「感謝しかない」とか「ほぼほぼ」とか
流動しつつある日本語
流動は若い人たちから、そしてテレビで見かけるのはスポーツ選手などのインタビュー
「もっと他の良いものがあればよかったのだけれども、残念ながらAしかない」というような使い方が
しっくり来る
「古くなった卵しかない」
感謝もあり友情も尊敬もあるが、いまは特に感謝を表明したい、という場合に
非常にとかとてもの代わりに「感謝しかない」と言うようだ
とても、はなはだ、というような意味らしい
「とても感謝しています」
どの時代でも「very」の新しい表現を探し続けているようである。
It’s only A. ということらしい。あるいはvery A-ful という感じか。It’s very much A.
日本語だと、憎しみしかないと、いまはただ感謝だけです、との間に論理も感情も違うものがあると思うが
まあ、細かいことだ
こういう場合は、言葉の網の目が、細かくなるのでもなくずれるのでもなく、ぼやける方向だろう
昔は緑色を青と言ったのだが、色を表す言葉が分化して、緑色が独立した
青い山、青い林檎、青のり、
一方、みどり児
文化する方向は時代の変化として認められやすい
反対に、緑色も青と今更言うのは未分化の方向なので
逆方向だろうと思う
「感謝しかない」は逆方向の一例かと思われる
「ら抜き言葉」は気持ち悪いが、論者によれば、表現の分化であって、悪いとも言えないとのことらしい
しかし最近でも、インタビューの字幕には、ら抜き言葉は敬遠されているように思う
吐き気がするということを嗚咽(おえつ)がしたと言う人がいて驚いたが
国語や漢文を勉強しないと、現代の日常の言葉に嗚咽はでてこないので
話している人は漢字をイメージしていないと思う
吐き気がして吐く寸前まで行った、「おえっ」となった、というのを「おえつ」と言っているようである
「吐き気を催してオエッとなること」を嗚咽と言うのは間違い、と説明があるので
間違いを使用している人もある程度多いのだろう
ただ泣くよりも深い感情でむせび泣くときに嗚咽するというのであるが
漢文でしか使わないかもしれない
漱石、鴎外では出てきそうである
漢文で「感謝しかない」という言い方はないので、違和感の源泉は、漢文脈でしっくりこない、経験がないということかもしれない。
普通使わない日本語でも漢文脈でしっくりしていれば問題ないように思う。
いまは英語に翻訳できる簡単な言葉が選ばれるのだろう
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最近の流行り言葉「~しかない」
最近、特に Twitter でよく見かける言葉。
「~しかない」
[例]
・いつも飲みにつきあって愚痴を聞いてくれる友達には感謝しかない。
・いつも応援してくれるみんなには感謝しかない。
使い方としては、『名詞 + しかない』という使い方が新しい。名詞は「感謝」であることが多く、他には「かわいさ」「~の気持ち」などが使われる。
従来からある「~でしかない」という限定の意味とは逆の状況、nothing but の意味で使用する。程度が非常に大きく、ある空間や状態に (名詞) しかないという状況を述べることで、心からそう思っている、あるいは、非常に~である、と述べたいときに使う。
「~でしかない」が「所詮~でしかない」「偽物でしかない」、あるいは従来の「~しかない」が「一ヶ月しかない」「これしかない」と、限定的、またはネガティブな表現になりやすいのに対して、新しい「 (名詞) + しかない」はポジティブさが非常に大きいと言いたい時に使う。
「感謝しかない」は「心から感謝している」「感謝の念が非常に大きい」という意味だ。
流行り言葉は悪くない
流行り言葉が生まれるということは、その言語が使用されている社会で、人々が今まで存在しなかった新しい感情・状況などをより正確に描写するために今までになかった表現が必要だと感じている、ということで、社会の新陳代謝の表れでもある。したがって、流行り言葉があること自体はむしろ喜ばしいことだ。ただ、ある程度以上の世代にとっては、今まで何十年も使って慣れてきた言葉の枠から外れることがあるため、時にそれを「間違っている」と感じることがある。
