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若い頃はまったく思い出さず人にも話さずにいたものが
最近になってしばしば思い出される、そのようなことが私にも起きている
18歳の大学受験の時に宿泊させてくれた親戚の一人暮らしの男性が
試験本番の前日の夜3時に、酔った男性友人を家に連れてきて、あれこれ騒いで、わたしは睡眠を妨げられた
そのことについてあれこれ考えたりしている
そもそも田舎の普通高校で過ごしていた私は
受験本番の時に宿泊はどうするとか食事はどうするとかあまり考えになかった
担任の先生が親切な人で確か郵便関係のホテル、たぶんメルパルクとかそんなホテルを紹介・予約してくれて
使うといいと言ってくれていた
ところがわたしの親戚の人が、親戚の中に受験する大学のあたりに一人暮らしをしている男性がいるので、
泊めてもらえばいいじゃないかと話を決めた
メルパルクの話は辞退した
実際に一人暮らしの人の家に行ってみると
風呂掃除、洗濯、自炊が待っていた
昼はずっと家にいて勉強していた
なぜ全く経験のない自炊などすると考えたのかもよく分からない
いまでも不思議なことだ
水商売の女性から電話がかかってきて、他人のふりをするな、本人だろうと食い下がられたりしたことも記憶にある
体調は思わしくなく
両頬にできものができて炎症性の液体が固まったりしていた
まったく大変なことになったなと思っている中で
受験前日の夜三時に、その男性が男の友人を連れて帰ってきた
お酒を飲んで遅くなったから泊めてやるという話
「あ、明日試験本番だって言ってたっけ」などと言い
連れてこられた友人は、「すまないね、大事な日なのに」と言い
友人はその男性に、「そんな日なのにいいのか?」などと言っていた
私はそれはそれでそんなこともあるだろうという程度の気持ちだった
遠い気持ち
一種の離人感
遠い気持ち
一種の離人感
体調や睡眠がどうであろうとそんなことは関係なく明日は行くのだ
それだけだった
腹を立てるというよりも、不安というよりも、何か遠い気持ちで、
こういうこともあるのかと思っていたと思う
すでにいろんなことが起こっていた人生だったし
結果として合格はできず
予備校に通うことになった
皮膚病は受験が終わって、発表を待っている間に、病院に行って、きれいに治った。
あまりに鮮やかに治って、医学の力に感激したことを覚えている。
6月ころにその男性が故郷に引っ越しをするというので、
荷物運びに手伝ってくれ、という電話があった
男性本人から来たのか、あるいは、親戚が、引っ越しをするそうだから手伝いに行けといったのか、
今はもう思い出せない。
男性は友人と二人で作業をしていて、わたしは部屋からトラックに荷物を運ぶ手伝いだった。
雨が降りそうな天気で
折り畳み傘をショルダーバッグの中に入れて持って行った
作業が終わって、二人でトラックを運転して田舎まで行くというので、私は途中の便利な駅まで乗せてもらうことになった
トラックの中で男性の友人が、浪人しているのかとわたしに聞くのでそうだというと
(私の親戚の)彼などは二浪なんだから気楽にやればいいよと言った
男性は余計なことを言うなと言っていた
聞いてしまったこちらが申し訳ない気まずい空気だった
どこかの駅で降ろされて自分の部屋に帰り、気が付いたら折りたたみ傘がなくなっていた。
バッグの中に入れていたような気がするし
使わなかったようが気がするのだが
傘がなくなったことを日記に書いたことを記憶している
この時点でも、試験前日深夜に酔っぱらいを連れてきて騒いだ行為を責める気持ちはなく
むしろ傘をなくした喪失感が大きかった
田舎から持ってきた傘だった
男性は田舎では浪人の話は内緒のようで
その家族が話しているところでは、もっと勉強したいから、大学に長くいた、ということになっていた
男性の家はどちらかと言えば富裕で「いい人たち」という設定になっていたようだ
私はうっかりその「いい人たち」の中身を知ってしまった
嘘とか嫉妬とか意地悪とか妨害とか、ネガティブな人たちなんだなと認識した
受験前夜に飲み友達を連れてきて受験生を起こして睡眠を妨げることは
今から思うとひどいことだし
「明日は試験本番の日だったね」と言っていたくらいだから、男性は日程を覚えていたのだろう
なぜかそのことは誰にも話さなかった
悪意が明白だったからだろう
話せばその話を持ってきてくれた親戚の人のメンツをつぶすことになるだろうし
話が伝われば男性とその裕福な一家との関係も悪くなるのかもしれない
しかもそんなことをしても合格不合格については何も変わらないのだから
そのことに原因を求めるのもつまらない話だと思った
母子家庭だったし、貧しさはあり、そのほかいろいろな不利な条件はあったのだから
このようなエピソードもさまざまあった中の一つに過ぎない
概していえることは
世間のことについての知恵が足りなかったということだ
人の世の中というものはどのように回っているのか
自分には知恵がなく、そばにいて知恵を授けてくれる人もいなかった
何しろ大学受験をした人は近い親戚には一人もいなかったし
やや遠いその卑劣な男性が大学を卒業している程度だった
場違いなところで身に合わない役を演じているような状況ではなかったかと今は想像する
今自分の孫がそのような立場であったら
さまざまに助言はしてあげられるのだけれども
そのような人が当時の私にいてくれたら
人生の時間はかなり違ってきていたのだろうと思う
しかし私は自分で生きて体得するしかなかった
このような記憶と感情が、長い間抑圧され密閉されてきたと思う
なぜか最近思い出されて
関係者それぞれの気持ちはどうだったのだろうかと思い
ため息が出る気分である
その男性と富裕な一家とはいまは全くやり取りがない
紹介してくれた親戚とも交流はない
