日本の外務省は1日、イタリアに対する「感染症危険情報」のうち、北部のロンバルディア州(州都・ミラノ)、ベネト州(州都・ベネチア)、エミリア=ロマーニャ州(州都・ボローニャ)の3州について、不要不急の渡航を自粛するよう呼びかける「レベル2」に引き上げた。
イタリア保健省が前日、同国の新型コロナウイルスの感染者が1000人を超え、死者が29人になったこと、感染者が北部3州に集中していると発表したことによる処置だと考えられる(=2日時点で、イタリアの感染者は2036人、死者は52人)。
欧州各国のなかでも、イタリア北部に突出して感染者と死者が多い理由は、およそ想像がつく。この地域は、1990年代以降、中国人移民が激増していった。
「水の都」ベネチアでは、欧州系ハイブランドのショップを除き、バッグなどの革製品を並べるショップの多くは、中国人による経営だ。中国系企業が、中国人労働者を雇い、イタリア現地で製造販売する「メイド・イン・イタリー・バイ・チャイニーズ」のビジネスである。
イタリア第2の都市で、「ファッションの街」として世界的にも名を馳せる商業都市ミラノも、この十数年で、中国系移民が激増した街として知られる。一部の通りは、中国製の繊維類やアクセサリー類の卸問屋が軒を連ね、運搬で付近の道路が大混雑するなど、摩擦が日常化していた。
ミラノでは、ある“異変”に、住民が大変なショックを受けた。
8年前の話だが、市役所の住民登録簿に登録されている「名字」に関する新聞報道だった。上位10番以内に、中国系の名字が3つ入っていたのだ。1位は典型的なイタリアの名字ロッシ、2位はHu(胡)、8位がChen(陳)、10位はZhou(周)だった。
エミリア=ロマーニャ州と接するトスカーナ州(州都・フィレンツェ)には、プラートという街がある。繊維産業が集中し、ファッションの街ミラノを事実上支える、世界的な拠点である。
同地には、古くは80年代から、主に江蘇省温州からの中国人の移住が進んだ。数年前には、市長が「街の人口の3分の1が中国人になってしまった。われわれは国境のない中国と闘っている」と語ったことも報じられた。
すなわち、イタリアのファッション業界は、中国マネーと中国系労働者に支えられているのだ。
クリスマスシーズンの12月以降、旧正月(=2020年は1月25日)の時期まで、中国人労働者のイタリア⇔中国の“往来ラッシュ”が続いた。
とすると、帰省先で中国各地に拡散されつつあった新型コロナウイルスに一部が感染し、自覚症状がないままイタリアへ戻ったことで、イタリア北部に新型コロナウイルスが拡散されてしまったのではないだろうか。