神様の力の統計的検定

お祈りというのは
呪いの中でも清らかな心で祈るものを言うのだろう
祈祷のなかで現実に効果のあるものは科学として分離したので
現在残っているものは多分全部が無駄だろう
有効なものがあるかもしれないが今の所はエビデンスがないという状態
しかし現代ではメカニズムがわからなくても
相関があるかどうかはわかるのだから
やはり現在、祈りとして残されているものは無効だろうと考えられる
祈りの中で代表的なのは
チームの勝利を祈るとか
受験合格を祈るとかだろう
しかしチームの勝利ということは相手の敗北を祈ることと同等である
受験合格について祈ることはライバルの失敗を祈る面がないでもない
神様がそんなことに関わるはずもない
別々の受験生が湯島天神で祈った場合と太宰府天満宮、明治神宮、比叡山、イグナチオ教会
などで祈った場合
どれが最も有効かを統計的に検定することができる
どうせ祈るなら効果がある方がいいでしょう?
でも、しない
キリスト教世界ではそこのところは一神教にしたので辻褄は合う
日本的なたくさんの神の中にも一応の序列はあるのかもしれないが
序列などということからしてそもそも西洋的だと嫌悪されるのだろう
心が清ければそれでいいのだと結論されそうだ
もちろん、合格するしないではなく、本人に最もいい結果をもたらすのだと言い訳ができるから
何がいいかは検定できない
ということは、本気で御利益を信じているわけではない
信じてもいないのにお賽銭を入れるとは、神社に都合のいい話である
神社は結果にコミットしない
祈る側も神社側も不思議な事である
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