“東京オリンピック・ロゴ・エンブレム問題・佐野問題
につていてはいろいろな感想が述べられている
あまりマスコミで意見を言わない
デザイン業界や園周辺の大学の教授などもテレビで語る
その結果分かることは、彼らの場合、日本語があまりにもあまりにも拙劣で、
他人にわかるように論理を展開することができない
一応何か意見があるらしいのだが全般に幼稚である
こんな人達ばかりだと、コンセプトと言って奉っているものも屁理屈で済ませられるのだろうなと
納得できる
パクリと言っても重く感じていないことも明白である
理研で論文データの捏造があった
耳の聞こえない作曲家と称する人にはゴーストライターがいてNHKが大まじめに持ち上げた
PCを乗っ取られたと言っていた人もいた、江ノ島のネコがどうしたとか
どこの世界にも、ある部門には、そのような人間が棲息するようである
完全浄化することがいいのかどうか怪しい
庶民の感情としては、巨額の税金が動くのだから、憤りもあるだろうが、
そこは政府の得意な「トリクルダウン」である
公共事業は全てその図式で説明される
会社でも一部には社会福祉のための部門があって、
生産性には貢献しないのだが、社会の安定化のために貢献している
退社して政府機関からお金を受け取るよりも少しはいいのかもしれない
一応出社しているのだし給料ももらっていて、一人前の振る舞いが許されて、家族に言い訳もできる
それと同じようなもので、社会の一部には、
このような部門が必要なのだろう
本当に才能が必要な部門に夾雑物が紛れ込まないように機能している
このデザインを似ていると見るのは素人なんですよ、専門家は、コンセプトを重視するから、似ているなんて思わないですね、なんて言っていたんだが、
結局、広くパクリを展開している人であることが判明、デザインそのものだけではなく、
実際このように使用されますという飛行場の例を提示しているのだが、
その飛行場の写真も、著作権侵害しているらしいというのだから、
なかなかのものである
昼ご飯食べたことを忘れたと文句言う認知症のおばあちゃんが
さっき昼ごはん食べてないって嫁さんに悪態ついたこともすっかり忘れているくらいの状態である
昼ごはんだけでなく悪態のことも忘れている
これでこそ認知症である
デザイン業界の人達は皆同じ伝染性の脳炎にかかっているらしく、
聞いている方が解釈に困る
“
“それはそうと、今回問題が発覚しないで、佐野氏が、周囲の配慮もあって、佐野氏の順番を守ってもらって、受賞したとして、お金がたくさん入る
しかしそのお金はもちろん、佐野氏の自由になるものではない。
誰のおかげかわかっていなるな、という人たちが何人もいるし、
パクリの元を見つけてきて、パクリを実行する人(実行犯)にも、分配しないといけない
その人に冷たくするとちくられる
そんな具合で、まず佐野氏周辺にお金がトリクルダウンする
そこから順次、お金が流れてゆくのである。
たとえば佐野氏が生きている間にどれだけのお金を使えるかと考えても、大して使えない。
毎日10万円ずつで夕食を誰かにごちそうしながら食べたとして、1年で3650万円、
10年で3億円、そんなに使えない。洋服を買ってもたかが知れているし、事務所を新しくしても大したことはない。
カジノでもいけばたくさん使う人もいるだろうが、それはまた別の病気である。
デザイナー仲間にしても、才能の抜群にある人に賞を与えるなんて怖くてでくないはず
自分たちのばかがバレてしまうから
自分たちと同じか自分たちよりも馬鹿なくらいの才能のない人を仲間に入れて、
内心、「あいつは才能ないな」と軽蔑しながら、デザイナー村を守るのである
審査員を自分たちが独占している限り現体制は守られる
そうなると、誰もが認める素晴らしいデザインはじゃまになる
誰が審査員でもこれが選ばれただろうとなってしまえば、審査員の価値が落ちる
こんなものがどうして入選なのかとみんな疑問に思うものが入選する、
一体どうしたことだと問題になり、そこで、審査員が、コンセプト重視論を一発かます
これが彼らの仕事なのである。
“
“今回のエンブレム騒ぎで、素人と変わらないだろうと思った人は、
それを仕事にして、いつも何か作らなければならないという苦しみを考えてみなければならない。
ピカソとか日本のならとか棟方志功とか、抜群のオリジナリティで、
作者の名前を隠しても、作者が分かってしまうような人は、何をやってもオリジナルである
そうでない場合、小さなエンブレムで、少しの違いを「これまでにない」と言い張る必要があり
仲間とうまくやることが何よりも大事な『仕事』で
というように、エンブレムを作るというよりも、大きな仕事があるのである。
エンブレムなんか、パクリすれすれで20個でも30個でも作っておけということになる。
頑張ったってオリジナリティなんてないんだから、どうやってもどれかに似てしまう。
それでも、デザイナーに依頼するのはどうしてかといえば、
一般人が考えるよりは、少しは安定性のある製品をアウトプットできるからである。
その「少し」があまりにも貧弱なので、
普通考えて、これは一体何だ!という騒ぎになる。
オリンピックだし。
企業ロゴとか動物園マークとかだと、そこまで目くじら立てないですんでしまう。
日本の小さな動物園のマークがどうとか、お金に換算しても大したことはないのだし、
原作者の目には一生ふれないで終わってしまうことが多いだろう。
それに今回の場合、パクられた方も、パクった方も、こんなもの、パクるなんてどうかしているよなと思いつつ言っているに違いない。あまりにも凡庸としか言いようがないではないか。
オリンピックにあまりにも凡庸な自分のデザインをパクって使うなんて思いもしなかつたというのが
本音ではないだろうか。
本当に素晴らしいデザインなら、
その使用料として100億円だったら、
それを見つけてきた人も立派なわけで、40億円くらいは払ったっていいわけだろう。
それくらいのものをパクってほしいものだ。その場合は、デザイン発掘料というか、発見料を請求すればよい。
マークではなくてキャッチコピーになるとますます難しいところがある。
そしてね、トリクルダウン理論で言うと、高ければ高いほど効果があるんだよ。良い理論だねえ。
佐野さんのご家族は本気になって権利の主張をするだろうね、老後の保証だし、年金問題だし。
“
2015-09-04 02:47