科学が進歩して我々が直面しているのは
我々の自然な感情や倫理と
科学の指し示す方向が食い違っている場合に
どのようにして納得するかという問題だと思う
例えば無神論とか無神論的倫理とか
この状況では、正直なところ、伝統的な価値観・倫理観を補強してくれるような科学だけを
受け入れたいと思ってしまうだう。無理もないことだ。
だから、動物行動学などで、人間の伝統的価値観や倫理観を補強してくれるものが大好きなのだと思う
自由意志の問題になると
物理学などの根本的な理論では
もちろん自由意志の居場所などなくなってしまう
それでは不都合だと思う心がどこかにあるのだろうと思う
自然科学の分野だけではなく
心理学とか政治学とか法律学とかいろいろな分野で
旧来の自然な人間感情を肯定しないような研究が積み重なったりすると
そこでまた居心地の悪さを感じる
極端な例ではドストエフスキーが提示したような倫理や宗教の問題がある
おそらく人間の生きている環境条件や制度条件などが変化すれば
人間の感情も変化するものなのだろうから結局はおさまるところにおさまるのだろうが
時差が問題だろう
環境的物理的諸条件が変化するのは早いが
人間の感情が変化するのはとても遅い
個人差もある
そこにいろいろな問題が生じるだろう
諸宗教の考察をすると
その時代の条件が大きく影響していることが分かる
食料生産と貯蔵、産業革命、交通、通信、エネルギー、ネット時代、生命科学、
いろいろな点で諸宗教は影響を受けているのだと思う
また困ったことに文明の進歩は心理操作の点でも進歩をもたらした
文明の進歩に遅れて生じる感情変化という問題と
権力者が感情を操作するという問題とが重なって生じている