“ジャンクフードみたいな感動を摂り続けると体を悪くして起業家になってしまう。”
よく言われることとして
高度経済成長の時期には
みんなが同じ歯車になって同じことを続けていればよかった
これからはそれでは経済成長できない
だから必要なのは人と違うことを考える人
その人たちの新しい考えで「追いつく経済成長」ではない、「新規開拓型の経済成長」を実現しよう
しかし、新しい考えでうまくいって、起業して成功する人は、割合としてはとても少なくて、
たいてい破産する
失敗する人が多すぎて大変
多くの人の失敗を前提としてまで経済成長する必要があるのか
また、成功しそうな才能も、成功しそうな企業も、アメリカが根こそぎ持っていくのだから、
無駄というもので、
大リーグと日本野球のような構造
そこでまたよく言われるのが
ほどほどに豊かで、決定的な貧しさはなく、世界一でなくてもいいし、世界最先端でなくてもいいから、
落ち着いた暮らしを営めればいいではないかとの話
さらに最近の反論として、少子高齢化で年金財政悪化(放漫財政などの要因は隠匿)、結果として、
経済成長して、そこから年金の原資を得るしかないという
また、モデルとして、江戸時代の日本の定常状態を挙げる人もいる
しかしそれは鎖国していて情報遮断されていたからできることのような気がする
しかしながら経済成長しなくてもみんなが幸せに暮らしていけるとの構想は不可能ではないような気がするのだがどうなのだろう
どんどん新しくどんどん便利になるというビジョンはどうなのだろう
資本主義は数パーセント程度のインフレを前提として健全に機能するのであって
成長とインフレがないとうまくいかないのだともいわれる
銀行が利息を取って金を貸し、それを資本にして人々が新しい生産活動をするというのが基本ビジョンだろう
社会全体が高齢化しているせいなのか
もう新しいことも便利なこともいらないのではないかとの気分もある
親の世代と同じような定常状態でいいのではないかと考える
そのような場合は、親や祖父母の人生体験が指針になるだろう
新技術がもたらす新しい生活、産業革命、それをいつまでも繰り返さないといけない
うまくいかなかったら戦争でもして一息つく
幸い、新技術の芽はいつでもあるのでそんなに悲観的になることもないし
経済成長なんていらないと最初から言ってしまう必要もない
しかしまて、東京に資本が集中し、巨大ビルに企業も住宅も入居し、
欲望渦巻き、かんぽ生命の司令部からは無理な指令が出て、末端では非人間的なことをしてしまう
それが業績、みんな少しずつ良心に痛いこともいているんだから、我々も少しくらいはいいだろう、いまだけだ、仕方ない、生き残るためだ、目をつむってもらおう、と言うわけで、高齢者をだます感じで、契約を積み上げる
散歩をやめてくるまでドライブするようにすれば経済成長しますね
地球温暖化もしますけど
自炊をやめてお金で買うようにすれば経済成長
洗濯も介護もお金を出して外注すれば経済成長
会って話をすればただけど電話で話をすれば経済成長
ジャンクフードみたいなテレビや映画も経済成長なんですかね
資産家にとっては資産インフレが年に数パーセント程度起こらないと困るんでしょう
降れば大雨だし
台風は超大型だし
何十年に一度の気象現象が毎年のように起こっているなんて
トヨタとスズキなど、自動車会社は次々と提携、一社では開発が追い付かないという
先日横浜の公共運送自動運転交通システムがダウンした
あんな簡単なレベルでもたまにダウンしているのに
無数の自動車のコントロールなんて難しそう