再現が難しいのか、もともと再現なんか出来っこないのか、しかしいずれにしても、世界中で再現実験をして、「できません」という結果が出ることは承知の上だったと思う。それに対しての対応も用意できていて、それ自体はあまり心配していなかったのだろう。
そこまではまあこれまでもあったし、ありそうなことだとも思う。iPS陣営に対しての対抗策がない以上、無理・アクロバット・嘘をするしかなかった、とも言えるが、予算を削られると言っても、首になるわけでもなし、こじんまりとアイディアを練って、地道な研究をしていればいいだけで、iPSの景気の良さに比較して気分は良くないが、しばらく我慢すればいいだけだろう。しかしこのような無理をするのは、予算がないとちょっと困ったことになるという特別な事情があった可能性はある。
理研は印象としては「組織ぐるみ」で予算獲得と特別法人格上げを画策していたようで、
正直いって、現状でも充分に居心地のいい環境なのだから、なぜ無理をする必要があったのか、その理由に関しての邪推がいろいろと出ている。
問題の人をユニットリーダーに抜擢した人事についてどう考えたらよいのだろう。ぬるま湯の中での情実人事、取り入るのがうまい世渡り上手の女性と、まんまと動かされてしまった男性上司いうだけのものではなくて、はじめから大きな嘘の花火を打ち上げようという画策だったのではないかとの意見もある。そこには自民党も株式会社も絡んでいる。笹井氏が幹部としてポジションを確保するためには、自分の業績を汚すことになるかもしれないというリスクを犯しても、渡らなければならない橋だったということになる。
割烹着を披露してマスコミに登場する時点で別次元の話であることが明白になったのだと思う。
予算を獲得、特別法人化したかったというのだが、そのために割烹着演出が有効だというなら、予算分配の制度を改正しないといけない。
論文関係者の関与するベンチャー企業の株価がどうしたとか、自民党町村氏の言動とか、そのあたりもいろいろに推定されている。
よくわからないのだが、予算分配と特別法人化のプロセスで、このような無理をしないといけないものなのだろうか
世間にはよくわからない難しい話、しかも巨大産業になるかもしれないビッグプロジェクト、という宣伝だけで
充分なのではないだろうか。
使い回し写真など割烹着に反応するレベルの人が反応するような手違いを、いくつもちりばめた問題論文。組織として動いているなら、それなりにもっとクオリティの高いものであっても良かったはずである。博士論文の写真がそのまま流用されていたという分かりやすさ。そして、捏造写真を貼るなら、どんな未公開写真でも、理研内部には転がっていたはずである。それをよりによって博士論文掲載の写真とは。まるで誰かにはめられたような事件。理研を解体しろとの意見まで出るだろう。とまあ、こんな流れで見る意見もある。
自己保身がひどいとか言うのだが、自己保身を考えるなら、もっと最初の時点で自己保身していたはずだろうと思うが、それが外れてしまったのはどういう事情なのだろう。
世間にどう思われるかだけが大事で、科学者仲間にどう思われるかはもうどうでもいいというなら、プロ野球選手が政治家になるようなもので、そういう道もあるのだろう。
特許の話もでているが、誰もできないのだから製品化も難しいだろう。抽象的な特許として成立する可能性はないでもないのだろうが、利益を生み出すとも考えられない。
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事件そのものはまだ途中経過なので見守るしかないし、余計な邪推をしないほうがいいだろうが、
それぞれの時点で世間はどのように反応したか、また科学者集団はどのように反応したか、さらに自民党はどう反応したか、
それぞれを観察するのは興味深い。
日本人は昔からこうだよなという諦めだけではない、
最近の日本人はこうなのかとびっくりするようなこともいろいろ
集合体として、日本人は変質し始めているのだとの意見が、とても説得力を持っていると思う
何が変えてしまったのか
どう変えてしまったのか
その観察には好適の素材である
うつ病はじめ精神疾患の表現形の変質とも関係する一連の変化なのだろう
ーーー以下、現状でネットで流れているいろいろな感想や意見を断片的に紹介
口がうまい奴が上手に言い逃れればそれで通る世の中になってしまった
英国人女性を殺害した市橋達也容疑者がイケメンであることから、女性のファンクラブまでできて彼女らが裁判所に傍聴に押し掛けた愚行があったが、倫理も正義もへったくれもない、ただただ快か不快か、面白いか面白くないか、で判断する刹那的な人間が増えている
STAP発表後暴騰したバイオ株の問題、誰がもうけたかの核心に迫る記事もなく、これでは文系週刊誌の存在意義はない。
