てあげてください。そして、笑顔で暖かく見守ってください。大阪府 れいるまん さん ( 51 男性 )

あなたのエネルギーの使い方はとても不器用です。でも不器用さは練習すれば治ります。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん僕はただただとっても疲弊しておりました。妻とは別れ、母親を亡くし、仕事を失い、夜は上手に眠れず、食事は喉を通らず、まさに砂を食している様な気分でした。自分なりにいくら頑張っても人生は好転せず、自然と涙があふれてくることもありました。自暴自棄にもなり、酒におぼれ、信頼とささやかな財産を失いました。そんな時に先生に頂いた言葉です。練習で治ると言われ、本当に救われました。東京都 NY152 さん ( 35 男性 )

何もできなくていいから 生きて そばに居てほしいことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん娘の不登校をきっかけに、いつのまにか「うつ」になっていました。毎日毎日、死に場所を探していました。そんな時、主人がだきしめて、この言葉をくれました。その一言で私はこの人の為に生きようと思いました。更年期により再発しましたが、軽く乗り越えられました。似た者夫婦なのか、現在、仕事の疲れから今度は主人が「うつ」になり、休職中です。しかし、私も経験したので、主人の気持ちを理解することができます。二人で、ゆっくりと生きて行きたいです。徳島県 ゆっくり、ゆっくり さん ( 49 女性 )

人生を楽しむことが出来るために手に入るものが欲しかった… 私は命を与えられた あらゆることを歓べるよう…ことばをくれた相手:本 ことばを掛けられた人:患者さんこの言葉は本に書かれてあった詩の一節で、僕は医療従事者や多くの支援者によって生かされているのだなぁと思えるようになり、周りの友人達と与えられた命を感謝し、生きることへの「喜び」についてプラス思考で考えていこうと思えるようになった。鹿児島県 masaru. さん ( 49 男性 )

お母さん、今まで一生懸命仕事や家事を頑張ってきたんだから、体を休めるようにしてくれたのよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん四年前に、仕事のストレスで、「うつ病」になりました。「うつ病」のさまざまな症状が続々と出て、辛く苦しい毎日を過ごしていました。これまで、家事、仕事完璧主義だった私が、毎日カーテンを閉めた部屋で眠り続け、苦しさのあまり、「助けて」とつぶやく日が続き、そんな私を助けてくれたのが娘でした。「うつ病」について、理解し、私の手となり足となり、私ができないことを手伝ってくれました。「ごめんね」と心配する私に、「お母さん、今まで一生懸命、仕事や家事を頑張ってきたんだから、体を休めるようにしてくれたのよ。何も心配しないでゆっくり休んでね。」と、私に言ってくれました。今こうしていられるのも優しい娘と家族の理解があったこそです。感謝しています。「ありがとう」現在も治療中です。熊本県 ローズ さん ( 53 女性 )

もうここまで来たら、粛粛と、やるしかないんじゃない?ことばをくれた相手:弁護士 ことばを掛けられた人:患者さん下の子が赤ちゃんの頃から、夫はパチンコにのめり込んでいきました。家から金目の物が失くなり、借金の督促状が次々に来る様になり、3人の子ども達の世話、家事、内職、頻繁な病院通いの合間に(今、考えれば、自分がしてはいけなかった、夫の借金に関する一連の事も…)、何とか返さねば!!の一念で、返済に明け暮れた毎日でした。私はかなり精神が不安定になっていて精神科を受診し、うつ病と診断され、内服を続けながら鬱鬱とした日々の中にいました。そんなクリスマス・イヴのある日、法務局から「根抵当設定」の葉書きが届いたのです。夫の実家から紹介された弁護士さんに事情を話す中で言われたのが、この一言です。なぜか、とてもハッとしたのを覚えています。それまで決断できずにいた離婚へ向け、家裁に調停を申し込む…という、最初の一歩を踏み出す事ができました。うつ病の薬を飲んでいたからこそ、自分の日常のステージを上げて、一歩一歩、今日まで辿り着けたのではないか…と思っています。私が受け取った粛粛と…とは、ひっそりと静かに、気を引き締めて事にあたる。。。というものでしょうか。今でも時々、この言葉が私の頭の中でリフレインします。埼玉県 GAギャマノン さん ( 56 女性 )