わたしの母親が死んだときに参列に来ていたのかどうかもよく分からないが
何かあいさつされた覚えもない
最近になって抑圧が解除されてきたのはわたしが年を取って、脳の抑圧が解除されてきたことと
関係者が年を取ってまたは死亡してそれぞれが関係がなくなってきたからなのだろうか
他人の書いた小説の感想文を書くような感じだろうか
実質的に私の人生に与えたマイナスもいまはプラスに転じてお釣りが来ていると思う
そのような意味で今考えるとすれば
やはり人間の悪意であったのだろうと思うし嫉妬の要素は大きかったのだろうと思う
妨害意図は実現したわけだ
こんな話をすると、そんなあからさまに悪意むき出しのことをするものだろうか
そんなことをしたらその男性のその後の年月がつらいだろうとかの感想もあるだろうが
現実にそのようなことはあったのだし
その後にその男性がどのような気持ちで生きているのか知らない
思い出しもしないものなのではないだろうか
都合の悪いことは忘れるものだ
しかしまた自分自身のその後の人生の全体を考えると損害ばかりではなかった
そのことによって生じた予備校時代の経験が人生に大きなプラスの影響を与えているのだから
不思議なものである
人生はいろいろある
と、ここまで書いてきて、やはりなにも解消されていないことを認識している
ただ時間が経過して当事者の一部は存命せず
事実はあいまいに消え去ろうとしている
なぜそんな時になってこんなにも思い出すのだろう
すでに赦しているから思い出すのだろうか
どうしても許せないから思い出すのだろうか
そして彼はどのように今思っているのだろうか
彼にとっては小さなエピソードなのだろうか
納得がいかないことばかりである
地震や津波が来たというのは神様の決めたことと思うこともできるだろうが
これは彼が自分で計画して実行したことだ
その時どのような気持ちで計画し実行し、
そのあとどのような感想を抱いてその後の人生を生きてきたのか
知りたいものだと思うのである
こんなことをして、親戚中に言いふらされたらどうしようかと思わなかったのだろうか
親戚や特に彼の親に私が抗議するとは思わなかったのか
抗議しても証拠もないのだから封じ込めると思ったのか
そのあたりのこともどうしても納得できない
個人的には
制裁は下されるべきではないかと思っている
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思い出したので追記しておくと
そんな事があったので、その男性にも、その男性の家の人にも直接の感謝(宿泊させてくれてありがとう)は伝えていない
その当時は多分、彼らは私のことを礼儀知らずの人間だと思っていたのだろうと思う
仕方のないことだ
言えるはずがない
しかし当時は、その生々しい感情は感じていなかった。すっかり頭の中から抜け落ちていた。
フロイトの言う抑圧である。
その後、私の母親が死んで、父親はすでに死んでいたので、財産は母親の兄が管理した
そして祖父が死んだときに、財産相続の話になった
私としては、祖父から母親に相続される分については、特に意見はない、祖母とおじ・おばの間で
決めてくれればいい、ただ、母親の財産については、今後は自分たちで管理するから、返してほしいと言った
すると母の兄にあれこれ侮辱された挙げ句、祖母も一緒になって私を攻撃し、
結局の所、はるか昔に残高ゼロとなっている預金通帳を返してきた
私と私の兄弟のために全部使ったそうだ。全く計算が合わない。時期も合わない。
また、別の機会には事業の運転資金に使ったとも言っていた。
それが事実かもしれないが、運転資金はドブに捨てたのだろうか。
残高ゼロの預金通帳を返却するのはどういう神経だろうか
呆れてものが言えなかった
呆れていたときに、その問題の男性の父親から連絡が来て、相続のことで話がしたいと言う。
母の兄が頼み込んだものだろう。仲裁をする?
「愚考と思うがお断りする」と返事した。
頼んだ人間も、頼まれた人間も、全く信用出来ない。
さらに後になってのこと、祖母の死亡に際しての相続では、土地はあらかじめ細かく生前贈与されて、
私の母の兄の配偶者の親戚などの名義が使用されていたとのことだった
私は何も見たこともないし通知の一つも来なかった
法定相続人なのだからサインと印鑑くらい必要だと思うのだが一切の通知はなかった
一切の通知の必要がないように最初から整えたということなのだろう。
祖母名義の財産をゼロにすれば可能なのだろうと思った。
こうして言葉に書くと、夏目漱石の「こころ」で描かれているような話で、珍しくもないことなのであるが、
夏目漱石の書く言葉の一つ一つに重みを感じたものだ。
死んだ親の財産が、子供が幼く、親の兄弟を信用するほかはなかったがために、親の兄弟に略奪されてしまう。
簡単なことだし、よくあることだ。
こんなときに、知恵のある祖父でもいてくれたら世の中にはこういうこともあるから気をつけなさいと
注意を喚起してくれるのだろうが
この場合は祖父とその長男が、そんなことをしているのだから、知恵を授けるどころの話ではない
ここに登場する、男性、男性の家族、母の兄、その関係者、全て、
都合の悪いことは事実を捻じ曲げて大いに宣伝する人たちであるから
私のことなどは悪人と定義されて宣伝されているのだろう
仕事という仕事もなく親の財産を利用して生きている人たちである
そのような下部構造が、こうした悲惨な上部構造を作り出し、嘘、見栄、誹謗中傷、となるのだろう
仕方のないことである
知性とか誠実さとか謙虚さとかそういう上部構造を構成するに足る下部構造が欠落しているのである
今は、黙々と仕事をして、平均的な生活をする人間がいいと思う
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