Stress Management Power Group(SMaPG)「こころの薬箱」
欲を捨てるか ストレスを捨てるか
欲を捨てるか ストレスを捨てるか
ストレスを解決するにはまず欲を捨てることです。
しかし人間は欲が深い生き物ですから、多少のストレスを引き受けても、欲望を満たそうとします。ここが難しいところです。欲を捨てるか、ストレスを捨てるかです。
しかし人間は欲が深い生き物ですから、多少のストレスを引き受けても、欲望を満たそうとします。ここが難しいところです。欲を捨てるか、ストレスを捨てるかです。
限界まで働くわたしたち
現代社会の特徴は、人間の能力を限界まで発揮させる点ではないでしょうか。
頭のいい人も世界にはたくさんいます。野球の上手な人も、上には上がいます。走るのが速くても、もっと速い人が世界にはいるものです。昔ならば例外は除いて、生まれ育った土地で農業を継続したものでしょう。
中井久夫先生の紹介していた面白い説があります。「すべての人は無能である」というのです。なぜかと言えば、たとえば会社を思い浮かべます。社長から平社員まで、それぞれの能力を要求されるとします。入社して、自分の能力の限界近くまでは出世しますが、それ以上は無理だと周囲が判断します。そのとき部長だったとすれば、「平凡な部長」と言われるのだと思います。能力があれば次の挑戦に駆り立てられます。
たとえば野球選手でも同じです。小学校で抜群の運動神経を誇っていた子供は、リトルリーグに挑戦します。能力があれば中学でも続け、さらに選抜されて甲子園を目指します。それでもまだ余力があればプロ野球があり、それでもまだ能力があれば、アメリカのメジャーリーグに挑戦します。たいていは、どこかの段階で能力の壁にあたったり、ケガに苦しんだりします。最後には、「プロとしては平凡だった」などと言われます。
このように考えると、すべての人が能力を試され、限界まで働き、結果として自分の限界を悟らされる、そんな社会に思えないでしょうか?
可能性が開かれているということは、つまり、限界を知らされることでもあるのです。夏の甲子園で最後まで負けないのは一校だけで、あとは全部、負けを経験するのです。
頭のいい人も世界にはたくさんいます。野球の上手な人も、上には上がいます。走るのが速くても、もっと速い人が世界にはいるものです。昔ならば例外は除いて、生まれ育った土地で農業を継続したものでしょう。
中井久夫先生の紹介していた面白い説があります。「すべての人は無能である」というのです。なぜかと言えば、たとえば会社を思い浮かべます。社長から平社員まで、それぞれの能力を要求されるとします。入社して、自分の能力の限界近くまでは出世しますが、それ以上は無理だと周囲が判断します。そのとき部長だったとすれば、「平凡な部長」と言われるのだと思います。能力があれば次の挑戦に駆り立てられます。
たとえば野球選手でも同じです。小学校で抜群の運動神経を誇っていた子供は、リトルリーグに挑戦します。能力があれば中学でも続け、さらに選抜されて甲子園を目指します。それでもまだ余力があればプロ野球があり、それでもまだ能力があれば、アメリカのメジャーリーグに挑戦します。たいていは、どこかの段階で能力の壁にあたったり、ケガに苦しんだりします。最後には、「プロとしては平凡だった」などと言われます。
このように考えると、すべての人が能力を試され、限界まで働き、結果として自分の限界を悟らされる、そんな社会に思えないでしょうか?