会話をしている時の笑顔が素敵ですねことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんもともと人と会って話を聞くことが好きだった私。子どもの頃から、どんな時でも笑っていられるというのが自分の長所だと信じて過ごしていました。しかし、仕事に子育て、家事、と慌しい日々を送っているうち、ふっ と気がついて、朝、洗面所で自分の顔が映った鏡をのぞいてみると、そこには能面のような硬い表情の自分の顔が映っていました。良いこと探しは得意だったはずなのに…あたりまえのように出来ていたことが出来なくなったことで、自分の心の支えがポッキリと折れてしまったようになり、何をやるにも大丈夫かな?と不安にかられ、自信が無くなってしまったのが、病気と気づいた始まりでした。じっくり休んで、同じ病気で苦しんでいる仲間に「笑顔が素敵ですね。」と言われるようになり、ホッとしたと同時に、見失っていた自分自身をもう一度見つけたような気持ちになりました。東京都 匿名 さん ( 46 女性 )

過去に犯した罪を、忘れるのではなく、善行(人に尽くす)を行うためのエネルギーとして生かしなさい。ことばをくれた相手:その他 ことばを掛けられた人:患者さん私は、死ぬことはまったく怖くはありませんでした。しかし、過去に3度のうつ病によって、会社、家族、親族などに多大なる迷惑をかけてきました。その、罪の念が、私から生きる希望を失わせ、うつ病を発症してしまったのです。そして、生きることが怖くてたまらなくなってしまったのです。3度目のうつ病を、克服できないのは、数多く積んできてしまった、悪業を、「薪(たきぎ)」だと思って、人に尽くすことも目的に、燃やし、そのエネルギーで、前向きに行動しなさい。との文を拝し、「そうか、自分が積んできた悪業を、善行を行うために、薪ととして燃やしてしまえばいいのか」と、思った瞬間に、気持ちが晴れてしまったのです。そして、去年の10月に長かったトンネル(約三年間の自宅静養)から抜け出せ、今年の3月に社会復帰を果たし、今日に至っています。埼玉県 ゲル さん ( 56 男性 )

ひとりじゃないよことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん思い起こせば、今から5年8ヵ月前に子宮筋腫で子宮全摘手術を受け、体は順調に回復したものの、人生に絶望を感じ日々死ぬことを考えていた。近くのクリニックに通院していたにも関わらず日ごとに悪くなり歩行すら出来なくなっていた。県立病院に3ヵ月入院し、以後同じ主治医の先生の下に通院している。その間に父が2度癌で手術したにも関わらずリンパ節移転で治療法なしで寝たきりで在宅療養、母はもともと呼吸器疾患があったが気胸術後COPDで入退院をくり返し在宅酸素療法を行なっていた。在宅での両親の介護、看護は大変であった。今年の4月に父、母が相次いで亡くなった時、主治医の先生に「ひとりじゃないよ」という言葉をかけて頂いた時にはすごく救われた思いになった。現在、通院治療中です。愛媛県 匿名 さん ( – 女性 )

お前大丈夫か心配したぞことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病になって実家に帰っていたときの事 その日はすごい調子が悪かったのですが、自分が独り暮らししている家に帰らないといけない日でした。そのときたまたま友達から電話があって、調子どうや?と聞かれて正直に、いまやばいと言った時の事、電話が終わってからすぐに友達が自転車で家の下まで駆けつけてきてくれました。その時にもらった一言 そして煙たがらずにわざわざきてくれた喜びが一番印象に残っています。大阪府 スモーク さん ( 26 男性 )

すごいやん。ことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さん知らなかったです。実は支えになるものって言葉よりももっと大きなものがあるということを。「俺がそばにいるよ」「俺が助けてあげる」こういう言葉を言ってくれた人もいっぱいいました。でも知ってますか?そういう言葉ってただ、重荷になるだけなんだということを。私はそう人からいわれると反対に調子が悪くなりました。今の彼は私の病状を理解してくれて、それ以上は何も言わない人でした。ただ、ずっとどんなときもそばにいてくれました。そして1日を上手くのりきれたときだけ、「すごいやん」の一言だけ。でもその一言にはいっぱい色々な気持ちが込められていて、時にはぎゅっと抱きしめてくれました。すぐにはよくならない。でもそれを長い目でゆっくりみていれば、支えられる。言葉よりももっと大切なものがあるんです。東京都 ちんた さん ( 30 女性 )