この国は昔から誰も責任をとらないし、近頃では当たり前の倫理観が崩れ始めてる。
現在科学予算が大幅カットされつつある欧米の研究者たちは、日本の研究者と共同研究することで、予算が潤沢にある理研の研究費を狙っていると。ハーバードのバカンティ教授もその意図で、小保方氏を駒として使うことで理研の研究費を引っ張ろうとしたということ。いわば、外国人研究者は、日本の研究予算を自分の財布代わりにしようとしている。
今回純情理系中年男の暴走やR研の杜撰な人事を知った国民としては、某国のハニートラップがきわめて心配だ。O嬢より美人でグラマーな研究員を送り込み、先端技術を盗むことなど、赤子の手をひねるようなものではないか。
記者の質問に、完璧といえるほど的確に答えていましたが、問題の画像についての質問には、卒論なので流用に当たらない、とポイントずれた、小保方擁護の返答をしていたと思います。
フジ、安倍晋三、幸福の科学が直結小保方晴子の擁護と「STAP細胞」の正当化のキャンペーン
金さえあれば、有能な(?)弁護士が黒いドブネズミも白いマウスに変えてくれます
五輪招致で「汚染水ブロック」「アンダーコントロール」と言った安倍晋三にそっくりな感じがしますね。一部の人々が異様に擁護している所もそっくり。
「すぐばれるような捏造を何の得があってするのか?」
Nature論文リバイズを「企画」した責任者は誰なのか
「わたしは知らない。責任はとらない(理研はやめたくない。辞任もしない)。若山先生がひとり悪い。」といっているように理解できる
理研は第三者と共同して遺伝子解析をして、それが偽でないかどうかを確認するべきだ。もう、そういう露骨な調査が必要と思う。もしくは、多くの識者が指摘しているにもかかわらず、それをしない理由を、公表すべきではないか。
バイオ株のインサイダー疑惑
1)理研は、大型予算を獲得できる研究を求めていた。2)STAP細胞は、格好のテーマに思えた。3)海外有名雑誌に論文が掲載されれば、国を説得しやすい。4)しかし、過去に「愚弄するな」と掲載拒否にあっている。5)理研で、主だった数名による戦略会議が開かれた。6)有名雑誌に何度も掲載されている笹井氏がテコ入れすることになる。7)笹井氏は、有名雑誌に掲載させることが使命となった。8)理研の利益に沿う行動の方が、科学性より重視された。9)笹井氏も小保方氏も、無理をすることになった。
櫻井よし子が、恐い顔でジッと小保方晴子の映像を見ていたのが印象的だった。権力者を手玉に取ってのし上がっていく女性をいっぱい見て来た桜井氏なので、同性のやり口は熟知している。そんな女性たちのその後もよくわかっているはずだ。諸行無常STAP細胞を作る特殊技能をお持ちのような小保方氏。それは言語化できない秘伝なのだ。現代の秘儀、魔法だ。「前近代性」「紅茶きのこ」の例えは傑作だ。紅茶きのこに狂奔した国民性はまったく変わっていない。と言うより、真贋がわからない人間が増えている点で、もっと劣化している。
入院している、精神的に参っている、そんな状態で会見に出てるんですよ的な甘えはどこから出てくる?
たまたま適性がなかっただけです、研究以外の職では役に立つ人物かもしれないのです。
町村元官房長官の小保方氏擁護は、こんな文脈で語られていたことを知って唖然。「官房長官だったときに男女共同参画も担当していて、女性が活躍していない部門は三つあると感じた。国政と各省庁の幹部、大学の教授や助教授は女性の比率が低い。国政というのは、もっと平たくいえば、実に自民党の問題ということですよ。民主党や共産党などは女性が多くいますからね。女性が輝ける国にするため、女性だけでなく男性にとっても重要なテーマという意識で取り組んでほしい」この文脈で、「小保方氏は一生懸命やっている」「バッシングされ過ぎてかわいそう」と言ってるわけである。ピント外れも甚だしい。竹内健中央大学教授が言うように、小保方氏はマジメに仕事をしている女性の敵なわけだが、それがわかっていない。アベノミクス成長戦略「女性の活躍」か何か知らないが、やり慣れないことをするからピント外れになる自民党。若い女性が政治に進出すると「美しすぎる市議」とかなんとか持ち上げるマスコミと同じメンタリティー。これだと、「成長戦略」で表に出てくる女性は、実力もないのに自己顕示欲だけは強くプレゼン上手、おっさんにすり寄ってのし上がろうとするタイプばかりになりそうな気配。
