皇位継承の儀式に関する費用の問題を語った秋篠宮発言はいろいろな矛盾や不都合を招いてしまうものである

秋篠宮自身の誕生日での記者会見で、国事行為ではない宗教儀式の皇位継承に「公費ではなく私費が望ましい」との趣旨で異例の発言
皇位継承の儀式が宗教行為であるなら明らかに公費支出はよくないのだが
しかしそれは宗教儀式ではないとする考えもあり、靖国神社参拝も宗教儀式ではないとする考えがあるのと同様だろう
いや、宗教儀式だから尊いと言いつつ、マスコミに問われると、宗教ではない、尊崇の念を表明するだけだとかいう
天皇という立場は果たして「私的な宗教行為に私費を投じてよいものなのか」という問題になり、
そもそも天皇には信教の自由があるのか、さらに基本的人権はあるのか、たとえば、住む場所の自由とか、職業選択の自由とかはあるのかとの問題にも通じるだろう
皇位継承の儀式は、宗教色のない、古くからの習俗であるとの主張をするとすれば、
宗教としての尊崇の念からは外れてしまう
皇位継承の儀式が宗教儀式ならば、天皇が関わってよいのか、疑問が生じる
私費でというのだが、天皇家の私費とはどういうものなのか
政治家のパーティ券はまずいだろう
しかし紛らわしいものがたくさんある
皇位継承の儀式が宗教行為として、それはどのような宗教なのだろうか
皇位継承順位が決められているが女性はだめ、男性はいいというので
つまりはY遺伝子に皇位継承者となる素質が含まれているのだろう
そして天皇になるには、前任天皇から何かを受け継ぐのだろう
それが天皇であるための本質的要素である
三種の神器という線もあるがそれならば女性でも所有できるし
共同統治でもよいだろう
なぜ一人だけなのかといえば、この皇位継承の儀式に理由が示されているだろう
逆の面から言えば、法律が皇位継承順位を決めるなどできるはずもないはず
宗教なのだから
天皇の本質が誰に継承されるのかは神秘の話であって法律の話ではないはずだろうと思う
しかし法律で決まっていて、しかも、男子がいなくなったら女子でもいいと決めようという
ゆるい話である
略して言えば、天皇の本質が前任者の体から抜け出て、後任者の体に入り込むプロセスなのだろう
私的な活動として宗教もやるんです、というような軽い話ではないのは、昭和の歴史を見れば明らかである
だから公費を充てて、あくまで習俗の範囲で、継続するのである
すると宗教儀式ではないから政治と宗教の分離の原則には抵触しない
それなのに皇室内部の人間が宗教儀式だと認識しているのは大変問題なのではないだろうか
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皇位継承の儀式に関する費用の問題を語った秋篠宮発言はいろいろな矛盾や不都合を招いてしまうものである