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仮定の質問には答えられないと
国会で何度も、得意げに、繰り返されているが
なぜ人間の言葉の文法には仮定法があるのだろうか
なぜ子供は「もし」と言うのだろうか
子供が仮定の質問をしたときには親は仮定の質問には答えられないというのだろうか
「もし・・・ならば」「・・・の場合は」と考えるからこそ脳が鍛えられる
数学でも背理法では「もし」を使って論証するし
数学的帰納法でも「もし」を使って論証する
人間は仮定の質問にもきちんと答えられるはずである
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個別の案件には答えられないという答弁もある
しかし個別の案件だけが問題である場合もある
また
数学では矛盾を一個でもあげれば証明が終わるものもある
いずれにしても個別の案件についても答えられるはずであるし答えなければならない
プライバシーとか国家機密とかいう場合には
人権と公共の利益の比率を考慮する必要がある
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