毎回毎回いい作品ができるわけないよことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん産後のうつで娘が3歳の時に半年ほど入院治療をうけました。その後退院したものの内服治療は続き、死にたい死にたいと思う日がくり返されていました。そんな時に温かい主治医の先生や主人、娘の支えで少しずつ気持ちに変化や明るさがとりもどされ今では本当に辛かった時期には考えられなかったような楽しみがたくさん感じられるようになりました。現在も治療中ですが、うつに改善の兆しが見えはじめた頃初めて地域の地区センターに押し花のカルチャー教室で通うようになって不安な気持ちがいっぱいの時にかけてくれた主人の言葉が忘れられません。毎回毎回いい作品ができるわけないよ、という言葉、その言葉に励まされ、期間限定でしたが無事カルチャーを終了させその後の大きな自信につながりました。病気療養中というのは感情の少しの変化でマイナスになったりプラスになったり不安定ですので家族という大きな器の中で養護される事がとても大事だと思います。その時の辛い気持ちを忘れずに明るく前向きに生きていきたいです。神奈川県 うさぎちゃん さん ( 45 女性 )

眠れた?体調はどう?ことばをくれた相手:職場の方 ことばを掛けられた人:患者さん発病して2年が過ぎ、今だ服薬しながらの治療を受けている。この病は、本人の自己申告でしか症状がわからないのが困ったものだ。患者にとって毎日は睡眠との戦いだ。1日がうまくスタートするかどうかは睡眠によって左右される。体調に波があるため当然働いている職場に迷惑をかける。通院しながら普通なら解雇処分だろう。それどころか「昨日はどう?眠れた?体調はどう?」こんな言葉をかけて下さる。健康な人にこの言葉の重みはわからない。自分を気遣ってくれる人が職場にいる。飽きもせずに毎日毎日聞いて下さる。ましてや体調が悪いとき事務の仕事をサポートして下さる。普通なら邪険に扱われても仕方がないような、こんな自分を心から心配して下さる。私は職場の方々に非常に恵まれた。ありがたい 大切にしよう。この職場で必要とされる限り、この人たちと末永く働いていく為にも、早く健康になって恩返しがしたい。長崎県 おじぞうさま さん ( 37 女性 )

私の時と同じことを考えてるから早く病院へ行ったほうがいいよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん時々行っていた夫の実家で養父に細かいことをくどくど言われ、夫も味方になってくれません。自分のことは棚に上げている養父母に対する怒りと、あの家に私はいない方がいい、それに気付かなかった自分が悔しくて毎日泣いていました。時々手紙を交換していたペンフレンドにどうしていいかわからない気持ちを書いた手紙を出しました。来た返事にまず書いてあったのがこの言葉です。彼女もうつになったことがあり、その時には同じことを考えたそうです。背中を押され、私は心療内科を受診しました、医師に「夫は自分にも他人にも厳しいから細かいことを言うんだ。」と言ったところ、医師は「自分に厳しい人は他人を許せる人なんだよ」と言いました。この言葉にもはっとしました。夫も自分に甘かったんだと思えました。今は夫の実家に出入りしないことで心の平穏を維持している状態です。長野県 匿名 さん ( 42 女性 )

親は無くとも子は育つことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん私がうつで、働くことはおろか家族に何もしてやれない時期が長くあり、妻と2人の子供を養っていくことに大きな不安がありました。また、家族を守らなければならないという責任感が私の病状を長く、悪くしたのかもしれません。そんな時、主治医が言ってくれました。私自身、母子家庭で育ったということもあり、私の役割は自分が考えるほど、大きくなのかもしれないと考えることができ、気が楽になりました。回復した今もその言葉を時々思い出し、自分に過大なプレッシャーをかけないよう気をつけています。京都府 匿名 さん ( 43 男性 )