ポジティブな「しかない」表現の可能性
流行り言葉は流行ってこそ。流行になってほとんど瞬間的に猛烈に使い倒されて、その役割を終えるものが大半だ。翌年には「ああそんなものもあったね」と振り返ることになるのが常だ。社会はゆっくりと変遷していくものであるので、あまりに突飛な表現や、多くの人が受け入れがたいと思う表現は、仮に瞬間的、一時的に流行ったとしてもいずれすたれてしまう。ギャル語や、「~円からお預かりします」などのコンビニ言葉などがそうだ。
ところが、「~しかない」は、もともと一般的に使用されている表現だ。「~でしかない」「~しかない」という否定的な限定を表す表現に、ポジティブさという方向性を新しく付加しただけ「でしかない」。これはなかなか長期生存の可能性が高い。なぜなら文法的に違和感を覚えることもなく、従来からある表現を侵犯することもない。頻用されても気づかない人もいるのではないかと思うほどに、さりげなく一つの新しい表現として存在を保つことができるかもしれない。
最大程度表現と SNS
物事の程度が非常に大きいということを表す表現で、最近頻用されるものとしては、「ヤバイ」と「~過ぎる」がある。「美人過ぎる○○」とか「だれそれのライブ行って来た。ヤバかった!」などと SNS で目にしたことがあるだろう。
「ヤバい」も元々ネガティブ方向の言葉だったのが、最近は単に程度が大きいことを指し、ネガティブでもポジティブでも使える言葉になった。
「ヤバい」にしろ「~過ぎる」にしろ、ある一定以上に程度が大きいということを言う表現なのだが、その程度を正確に測ることはできない。ある意味で無限表現と言える。ところが「~しかない」は当人が扱える限りにおいての最大値に到達していることがわかる。限定的最高表現だ。
SNS を使用していると、投稿を他者に強くアピールしたいという欲求が高まる。結果として、「非常に良かった」が「ヤバい」になり、「モデルみたいな美人」が「美人過ぎる」になり、そして「とても感謝している」が「感謝しかない」になる。アピールの「強さ」が重視され、その表現の具体性は二の次になる。
言葉は私的であると同時に公的なものでもある。話し言葉であれば、その会話の輪の中にいる人だけで通じればことは済むのだが、SNS では、例え私的な言葉の発し方でも、投稿された瞬間にその表記は公的な社会性を帯びる。そして、SNS の特徴のひとつとして瞬間的な投稿を積み重ねていくという指向があるために、私的な言葉が社会的に積み重ねられていく。私的な言葉、私的な表現がより身近で平易であるために、SNS は私的な言葉で埋め尽くされていく。
こうしてより強い程度表現が模索され、視覚的に程度が強い表現や、なにやらよくわからないけど程度が大きい表現、というものが氾濫してきた。
ところが、ポジティブな「~しかない」表現は、この程度表現の過熱傾向に一石を投じるという意味で興味深い。繰り返しになるが、従来からある表現で、従来からある文法を犯すことなく、新しい方向性を付加している。
程度表現の揺り戻しという意味では、「全然」がある。明治大正の頃は「全然 + 形容詞」で使われていたが、特に戦後しばらくは「全然~ない」という完全否定表現だけが正しいとされいていた。そして 21 世紀になって再び「全然 + 形容詞」表現が再興してきた。
「~しかない」表現がポジティブな意味で使い続けられるかどうか、それは人々がなんとなく決めることだ。「感謝しかない」を良くない表現だと思う人が増えれば衰退していくだろうし、「感謝しかない」んだったら非常に感謝しているってことでいいじゃないか、と思う人が多ければ、それは生き残るだろう。
まあその可否が決まるころには次の新しい表現が生まれてきていているだろうけれど。
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