先日の小保方会見に際して氏のいかがわしさに関して某ネットに書き込んだところ、批判が殺到しました。曰く「ブスの嫉妬だ。美人を苛めて嬉しいのか」また「これはSTAP細胞を横取りしようとする外国の陰謀だ。小保方論文を撤回させた後自分たちで『発見』したことにするつもりなのだ。それに加担するつもりなのか」前者は論外として、後者は典型的な陰謀論で、浅薄なネトウヨが飛びつきそうです。世界中の誰も追試に成功しないものが「横取り」されることを憂うのも不思議な話ですが、そもそもこれは小保方氏の矛盾や虚偽を正当化するものではありません。弁護士司会による質問分断会見で氏の周到なメイク&ファッションに誑かされた方々によって話が歪められてゆく一例だと思います。「STAP細胞の有無」は小保方氏によっては証明できません。200回も成功なさったのにあんな論文しか書けない方に何が期待できるでしょう。細胞の有無に関しては他の方々のお手を煩わせるとして、さて問題は小保方氏の不正問題です。この点についての真実を問うべきです。理研うんぬんに話をそらさずに。
小保方氏に対する擁護。小保方氏へマイナス発言する者に対しての稚拙で浅はかな批判。日本の将来が怖い。世間の常識レベルが崩れすぎている。一事が万事、このレベルで物事が流れていくのかと思うと末恐ろしい。
どこかの発表だと、小保方批判よりも激励・擁護的なスタンスの人が多いという(一般人の)アンケート調査結果らしいです。まあそれも、「ねつ造」の可能性はありますが、多数意見と違う意見を自分が持つことに不安を覚える国民性ですから・・・そういう状況は、会見を開いた弁護士サイドにとっては「してやったり」ですね。
こういう専門的学術的な問題に関し一般人の「印象」はまったく無意味で、それをわざわざ、ニュース的に取り上げる側に何かしら意図があるように思われます。そもそも上手に演技して自分のことを売り込む人だからこそ多くの専門家をも(一時的だけど)だませたのですから、一般人が科学常識や論理性を無視して「あの人は誠意がありそう」「スタップ細胞の研究を外国に乗っ取られないようにせよ」なーんて、短絡してるのも無理無いですね。
小保方氏擁護の流れは日増しに強くなってきているように感じます。気になるのは「STAP細胞が作製できれば小保方氏には問題がなくなる」という考えがあちこちで出回っていることです。これはとんでもない話で、結果が正しければ過程はどうでもいいという、科学の根幹を蔑ろにするに等しいことです。実はこの考え方は「成果主義」と軌を一にしています。10年前あたりからよく言われ始めた「成果主義」ですが、結果部分だけで評価する、すなわち複雑な過程については関知しない、という考え方です。これは無知で不勉強な人間にとってはまことに都合のいいものです。何も知らなくても、現場で粉骨砕身している人間を「結果が出ていない」の一言で一刀両断にできるのですから。論文に関する不正や疑義について理解できない人たちが小保方氏の容姿や振る舞いにほだされて擁護するには一番便利だったのでしょう。成果主義のお粗末さにも気づかず、AKBを応援する感覚で小保方氏を擁護する態度こそ、論文不正にも勝る「科学を蔑ろにする行い」ではないでしょうか。
第一印象というのは人からなかなか抜けないものなのだと勉強になりました。あんな論文を書いた人が何を言っても本来説得力はないはずなのに、なぜ皆さん熱く信じるのでしょう?日本人の倫理性・理性はどこに行ってしまったのでしょうか?
結局、今回の混乱の本質は、研究が詐欺的であったことより、権威づけが詐欺的であったことによる。そのせいで、専門分野の小さな出来事が、広く社会的な出来事となった。かくて、大混乱が起こった。 その責任の大部分は、小保方さんという無能な女性にあるというよりは、Nature への投稿を決めた人と、Nature への論文を執筆した人にあるのだろう。(どちらも同一人物。) というのは、ゴミ論文をゴミ論文のまま投稿しておけば、何の混乱もなかったはずだからだ。単に「疑わしい研究」という扱いのまま、歴史に埋もれていただけであるはずだからだ。(「再現性が取れませんでした」で、おしまいとなったはずだ。)
どうしてこんなに易々と騙されてしまうのか理解できない。今でもSTAP細胞があるかないかが問題で論文の「些細な間違い」などどうでも良い、小保方さんは凄く痩せていてかわいそう、小保方さんは誠実な人などというテレビタレントの声がお茶の間に届く。
この事件に関して多くの人がコピペなど大したことではないと言う。日本はいつの間にこんなに恥ずかしい国になったのか。
調査委員長の石井俊輔は、小保方晴子からのヒアリングの結果として、「画像の切り貼りは、やってはいけないことだという認識がなかった」と説明している。
小保方晴子が提出した博士論文は、人の想像を超える滅茶苦茶な代物で、単に序論をなすBackgroundの20ページを米国のサイトからコピペしていただけでなく、論文の中で最も重要な、実験結果を示す画像を、何と、コスモ・バイオ社の公開サイトからコピペしていた。さらに、博士論文の第3章の参考文献リストは、台湾の研究者が論文で発表したものがコピペされ、驚くことに、著者名でABC順に並ぶ文献リスト53件が、途中、Pのところで省略され、上から順番に38番目までがコピペされるという凄絶無比なコピペだった。