死んでええ人間なんておらんねんで。大丈夫。俺と一緒に生きていって。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は数年前からうつ病になり、仕事も辞めなければならない状態に陥りました。結婚していたので、生活にも大きな変化となりました。主人が朝早く出勤すると、1人でいることが辛く泣く毎日。見かねた、実家の母が泊り込みで私たち夫婦を支えてくれました。それでも、なかなかうつは改善せず、自殺未遂もしました。入院もしました。母の泊まりこみ看病は2年半に及びました。だいぶ落ち着いたころ、又、夫婦二人の生活にもどりました。でもやっぱり、死にたいと思ってしまう時はありました。仕事をする人と自分を比べてしまったり、震災においても、頑張って支援する人と自分をくらべ、どんなに生きる価値のない人間なんだろうと…。周りと自分の違いが情けなくて仕方なかった。その限界が来た時主人に「死にたい」と、口にしました。今までに何度も言ってきた言葉。それなのに、主人は突き放さずに言ってくれました。それが、この言葉です。大阪府 ポッポ さん ( 37 女性 )

些細な事は気にするな。人生を2倍楽しく生きられるぞ。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん医師である父からの言葉。まさか自分はかからないと思っていたうつ病に自分がかかってしまった(と診断された)時のこと。これまで小さな事に葛藤してばかりいた私にとって、この言葉は励みとなりました。幸い軽度だったため、認知療法で済み、現在は回復していますが、治癒後も人生を歩む上での道標となっています。もし、自分のような境遇の人を見かけたら是非この言葉を贈りたいです。鹿児島県 とどろき さん ( 17 男性 )

無からはじまることばをくれた相手:詩人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病になって、つらくて夢をもっていた仕事ができなくなってしまった時、公園に行って、ふと展覧会をやっていたので入ってみました。入口付近にあったこの詩に、涙をこぼしました。失ってしまったものは、とりかえせないかもしれないけれど、また何もないところから始めればいいじゃないかと思い、今まで支えてくれた家族や恋人に感謝しました。作者は、障害者のおばあさんで、とても優しい方でした。うつ歴8年まだ辛い時もありますが、この言葉と、理解者に支えられてふんばっています。千葉県 小太郎 さん ( 34 女性 )

『適当』で良いんだよことばをくれた相手:職場の先輩 ことばを掛けられた人:患者さん私は、『適当にやれば良いんだよ』と言う、会社の先輩の言葉に救われましたね。CPA(心肺停止)⇒低酸素脳症⇒高次脳機能障害⇒休職⇒復職⇒うつ病といった感じの時系列です。1年半以上休職していたので、職場復帰は元部署には配属されず、もっと上の管理職のいる籍に配属されて、昔の仲間達と離れて自分の事を知らない方達がいる所で仕事になりました。今まで迷惑を掛けた分を会社に返そうと、ひたすら頑張りました所うつ病になりました。隣がうつの経験者の先輩で、題目の言葉を言われました。人に知られたく無いはずの経験を敢えて、言ってくれて良かったです。フッと心が楽になりました。今もなお、脳委縮の為季節的なうつ病を持っていますが、仕事は適当に、趣味のフィットネス通いは一生懸命頑張っている日々が続いてます。静岡県 大輔 さん ( 32 男性 )

♪はしってもあるいても地球のスピードは同じです~♪ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は44歳のマル高ママ 4月から娘は幼稚園、幼稚園の生活に慣れてきた頃、ちょっとしたことがかさなり、体調をくずして、いちいち家事を休まないと動けない状態から、寝込むほどになりました。娘の世話も夫がほとんどで、私には近づかない毎日、夫と楽しそうにしている娘。一時は、自殺を考えた時もありました。そんなとき、なんとなく、子供番組でかかっていた フックブックローのテーマ曲が 流れたとき 夫が「ほら、『はしってもあるいても地球のスピードは同じです~』っていってるじゃん!」と言ってくれたのでした。♪急ぐときほどゆっくりいこう かなしいときほどにっこりえがお どの歌詞をとってもいい歌です。心に響きました。いつも頼りなく思っていた夫から、どれだけ勇気づけられたか ハッとさせられた瞬間でした。今でも薬を飲んで治療中です。長崎県 なおママ さん ( 44 女性 )

仕事を断れるようになるのが大人だ。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん「うつ病」で、5年間最小限の仕事以外は引き籠もっていました。主治医は、週2回の診察の度に、面白いことを言ってくれました。勤務しながらの通院でしたが、ともかくやらなくてもいい仕事は断りなさい。頼まれると引き受けてしまうから苦しくなる。真面目な人ほど「うつ病」になりやすい。「仕事を断れるようになるのが大人だ。」なるほどと思い、気持ちが楽になりました。今また、「寛解」状態になると、つい引き受けてしまいますが、もう少し大人にならねばと思うこの頃です。奈良県 赤石仙夫 さん ( 59 男性 )

