ロボットや人工知能

いままで、家の中にロボットや人工知能が入ってくるというイメージは、「ドラえもん」のように人型を模したロボットが家事をやってくれる、みたいなものでしたが、どうもそうではなさそうですね。それはだいぶ違います。現在、人工知能を開発している最大の目的は「軍事と金儲け」です。つい最近、起こったNSAの問題もそうですし、米国やヨーロッパはいま、一生懸命、兵器ロボットを開発しています。これはどうしようもなく最悪なことだと思いますが、彼らにはその自覚はない。国家安全保障のもとではすべて許されるのです。例えばUAV(無人偵察機)は現在はまだ人間が操縦していますが、遠隔で人を殺すことは操縦者にとって大きなストレスなのだそうです。トラウマになる。それを防ぐために、誰を殺すかまでも人工知能に判断させる研究が進んでいます。そんなものに判断を委ねたら、誤ってわたしたちが敵とみなされない保障はありません。人工知能開発を止められないもうひとつの理由は、いわゆる「ウォール・ストリート」、金儲けです。現在人工知能開発を主導しているのは、国家ではなく、一部の大企業です。グーグルやフェイスブック、アップル、アマゾンといった企業は、猛烈な勢いで人工知能に投資しています。「シンギュラリティ」への動きは、どんどん加速していると言えます。「軍事と金儲け」、この2つの目的のために、人工知能の進歩はとめられないでしょう。その行き着く先については、僕はかなり悲観的ですね。殺人ロボット、『ターミネーター』の世界ですよ。ロボットと聞いて、ドラえもんや鉄腕アトムを想像するのは、おそらく日本人だけです。人工知能が発達し、いままで人間がやってきたことを肩代わりする一方で、人間には何が残るのでしょうか?最後に残るのは遊ぶこと、くらいでしょうか。理想の世界は、生産はすべて機械がやって、人間は遊ぶだけ。でも、お茶とかお花とかは、いかにルールがあろうが、ロボットがやってもしかたないですからね。そうすると、それを教える先生は必要ですね。先日あるイヴェントで、いわゆる「機械との競争」の話になりまして、20代後半くらいの若者から質問が出たんですね。「SEの職に就いているが、仕事がどんどん機械化されたいま、窓際に追いやられてしまった。ぼくらはどうすればいいですか? 消費しろと言われてもお金もないし」と。壇上にいたロボット工学や政治家の先生は、付加価値を与える仕事に就けばよいと答えたのですが、それをできる人って、やっぱり優秀な人だと思うんですよ。付加価値を生むって、実際はそんなに雇用は生まないような気がするんです。06:A.I. AND THE 99%-人工知能と格差社会そうですね。現在のパラダイムだと答えはないでしょうね。マーティン・フォードという人は、ロボット化や人工知能化が進んだ後に一種の共産主義革命が起こると言っています。わたしもそう思います。北欧スタイルの社会主義と言ってもかまいません。マルクスが描いたユートピアは、誰も働かないで仕事はみんな機械にさせて、人間は遊んでいる社会。それを実現するために、人工知能に計画経済をやらせればよいのです。計画経済とは最適値問題です。予算の配分とは、たとえて言うなら巨大なエクセルの表に数字を埋めていくことでしょう。ただ、項目が多すぎて人間には最適解が見えない。人間は所詮馬鹿ですから、すべて人工知能にまかせればいい。仮に予算の項目が1万項目あるなら、1万次元空間の中で国民の幸せの総量を最大にする解をコンピューターに探させる。幸せの総量をどう定義するかという問題はありますが、その目的関数さえ決まれば、後は最適値問題を解くだけです。以前、この話をある新聞社の人にしたら、すごく関心をもっていましたね。しかしこれも現実には難しい問題があります。分配するというのは、持てるものから奪って、持たざる者へ渡すことでしょう。そんなことを金持ちが許すはずがありません。いまアメリカでは、金持ちだけで街をつくって自分たちの税金を自分たちだけで使おうという動きがあるほどです。金持ち・支配層が所得の再分配などさせないでしょう。映画で言うと『エリジウム』の世界ですね。所得格差はもっと進むと?