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自分の所属する集団を自分のアイデンティティにする習慣は人間には昔からあるだろう
情報伝達の技術の関係で、現在は国家が中心になっている。
EUは国家を越えたEUと、逆に、国家よりも小さく身近で、リアルな、小地域とに、アイデンティティが分散している
日本も、EUの方向で成熟すれば、
東アジア地域の一体感と、同時に、瀬戸内海とか、コシヒカリ生産農家とかそんな小集団が
アイデンティティとなるはずである
情報技術が可能にする仮想的な一体感は拡大し続けるので、
国家としての日本の次は、漢字を基本にした文化圏での一体感などが大切なものになるだろうし
その時は日本語の過去において、どのようにして日本語が豊かになっていったか、などを考察することになるだろう
その対極として、現実の感覚「リアル」が大切にされるだろう
それは実際に道で出会って、挨拶を交わし、ウワサ話もする、その程度の具体的で現実的な範囲の集団である
選挙で考えれば分かりやすいが
全国区などは、その人となりは、テレビやネットで拡散されるもので、
作られたもの、バーチャルなものでしかない
小選挙区や、市長、町長選挙くらいになれば、その人となりは、子供の頃の話もあり、親戚の話もあり、
生家はそこに実際にあり、友人も多くあり、といった具合になるだろう
そのような情勢であるのに、
「国のために命を捧げる」などという中途半端な提案をされても、
国家というものはもはや「途中経過」でしかないのが現実である
イギリスとドイツとフランスと、どこが一番強いかなどは
バーチャルの次元でも、リアルの次元でも、問題として成立しないくらい、
納得できないものになっているのである。
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