日本人から「不正を憎む心」が消え、社会正義の理念と常識が消えてしまった。日本人の内面が変わったのだ。日本人は、他者を正しく観察する識眼を失い、詐欺師に騙されやすくなり、規範の拘束から解放され、人にやさしく自分にもやさしく、不正にも悪にもやさしくなり、そして、「呪術の園」で群れるだけの無知で非理性的な人間(動物)になった。
不正をしようがハッタリをかまそうが、人生やったもん勝ちの風潮になっている。倫理の崩壊。常識が通用しない。結局、正直者がバカをみる世の中だ。
こうして、そのマスコミの空気に乗せられて、小保方擁護派ばかりが無闇に増殖する状況になった。研究不正の問題はどこかへ消えてしまった。多数となりつつある擁護派にとっての「小保方問題」とは、すなわち、「小保方さんを理研とマスコミと世間がいじめる」問題となって、もはや構図が変質してしまっている。「研究不正」の問題ではなく、「弱い者いじめ」の問題にすり替わった。理性を欠く大衆がそこに意識を集中させ、口角泡を飛ばして議論に熱中している。今、叩かれる対象になっているのは、理研と小保方批判派だ。
再実験などという道楽は街の好事家にでも任せればよろしい。歴史と伝統を誇る天下の理研が税金を使って行うべき事業ではないでしょう。
彼らの得意技であり、一番の問題点である「嘘による対人操作」が、功を奏して、大勢の信者が製造されていると感じます。
人が騙されやすくなっているのではないか。人が人を簡単に信用する心性になってしまったから、だから事件が増えるのではないか。
今の社会の一般風潮は、不正やルール違反に対して奇妙に寛容で、それを厳しく咎める意識を欠いている。渡辺喜美も見逃された。DHCの吉田嘉明に対して、顔を見せて釈明しろと迫る者がいない。東電の嘘と出鱈目な言い訳ばかりの会見に追及がない。福島の事故は刑事事件にならず、誰も責任を問われなかった。撒き散らした放射性物質は「無主物」で済まされた。籾井勝人も、百田尚樹も、長谷川三千子もお咎めなしのお構いなしで終わった。日中平和友好条約という日本にとって重要な国際法をバイオレートし、中国との関係を壊している安倍晋三に対して、誰も何も言わない。憲法という国家の最高法規を犯して蹂躙している安倍晋三を、法と規範の視点から正しく批判する者が出ない。ノバルティスファーマのデータ捏造事件で逮捕された人間がいない。警察が捜査に動いていない。カネボウの白斑化粧品事件でも逮捕者が出ていない。警察が捜査していない。1970年代とか1980年代の日本だったら、こんなことが許されただろうか。
「人にやさしい社会」はフラットではない。強者の不正には甘く弱者のそれには厳しい社会。渡辺喜美、小保方、東電、皆強者だ。一方ここ10年来のネット界隈でのマジョリティは死刑賛成論ではないだろうか。生活保護や障害年金受給者に対しても上記強者に対するのと同様のやさしさはあるだろうか。ブログ主が常々指摘している格差の問題がここにも大きく横たわっている。果たして今の強者に対する「やさしさ」は同情や共感といった自らの倫理観、人生観からのプリミティブな感情の発露なのだろうか。上手することでの「おこぼれ」の期待、被支配者がその置かれた立場の直視から逃れるための支配者の「苦悩」への理解。そのような手段としての無意識に行われる「やさしさ」。今の時代はやさしささえも欺瞞の香りに満ち満ちている。
弁護士ではなく「人権屋」として商売している者がいる
関西で著名な弁護士が即座につくあたり、家族親族だけでなく、もう少し組織的というかなんらかの支援があるのですかね。
軽業師のごとく、小保方晴子は「外国法事務弁護士」と「日本弁護士」の両方を依頼人にした。この案件では、特許がからみ、また日米間をまたぐ渉外案件を取り扱う「外国法事務弁護士」を要するのだが…いったい、その着手金とは幾らか?普通の人々が拝む金額ではありませんよ。想像をこえる額になっているに違いない。
小保方晴子事件。これは「ソクラテスvsソフィスト」の問題なのだと、ずっと言い続けてきた。重大な思想的事件なのだと言ってきた。その認識がなかなか広まらないのが残念だ。この問題は「弱い者いじめ」の問題ではない。ペテン師が巧みに「弱い者いじめ」を偽装し演出して世の中を欺いている問題だ。
ニセモノが横行する社会。ニセモノが本物だと僭称して大手を振って闊歩する時代。要するに、大衆が騙されやすいということだ。小保方晴子がウソをついて世間を騙しているということは、少し考えれば誰でも分かること。それなのに、何で擁護論が多数になるのか。
2015-12-23 04:18