どこかで安定状態にはなるでしょうが、それが良い状態かどうかはわかりません。格差があることが安定状態かもしれませんからね。実際にいま、そうなっていますね。物理や化学の授業で習うエントロピー増大の法則、すべてのものの行き着く先は、一様化・均一化、つまり、格差がなくなるという考えもあります。しかし現実の世界では均一化は進まないほうが自然だということもあります。たとえば星が形成される現象では、物質がある1カ所に集まって、まわりに何もなくなった状態が安定状態です。重力場の熱力学では、エントロピー増大則は必ずしも均一化・一様化を意味しないのです。現実には格差が解消される方向には進まないだろうと、いま、多くの人も感じているように思います。一方、共産主義革命も現実的とは思えません。何かよい生き方はないでしょうか?もうひとつの道として、米国在住のイタリア人の若者、フェデリコ・ピストーノは、貧しさに慣れる訓練をせよと言っています。肉を食わずに野菜を食う、というような生き方です。彼はイタリアの大学を出てアメリカに行って才覚を発揮して、シンギュラリティについて勉強して、さまざまなメディアに露出しています。最近彼は、『ロボットがあなたの仕事を奪う。でもそれでよい(ROBOT WILL steal your jobs, but it’s OK’)』という本を出しました。ロボットが仕事を奪うなかで、いかに楽しく過ごすかという本です。これはこれとして、いい考え方ですよ。ある研究によると、所得と幸福「感」は年収6万ドルまでは比例するが、それを超えると比例しなくなるそうです。年収100万円が200万円になると幸福感は2倍になるが、1億円が2億円になってもあまり関係ない、ということです。ある程度の生活を、すべての国民に保障できればよいと言うことですね。昔は、人間の幸福とは、お金・地位・名声でした。でも幸福「感」となると、どうもそれだけじゃない。幸福感とは幸福と「思う」ことです。食べ物とか住まいとか、最低限必要なものはありますが、それを超えれば、いくらお金をつぎこんでも意味がなくなってくる。国民の幸福感を最大にする政治をすればよいのです。たとえば世帯の収入600万円は保証する。そうすれば、誰もが満足する。「一億総中流」が日本の国家目標だと僕は思います。ロボット化をさらに進めて、北欧のようになるということですね。07:THE VIRTUAL HEAVEN-ヴァーチャル彼岸へ2045年にむけて、未来の社会はどうなるのでしょうか?未来については、3つのシナリオがあります。1つはトランセンデンスを目指すこと。人類が超人類になる。2つめは、サステナブル、持続可能な社会を目指すもの。そして、3つめは、衰退への道。世の中の多くの人、特にインテリと呼ばれる人たちは持続可能社会を目指すべきだと言うのですが、それは不可能です。仏教で諸行無常と言いますが、無常というのは常ならぬこと。社会にせよ何にせよ、上がるか下がるか、栄えるか滅びるか。ずっとコンスタントでいられることはない。持続可能社会は、いま栄えているこの社会を、この先百年も千年も維持したいということですが、それは不可能です。実際、ローマクラブの計算などさまざまな予測が持続可能社会は実現できないと述べています。エネルギーの問題、そして資源の問題があるためです。現在、日本では原発をどうすべきか議論されていますが、石油や天然ガスはいつかなくなる。多くの人は太陽や風力に幻想をいだいている。『トランセンデンス』でも太陽エネルギーを使っていましたね。1974年のローマクラブの計算を、2000年までの新しいデータを使って再評価したら、現実にぴったりあったそうです。人口は2030年位がピークで、資源は減る一方。工業生産・サーヴィス、これらは2020年がピーク。もしこれが正しいなら、先進国は現在が文明のピークで、すでに衰退しつつある。2020年のピークは中国・インドなどの新興国も含めたものですからね。衰退への道で、人類が生き残ることはできるのでしょうか?07:THE VIRTUAL HEAVEN-ヴァーチャル彼岸へ何もせず放っておけば、人類は滅びてしまうでしょう。