自然科学における数学の不合理な有効性

ユージン・ウィグナーは、1960年の記事 『自然科学における数学の不合理な有効性(The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences)』 においてこう記している。このノーベル賞受賞物理学者の記事は今なお、物理世界の現象を記述し説明するだけでなく、予測さえする数学の並はずれた力をとらえている。
古典電磁気学において観測される様々な現象のすべてが、たった4つの方程式で記述されうることが一体どのようにして可能なのだろうか?さらに1864年、(それらの方程式の名前の由来となった)ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、それらの方程式は電場や磁場の変化はある波として伝播することを予言していると示した。光やラジオ波やX線なども含む、電磁波として馴染み深いこれらの波は、ドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツによって1880年代に検出された。
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量子電磁気学(QED)として知られる、光と物質がどのように相互作用するのかという現代の数学理論はさらに驚くべきものだ。2010年、ハーバード大学の物理学者のグループは、電子の磁気モーメント(これにより電子が磁場と相互作用する強さが測られる)を、一兆分の一の精度で決定した。そしてQEDに基づく電子の磁気モーメントの計算結果も、同じ精度で一致した!一体何が数学のこの驚くべき力をもたらしているのだろうか?
数学の力の謎は、実際には上の電磁気学の例が示唆するものよりもさらに複雑である。「不合理な有効性」には2つの面がある、能動的なものと、受動的なものである。能動的な面は、科学者が自然現象の迷宮を進む上で足元を照らすために、数学を灯りとして用いる場合を指す。言い換えれば、自然法則の少なくとも一部は、直接応用可能な数学的表現で定式化されている。
それらの法則で用いられる数学的理念や関係や方程式は、特定の応用のために発展されている。例えばニュートンは、運動や変化を微小なフレームごとに分割して捉えるため、微分学という数学分野を定式化した。同じように、今日の弦理論家たちは必要な数学をしばしば自分たちで発展させている。
一方、受動的な有効性は、数学者がなんの応用も念頭に置かず抽象的な数学の分野を発展させながら、数十年、もしくは数世紀後になって、物理学者たちがそれらの理論が物理現象の土台として必要な数学であることを発見するケースを指す。例としては、バーナード・リーマンが1850年代に、球面や鞍型などで出くわす曲がった表面を扱う新たな幾何学について議論した。その後アインシュタインが一般相対性理論(1915年)を定式化したとき、このリーマン幾何学こそが、まさしく必要な数学であると明らかになったのだ!。
関連:【物理】『ニュートンからアインシュタインへ:一般相対性理論の起源』The Conversation 2015/11/10
この数学のミステリーの中心には、数学者や哲学者そして最近では認知科学者たちが長年に渡って行ってきたもう一つの議論がある:数学は人間の脳による発明なのだろうか?それとも数学は抽象的な世界に存在しており、人類がその真実を発見しているだけなのだろうか?この論争は今日まで激しく続いている。
個人的には、単純に数学が発見なのか発明なのか問うことで、発明と発見、その両方の複雑な組み合わせであるという可能性が忘れられていると考えている。もちろん私も、人類は数や図形、集合、線などの数学的概念を身の回りの世界から抜き出すことで発明したのだと仮定している。そうして、発明したそれらの概念の間の複雑なつながりを見出すために研究をしている。これらのつながりは数学の定理と呼ばれるものである。
数学にこの途方もない力を与えているものは一体なんなのかという疑問に対する、有無を言わさぬような完全な答えは得られていないと認めざるを得ない。これは未だに謎のままである。
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この問題については、コンラート・ローレンツが、進化論的観点から答えを提出している。
私もそうだと思う。