精神療法

精神療法

明確化、直面化、解釈、徹底操作

前回映画の一部を紹介した。
 タルコフスキー「ストーカー」で描かれている「物体」は、プリズムのようだ。プリズムが日光を分解して見せるように、「物体」は人間の内部を分析してみせる。実はそれが精神療法における第一歩である。
 精神分析的治療理論の一ページには次のような一節がある。

精神療法の目的は患者さんの心の形や仕組み(病理構造)を自分の目に見える形に変換し、自分で問題を取り扱えるようにすることにある。その方法として明確化、直面化、解釈という操作を繰り返してゆく。

 なんと明晰で簡潔で含蓄に富む美しい一節だろう。これですべてを言い切っている。コローの完璧な遠近法の風景画のようだ。現実の私たちはこのようにはできないが。

 カウンセリングや精神療法といっても、かなりの幅がある。
 一つのタイプはロジャース的と言われているもので、受容的・共感的な手法である。相談者は話をしながら、自分で解決に到達する。ただ聞いているだけなどということはなくて、これはこれでかなりの熟練を必要とする。
 もう一方のタイプは分析的スタイルで、明確化、直面化、解釈を反復し徹底操作する。これはさらに熟練を要する。
 中間的スタイルもある。どのタイプのスタイルがよいかは、相談者の精神病理と治療者の特性による。
 たとえばあるオフィスでは治療者と相談者は3メートルの距離をおいて座る。部屋はあまり明るくない。治療者は自分の表情のわずかな変化を隠すことができる。治療者の人格的影響は可能な限りゼロに近づく。ただ静かな鏡のようだ。あるいは日光を分解するプリズムのようである。(人格的影響がゼロになるように部屋を設定したいという人格の影響を強く受けているとも言える。)
 週に四日ないし三日通い、一回一時間、料金は一万円、これを最低一年は続けるから、時間も費用も大きな負担となる。

映画「ストーカー」の場合

さて、映画ストーカーの場合、絶望した兄は死んでしまったというけれど、それは直面化に耐えられなかったからだということになる。兄は自分の「心の形や仕組み」を明確化して提示された。自分の中には金持ちになりたい欲望と、弟に対する愛情と二つがあり、最終的には金持ちになりたい欲望が強かった。この結論をしっかり受け止めればよかった。そして「そうだな、人間にはそういう面もあるな」と納得すればよかった。それだけのことである。いまのわたしならそう言える。
 それが人間だとあっさり通り過ぎてしまわないところがタルコフスキーのいいところなのだけれど、それは映画の話だ。現実の生活を生きるにはそれではナイーヴすぎる。

映画「惑星ソラリス」の場合

映画「惑星ソラリス」の場合の、「心の形や仕組み」について言えば、妻を愛していたが、彼の心の中には妻の腰の紐をほどけない理由があった。「それはあなたの心の中の問題なのだ、自分でも気づいていない、妻への、あるいは女性への、または人間への、未解決の何かがある」そのように開始して次第に限定して明確化する。そしてその後は直面化である。それは何か。目をそらしてはいけない。そしてそれはどのように解釈されるか。可能な解釈を検討し、もっとも合理的整合的な解釈を受け入れる。そのように精神療法は進む。