お母さん 大丈夫だからね あやのちゃんがいるからねことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さんあやのというのは3歳の娘です。定期的にPMSでうつを発する私は 月に一回ほど 些細なことが癇に障り 家事から逃げ出したい衝動に駆られます。(仕事は正社員として勤務してます)うまく事が運ばず、涙したり物を投げたりする私に娘は「お母さん あやのちゃんのお母さん」と抱きついてきます。その姿に 癒される半面 「こんな小さい子にまで気を遣わせてるのか」と落ち込みますが。鹿児島県 けまる さん ( 43 女性 )

背中の重荷が軽くなったんだから父さん休職したらいいよ。ずっと頑張ってきたんだから休めばいいんだよことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族心臓をバクバクさせながらつらい思いで毎日会社にいく主人。そんな中、就職難に負けず大企業に末っ子の次男が合格。夫「うちの家族は就職にしても何にしても家族一丸となって頑張るよね。それが我が家のいいところだ。」長男「背中の重荷が軽くなったんだから父さん休職したらいいよ。ずっと頑張ってきたんだから休めばいいんだよ。」 世間体を気にしていた私は恥ずかしい。こんな家族を誇らしく思える。広島県 すずちゃん さん ( 52 女性 )

身体を適度に動かし、人と人が触れ合い「からだ」の感覚を取り戻すことで、心身の自然な働きを整える事。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:ご家族今は亡き母が、うつ病になった時に病院まで送迎した時に「ボディワーク」というグループ運動表現療法をしていました。患者が2人1組になったマッサージから始め、体がほぐれると、部屋を暗くして目を閉じ、横になりくつろぐ。続いてゲーム。ひもで作った輪を1人ずつ体に通し、その輪をリレーする。音楽に合わせて踊り、最後にみんなで輪になって「ワーッ」という大声を上げ、1時間程度で終わる療法でした。滋賀県 琵琶ちゃん さん ( 64 男性 )

放課後のクラブのバスケットをしに学校へ来ないか?皆、待っているよ。ことばをくれた相手:クラブの顧問の先生 ことばを掛けられた人:患者さん学校へ行けなくなってしまった。自分では行こうとしたけれど、行かれなかった。つらかった。普通に毎日家に居た。担任も気にかけてくれたけれど、呼ばれても行けなかった。でも、クラブ活動は好きだった。クラブの顧問の先生から「バスケットをしに来ないか?」と言われた。すぐに用意して、学校に行った。バスケットができた。仲間とも今まで通りに活動できた。とても楽しかった。学校の単位はとれなかったけれど、バスケットを思い切りできて気分が良かった。自信につながった。それからは、無理しないで自分のできる事を見つけてやった。資格もとったりした。何とか病気とつき合いながらできる事を続けていきたい。長野県 パスシュート さん ( 24 女性 )

誰でもかかる普通の病気です。たまたま気になるだけです。あなたに合った良いお薬を一緒に探しましょう。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん意を決してメンタルクリニックに行った時の先生の言葉です。それまで「大丈夫?無理しなくていいからね。」と心配する家族や友人の声も心には届かず、『頑張らないといけない!』というあせり、脅迫概念に押しつぶされかけていた時でした。特別な病気でない。だから病気に対する薬で解決できるという「救済策」の存在にまず安心し、それを先生が一緒に見つけてくれる=私に解決策があると認識できたことが、大きな救いでした。今思えば、その時点で半分治っていました。もちろん、その後「人間一人の思い悩みなど、地球レベル宇宙レベルで見れば、ノミの悩み以下の大きさで、誰も構わないのだ。」という先輩の言葉や「あなた一人が頑張っても会社は何も面倒みてくれないわよ」という妻の声もだんだん心に届くようになり、加速度的に快方に向かいました。東京都 Stone3 さん ( 51 男性 )

元気が出るときに出せばいいからねことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん母が言ってくれた言葉です。元気を出そうとも思わなかった日が続きましたが、元気になれました広島県 よまたけ さん ( 27 女性 )

2016-03-06 15:38