生き延びるためには、縮小社会を目指すことです。京大が「縮小社会研究会」というのを起ちあげています。原発は使わない。石油はなくなる。再生可能エネルギーで生活できるレヴェルはどれくらいなのか。多くの人々は現在のこの生活を維持したいと思っていますが、それはできません。ではどこまでならできるかというと、江戸時代の規模です。江戸時代は石油なし、原発なし。人口3、4000万人。それだけしか支えられない。これを僕は、「新江戸時代」と呼んでいます。ただ、実際問題として、1億2000万人を、後数十年で3000万人におだやかに減らせるか、軟着陸できるかというと、難しいと思います。おそらくハードランディングになるでしょう。戦争・内乱が起きるかもしれません。ただもし、軟着陸できる可能性があるなら、「新江戸時代」は人類の目指すひとつの方向だと思います。将来の社会が「縮小社会」になると感じている人は多いかもしれません。縮小社会を実現するためのしくみ、たとえばシェアエコノミー、カーシェアリングとかシェアハウスとか、あるいはそういう気分から派生しているようにも思います。うまくいけば、ですがね。 ピストーノが言っているのもそういうことです。自動車はやめて自転車にしようとかね。自動車がまったくいらないというわけではないが、すべての人がマイカーをもつ必要はないし、すべての人が牛肉を食べなくてもいい。牛肉を食べるくらいなら、その餌になっている小麦やとうもろこしを食べればいい。エネルギー効率は4、5倍高いわけです。要するに、アメリカ的生活をやめよう、ということです。人類が「トランセンデンス」する、つまり超人類へと進化する可能性はどうでしょうか?トランセンデンスは比較的近い将来可能だと思います。最近、2045年問題を実際に起こそうというプロジェクトをロシアのお金持ちが中心になってたちあげていることを知りました。その目標は自分が死なないこと。彼の計画はステージAからDまであって、Aが「強い人工知能」、Bが「マインド・アップローディング」などと、かなり具体的にやろうとしています。去年ニューヨークで国際会議をやっていますが、そうそうたる人たちが講演しています。彼らは冗談ではなく、本気でトランセンデンスをやろうとしているのです。人類のためだといっていますが、実際はそうじゃないと思う。自分たちが不老不死になりたいのだと思います。僕は「ヴァーチャル彼岸」という概念を提言しています。人工知能によって、死んだ人間を生き返らせるというものです。人格とは、顔やかたちはもちろんありますが、結局は思想、もっと簡単にいえば、言ったことにたいしてどう返してくるか、入力と出力で決まる関数です。それが個性と呼ばれているもので、人格や魂はしょせん、応答関数なのです。個人のクセを徹底的に調べて、それと同じことをするロボット、人工知能をつくる。映画『トランセンデンス』で描かれているのもこれに当てはまると私は思っています。ウィルが生き返ったのではなくて、生前のウィルのくせやしゃべりかたや思想をすべて真似すれば、他人から見れば生き返ったようにみえる。そういう意味では、人を生き返らせること、不老不死は可能だと思います。意識が継続しているかというのは難しい問題ですが、死んだ人を徹底的に真似する人工知能は可能でしょう。それが「ヴァーチャル彼岸」です。たとえば死んだおじいさんの写真が仏壇の中でいろいろ語るわけです。「それ」は、家族のことを知っているし、死んだ後のことも、データが入力されているから知っている。人は死ぬのが宿命で、宗教の役割はそれをあきらめさせることです。そういう意味では、天国や次の生命といったことが信じられない現代人は、中世の人たちより不幸になっているかもしれません。もし「彼岸」がありますよと言われたら、精神だけでも生き続けたいと思うでしょう。意識がほんとうに人工知能に移転したかどうかは難しい問題ですが、少なくとも家族から見れば死んでないわけですよ。あなたが「死ぬ」とき、自分の意識も殺してしまいますか? それとも、人工知能の中で生き続けますか?ということです。
2015-10-20 10:04