強迫性障害(OCD)
推薦図書の一冊に「手を洗うのが止められない」という本を紹介しました。この本が強迫性障害の解説の本です。「もう汚くないことは分かっているのだけれど、そしてあまり洗うと手が荒れると分かっているのだけれど、それでも手を洗うのが止められない」のです。なんとなく分かりますか?手洗い以外にもたくさんの例が挙げられています。
また「神経症の時代」という本では作家・倉田百三の強迫症状を紹介しています。実は有名人で強迫性障害の実例をたくさん挙げることができます。有名人になると、内面をそのまま行動に出しても許されることもあり、他人にもわかりやすいようです。有名人でない場合には、自分がどのように評価されるか恐れるので、あまりストレートに外に出さないのでしょう。
強迫性障害は、強迫症、強迫神経症などとも言います。なお、強迫は「脅迫」とはまったく関係がありません。もっと日本語として日常的な言葉で表現できないものかと思いますが、今のところは妙案がありません。
どんな場合を強迫性障害と言いますか?
症状の紹介をしましょう。
- 「鍵を確かめるのを止められない」
- 「ガスの元栓を確かめるのを止められない」
- 「偉い人のいる会議の席上で、とんでもない言葉を言ってしまうのではないかという不安を止められない」
- 「頭の中である言葉が何度も鳴り響いて止められない」
- 「車を運転していて信号待ちしているときに、前の車のナンバープレートの数字を加減乗除して1にしないと気がすまない。信号が青になるまでに完成しないとその日は悪い日になるのでどうしても完成しないといけない。」
といったようなことです。もっと微妙な例では、「お医者さんにはどこも悪くないと言われるが、自分はきっと病気だという考えが繰り返し浮かんできて不安になる」などもあります。これだけでは強迫性障害と即断できませんが、微妙にその要素が潜んでいそうですね。
まとめて言うと、自分の考えや行動がばかばかしいと分かっていて、止めたいと思うのだけれども止められない、それが苦しい、これが強迫性障害です。いやだと思っているのですがどうしようもない。しかし「何者かにさせられている」のではありません。嫌々ながら、しかし自分でやっているのです。客観的には心配しなくてもいいことだと自分でも分かっています。これを自我境界と現実把握は保たれているといいます。症状として非常に軽度なものになると、「慎重な性格」と思われる場合もあります。その場合は強迫性性格と呼びます。
背景についての意見
日本には強迫性障害の人はとても多いのですが、それは教育にその背景があるかもしれません。日本の親の子供に対するしつけは、「片付けなさい、整理整頓しなさい、手を洗いなさい、清潔にしなさい、きちんとしなさい、テストの時には間違いがないか確認しなさい」等々、強迫性格を育てる方向の指導が多いのです。しつけとしては、「人に優しくしなさい、ユーモアを忘れないようにしなさい、自己主張をしなさい」など、強迫性性格に関係しないものも多くあるのですが、日本ではこうしたことはいわゆる「しつけ」とは考えられていないかもしれません。とくによい子たちは強迫性の成分をすこし多く持っているようです。日本の親はやや強迫性格の傾向のある子供をいい子だと考える傾向があると思います。
診断
典型的な強迫性障害であるか、あるいは背景に(たとえば)うつ病などの病気がないか、そのあたりの鑑別が大切です。表面にあらわれた症状に対して薬を使ったり精神療法を試みたりしても、それは表面的な対応でしかありません。
治療
薬物療法、行動療法、認知療法などがあります。特に薬は有望です。三環系抗うつ剤アナフラニールを150mgくらいまで増量してみてください。状態によってはレキソタン=セニランを併用します。最近はSSRIも用いますが、アナフラニールほどの特効薬ではないと感じています。ただ、アナフラニールは眠気があり、最初はいやな感じがするかもしれません。SSRIはそれがないので、SSRIで効果があればそれで充分だと思います。
心理的なことになぜ薬が効くのかと考える人もいるでしょう。しかし薬が効くということは事実として確かなことです。この現象は「脳と心」に関して考える材料を提供しています。みなさんは脳と心と魂についてどうお考えですか?
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