やられる方にも問題があるという問題のある言い方

子供のいじめ問題で、どうかすると、やられる方にも問題がある、という言葉が教師から出る。
その教師が職場でいじめにあい、校長から、いじめられる方にも問題があると言われる。
その校長は40代の女性で、性被害に遭う、そのとき、やられる方にも問題があると、警察官に言われる。
警察官の妻は詐欺にあう、そのとき消費生活相談の係員から、詐欺にあう方にも問題があると言われる。
消費生活相談員の母親は詐欺まがいの生命保険の契約をしてしまう、クレームを入れると、契約してしまう人にも寂しさなどの心の闇があると生保のクレーム係に言われる。
生保クレーム係の親は政治家で、策略にはめられる、そのとき、政党の幹部に、罠にハマる方にも落ち度があると言われる。
政党幹部はCIAに情報を握られ、失脚する。CIAは、脇が甘い政治家の末路は決まっていると語る。やられる方に落ち度があるという。
CIA長官はトランプと喧嘩して、失脚する。トランプにCIAはフェイクだとツイッターで言われる。長官が失脚したのは長官の側にも問題があったと論評される。
トランプは日本政府と一緒になって沖縄をいじめる。沖縄に対して、やられる方にも問題があるとマスコミはいう。
マスコミを銃撃して殺傷する事件が起こる。マスコミにも問題があると識者はいう。
識者の子供は学校でいじめを受ける。いじめの原因はいじめた側にあるけれども、いじめられた側にも問題があると言われる。
全員が被害者になるわけではないのに、なぜあなただけが被害者になったのかと、問い詰められ、結局、被害者にも、被害者になるだけの理由があったのだと批判されてしまう、二次被害。
全員がやられる方(被害者)にもなり、そのとき、ここぞとばかりに、「やられる方にも問題がある」としたり顔で判決を食らう。
ほじくれば誰にでも問題はあるだろう。でも、「それは今言うべきこと」なんですか?