ぼーっと生きてんじゃねえよ!
とテレビで叫んでいるが
昔からの考えで言うと
自動機械
たとえば自転車に乗る時を考える
人生の最初に自転車に乗ったときは、自転車に乗る、そのことだけに集中する
自転車はこういうものかという実感を得る
ところが自転車に乗り慣れてしまうと、自転車についてはほとんど何も考えず、
頭は別のことを考え、体は自動的に反応して自転車を運転している
これが自動機械状態
朝眠い状態で食事をして歯を磨いて身支度を整える時も
ぼーっと生きている状態
朝ごはんなんでしたと聞かれても、よくわからない程度
会社でもいつもの仕事をしているときは
昨日が今日でも、今日が明日でも、分からない状態で
ぼーっと生きている
脳のメカニズムで言えば典型的なのは運動に関しての前頭葉と小脳の役割分担である
何かを初めてやるときなどは前頭葉がフル回転している
次第に慣れていつものようにやればよいという段階に至ると
小脳に仕事は引き継がれ、自動運転になる
運動以外では別の回路が
「生き生きと生きている実感」「自己実現の感覚」などにつながるものは
自動運転状態と反対の状態である
毎日の電車に乗るときに、別段「生き生きと実感している」わけでもないし、
毎日同じなのに実感しようとも思わないから
自動機械でいいわけだけれども、
そして自動機械だから、別のことを考えながらいられるわけだけれども、
自動機械状態が人生のすべてになってしまう人多いものだろうと思う
定年退職となり、これからは自由に生きていい、自動機械はやめだ、となり
最初の2年くらいは旅行に行ったり、趣味の活動に打ち込んだりするが
つまらなくなり、あとはぼーっと生きることになる
体操選手とか工芸作家とか、そうでなくても編み物をするとか、
そんな場合、高度な集中の結果として、「別の自動機械状態」になることがある
これはここで言う自動機械ではなくて
高度集中状態と言うべきもので
意識しなくても高度の活動ができて、本人も充実感を感じている
とはいうものの、集中状態は疲れるものなので
ぼーっと生きているのも良いだろうと思う