可能性が開かれているということは、つまり、限界を知らされることでもあるのです。夏の甲子園で最後まで負けないのは一校だけで、あとは全部、負けを経験するのです。
労働の蓄積が可能になった
なぜそんな大変な社会になったのでしょうか。
第一は生産構造の変化だと思います。昔、フランスの王は大変な権力を誇っていたものですが、税金では苦労しました。当時の農民は農作物を売買してお金を蓄えることがなかったので、税金は農作物そのものでした。王のもとには莫大な農産物が集中しますが、全部を食べられるわけではありません。そこで毎夜宴会を催し、あるいは宝石、美術品を購入して浪費します。農作物が腐る前に消費するしかなかったのです。そのような社会では、労働もほどほどにということになります。限界まで働いてたくさんの麦を収穫しても、どうせ食べきれなくて腐るだけです。みんなそれぞれ自分の食べる分は生産しているので、売ることもできません。そこで、自然な程度の労働量に落ち着いていました。
現代では貨幣社会が確立していますから、事情は違います。10倍働いて10倍貯金することもできます。5年間限界まで働いて、あとの5年はボランティアで汗を流すことも可能です。貨幣で蓄えることができるからです。実は貨幣価値は時間とともに変化するもので、信用しすぎてもいけないのですが、農作物のように腐るものではありません。
第一は生産構造の変化だと思います。昔、フランスの王は大変な権力を誇っていたものですが、税金では苦労しました。当時の農民は農作物を売買してお金を蓄えることがなかったので、税金は農作物そのものでした。王のもとには莫大な農産物が集中しますが、全部を食べられるわけではありません。そこで毎夜宴会を催し、あるいは宝石、美術品を購入して浪費します。農作物が腐る前に消費するしかなかったのです。そのような社会では、労働もほどほどにということになります。限界まで働いてたくさんの麦を収穫しても、どうせ食べきれなくて腐るだけです。みんなそれぞれ自分の食べる分は生産しているので、売ることもできません。そこで、自然な程度の労働量に落ち着いていました。
現代では貨幣社会が確立していますから、事情は違います。10倍働いて10倍貯金することもできます。5年間限界まで働いて、あとの5年はボランティアで汗を流すことも可能です。貨幣で蓄えることができるからです。実は貨幣価値は時間とともに変化するもので、信用しすぎてもいけないのですが、農作物のように腐るものではありません。
また、銀行の仕事を思い浮かべましょう。手数料を1%と仮定します。100億円の契約なら1億円です。100万円の契約なら1万円です。100倍の儲けになりますが、100倍の汗を流したでしょうか?農作物の生産ならば、100倍の麦を生産するためには100倍の時間と汗が必要かもしれません。銀行の仕事は書類にゼロを二つ多く書くだけなのです。
たぶん、昔も、漁に出てたまたま大きな魚を捕まえたり、偶然水利のよい土地を見つけたりなどして、実際の汗の量とは比例しない例もあったと思います。しかし大きな魚を捕まえても、保存しておけないし、腐る前にみんなに分けるしかなかったのではないでしょうか。その人は共同体内部での評価は高まったと思いますから、それが財産といえば財産でしょうか。
チャンスは増えたが勝ち続ける人はいない
第二には人の移動と情報の移動が飛躍的に簡単になったことがあげられます。人間は比較され、挑戦を求められ、限界まで働くようにし向けられています。むろん多くの人がチャンスの拡大を望んだのですが、結局泣くことになりました。甲子園を目指して、敗戦すると泣くようなものでしょうか。
ブルーカラーの生産能率管理は昔からきつかったのですが、コンピューターや社内メールの発達で、ホワイトカラーの労働生産率が厳密に管理されるようになりました。このこともストレス社会を加速しています。
ブルーカラーの生産能率管理は昔からきつかったのですが、コンピューターや社内メールの発達で、ホワイトカラーの労働生産率が厳密に管理されるようになりました。このこともストレス社会を加速しています。
ストレスから解放されるのは大変そうです。逃げても逃げ切れないなと思います。
ある提案
就職難の現在、提案されているのは、「大卒の人はプライドを捨てて高卒の仕事をすればいい」というものです。提案した人は、わかりやすいように学歴で表現していますが、学歴でなくても構いません。能力ということです。自分の上限の能力を発揮できて、最高の評価をしてもらえる職場を望んでいたのでは、現状の日本では就職は難しいし、それはそのまま解決不能のストレスを抱え込むことになります。それよりも、自分の最高能力以下でできる仕事につけばいいというのです。自分はもっと能力を発揮してもっと収入を得られて、もっと地位が高まると思っていても、そうしないのです。もちろん、それまでそこで働いていた誰かが追い出されることになりますが。
この方式だと、限界を試されることにはなりません。でも人間には欲望があります。その場所にいる自分に我慢できなくなり、チャレンジしたくなってしまいます。みなさんは欲望を捨てられますか?
この方式だと、限界を試されることにはなりません。でも人間には欲望があります。その場所にいる自分に我慢できなくなり、チャレンジしたくなってしまいます。みなさんは欲望を捨てられますか?
つまり、欲を捨てるか、ストレスを捨てるかです。