” 感覚は認知ではない 感覚+α=認知 であり 赤い光 は感覚で 「とまれの印だ」は認知 細かく言うと、赤い光 というのも認知が入っていて、文化によっては 赤もオレンジも黄色も赤い光という場合もある 真っ赤な太陽 とか言う まあ、それはそれとして、 感覚+α が認知なので、その α の部分を訂正すればよいのではないかと考えるわけです “

感覚は認知ではない
感覚+α=認知 であり
赤い光 は感覚で
「とまれの印だ」は認知
細かく言うと、赤い光 というのも認知が入っていて、文化によっては
赤もオレンジも黄色も赤い光という場合もある
真っ赤な太陽 とか言う
まあ、それはそれとして、
感覚+α が認知なので、その α の部分を訂正すればよいのではないかと考えるわけです
「とまれの印だから、止まろうとか、でも、誰もいないし危険はないから進んでもいいとか」の段階になると
明らかに思考の部分である
感覚から認知が出てくる部分は、多分に、過去の学習とか無意識とかが関係しているようで
自動思考と呼ばれるように、当然のように自動的に出てくるもので
場合によっては感覚と同じように、脳がかかわる以前の外部的なものと思ってしまうときもあるだろう
しかしそれは脳がかかわっている内部的なものであり
訂正可能なものである