精神病の軽症化

精神病の軽症化の原因が論じられている
私の考えは日本人が太ったからではないかと思う
昔は痩せ型に統合失調症が多く肥満型に循環病が多いと言われたものだ
統合失調症は相変わらず発生するが肥満していることによって重症化はしないですんでいるのではないだろうか
重症化のプロセスを肥満が妨げている
古代においては統合失調症のプロセスが始まっても栄養のいい個体については重症化しないで済んだとすれば生殖も行われて子孫も残ったのではないだろうか
ーーー統合失調症と躁うつ病は同じ家系から発生することもありその観察から精神病になりやすい遺伝子というものはあり不明ではあるが何かの環境要因が協働することで統合失調症となるか躁うつ病となるか発病しないで終わるかが決まるのだと考えてもいいことにはなるだろう
その協働因子と肥満や栄養状態が関係していないだろうか
ーーー日本人はとても太った生活習慣病が増えた睡眠時無呼吸が増えたオペをしても脂肪かき分けで時間を取られる洋服のサイズも変わった
結核が少なくなったのは栄養が良くなったからだろうし重篤な感染症が排除されているのも栄養と社会全体の衛生状態が原因だろう
ーーーなぜ統合失調症が軽症化しているのか
考えてみれば結婚へのプレッシャーが減少し仕事へのプレッシャーも減少している社会全体のことを考える必要もなくなりPCや携帯で自分の好きな世界とだけつながっていればよい社会的存在に成長する必要がないそんな社会は統合失調症への圧力が少ないはずだ
ーーーPCや携帯も日本人を太らせている
太らせれば統合失調症が重症化しないのだとすればそれはそれで良い解決だろうと思う
ーーー江川も掛布も山本浩二も痩せていた
最近の野球選手は相撲取りとほぼ同じ感じの人もいて驚く
ーーーそして過食嘔吐が数多く発生する
ある人は衝動的だしある人は非合理的におまじない的思考になっているしある人は愛している人に肯定してほしいだけだしその他さまざまな背景がある
しかしそうしたものはあくまでも背景にあるのであって現象として繰り広げられているのはたくさん食べたらなんとなくほっとすること血糖値が上がればすこしはしのげるしかし太ってしまうことは自己肯定の要素を一つ減らしてしまう
痩せていることが自己コントロール感につながり自分をコントロールできている感じは自分が有意義である感覚につながるそして自分を肯定できるようになる
一見すると痩せていることが女性の場合のセックスアピールと重なる気がするのだけれどそこは怪しいそんなものはあくまで性格の問題である
現在の食料事情と衛生状態(たとえば寄生虫がいないこと)から見てやや太るのが当然であって痩せていることはやはり消化器系統の不安定さがあるのかよく言われることだが価値判断に特有の傾向があるものなのか
原始人の骨が発掘されたりするとそれをもとに顔面の筋肉、脂肪、皮膚を推定して昔の人はこんな感じと復元していたりする
これが可能なのは骨格が提示されればそれにふさわしい健康な状態の筋肉、脂肪、皮膚を推定できるからだがその推定は多分時代の栄養状態とか価値観を反映しているのだろう
たとえば現代でも道を歩く人に関してその骨格ならばおそらく健康な筋肉や脂肪や皮膚はどうかを原始人想像図と同じ意味で推定できるそこからいえばやはり、不釣合に痩せているひとが多いのも事実だろう
昔からの感覚で言えば妊娠していないのだから痩せているはずという感覚に繋がっているのだと説明されるお腹が出ているのは肥満で内臓脂肪があるからなのか妊娠しているからなのか区別ができないなどと酒飲み話で話したりする
妊娠している女性とセックスをして自分の子どもでないのに養育を義務付けられたりしたら大変な話だから自然と男性は注意してリスクを回避するのだという愛している女性の子供なら面倒みてもいいという考えはその人にはないらしい
問題なのは骨格から推定される健康な身体のイメージとセクシャルな身体のイメージが一致しないことなのだろう不健康だけれどセクシャルか健康だけれどアンセクシャルかという二者択一になる
セクシャルということはあくまでメタファーであってもっと広く、愛されて、肯定されて、価値を認められるという意味である親に認められることなども大きな要素である
その場合に、一番愛している人に、ほんとうの姿は決して見せられないというジレンマが発生する
そのジレンマは本質的、根源的なところなのに、治療者があっさり、その人に本当のことを言わないと治りませんよなどというそれはそうなので、それができたら、もうすぐ治るのだもうすぐ治るはずの人を治しても仕方がないそうしないで、自然に言えるようにするのが治療というものだろう
日本昔ばなしの鶴の恩返しで「つう」は最初から自分はつるで恩返しに来ましたそのために自分の毛をむしって機を織りますと説明すれば話は簡単になるそうすれば「つう」は与ひょうと幸せになれたのだろうかそんなはずはないぶち壊しな発想である
つうの抱えるアンビバレントをどう考えてもなかなか解決はない恩返しに徹すればいいのだけれどそこは生き物、少しは他人によく思われたいのである
恩返ししたいだけなのだけれど少しは愛されたい
与ひょうにすれば機織りなんかしてもらわなくても美しい妻がそばにいてくれるだけで充分に幸せだったはずなのだと思う充分な恩返しであるそれなのに機織りをして不幸を招く
それはなぜなんだろう
アンビバレントの解決のしかたというものを考える
食べたい vs 痩せたい これがアンビバレント普通の解決は痩せたいなら食べない食べたいなら太っても仕方がないこの二者択一であるしかし中には「吐けばいい」、そうすれば二つとも実現できると発想する人がいる平面の矛盾を立体で解いている
アンビバレントな状況が発生したときに一般にどちらかを諦めるのが普通であるそれをしないで両方を手に入れるような工夫を見つけるその工夫は頭のいい考えのようで実は不幸の始まりである
つうはいくつものアンビバレントを新しい発想で解決したかのように思える平面の矛盾を立体で解決するようなところがある
つるだけどあきらめないで人間の女になる自分を傷つけるけれど毛をむしって機を織る与ひょうをダメな男にするけれど高価な織物を与える正体を知られてはいけないのに覗いてはいけないと言ったりするから悪いのは覗いた与ひょうになる
一般化すれば成長に伴い変化して交代するはずの価値観を交代しそこなっているのかもしれない
妻になれば娘の夢は捨てなければならないし母になれば女の夢は捨てなければならないその局面で価値の入れ替えをして新しい安定に至るのが変化であり成長である古い価値観は内側にしまい込まれて階層構造をとる
古い価値観が下に沈まないで表面に出て現在の価値観とアンビバレントな状況になる
家庭は捨てられないが新しい女も捨てられないこの場合は新しい女との恋愛が成長の古い層の欲望である新しい層の欲望が家庭を捨てられないである
食べたいと痩せたいで言えば食べたい欲望が古いもので年頃になって痩せたい欲望が新しい層を形成するこの転換がうまく進行してくれればいいのだけれど食べたい欲望が内側にしまいこまれないで表面に出ているとアンビバレントになるうまく順番に層構造になって玉ねぎのようになってくれれば円満である
欲望の層構造を整えるのが普通の成長だがそれをしないで平面の問題を立体で解決しようとして吐くことを発想する

2015-07-17 03:17 

あと考えられるのは文化の均一性ではないかな。小さいころからテレビなどで均一な文化に接し、特に衝撃を受けることなく生きてゆく。