科学的に確かな根拠に基づいて説明を尽くしているのに,一向にわかってもらえない──。そんなふうに感じたことのある人は少なくないだろう。特に医療の現場では,それはしばしば深刻な結果をもたらす。なぜ科学の説明は届かないのか。ギャップを埋めるためには何が必要なのか。それを探るため,ある研究が始まっている。
きっかけは2014年の日本行動医学会で開かれたシンポジウムだった。行動経済学研究で知られる大阪大学教授の大竹文雄が登壇し,医師らとの討論に参加した。依頼したのは,臨床心理学の研究者で同大准教授の平井啓だ。大竹は討論で,医療現場が前提としている人間の「合理性」に疑問を投げかけた。行動経済学では,「人間は常に合理的な意思決定をする」との想定を置かない。医療現場を例に取ると,従来の経済学は「医師が正しい情報を十分に提供すれば,患者は合理的な意思決定ができる」と仮定している。医療現場も,基本的には同じ想定で動いている。一方,行動経済学では「人間には様々なバイアスがあり,合理性は限定的。医師が同じ情報を提供しても,表現方法や伝え方次第で,患者の意思決定も変わる」との前提に立つ。
行動経済学を医療の現場で応用できないか。大阪大を中心に,経済学,心理学,医学の研究者という異色の組み合わせで議論が始まった。