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プロ野球の張本は大リーグに比較して日本野球のほうがすぐれている点があるのだと
常々主張している
今回の中日松坂騒ぎはどのように評価しているのだろうか
日本野球を愛するものとしては非常に残念と思うのだけれども
プロ野球は興行だからそれでいいのだと割り切ってはいるのだが
あまりと言えばあまりだと思う
節度がない
緩みきっている
日大アメフト部でのスポーツマンシップの欠如と
中日松坂騒ぎの節度のなさは、すなわちスポーツマンシップの欠如は
表裏一体のものだと感じられる
何事につけお金が第一の世の中だと絶望してはいるが
再度絶望させられる気分である
子供には見せたくない
日大アメフト部の違法殺人タックルを実行した選手が記者会見をして質問も受け付けていた
質問する人間の知能の程度がよくわかった
日本記者クラブなのかな
彼らも緩みきっている
ワイドショーのネタにすぎない様子だ
スポーツと称しての殺人タックルを実行した本人は
監督とコーチからの指示に対して「自分で判断することができなかったという弱さがあった」
という
そして世間は20歳の若者の勇気と称える声もある
しかし、監督とコーチに対してどう感じているか考えているか
という質問に対して
「それは僕の立場からは言えない」と語る
(引用は不正確である)
そこが言えないということは
自分で判断ができなかったし、いまもできないということとつながっているだろう
スポーツとして、教育として、法として、倫理として、それぞれの観点から
答えは明白ではないだろうか
自分の立場からは言えないとすれば
自分の立場を離れて、客観的な観点から語ることはできるはずのものだ
その客観的な立場が「社会」を作るのである
その「社会」が日本に欠けている
私的な利益の総体として社会があるのではなく
私的な利益の総体も部分として含みつつ、公正さとか正義とか法とか倫理とか、より客観的な立場の総合としても
社会は成立しているはずである
弱肉強食の現実に膝を屈するだけではないと考えられるのが人間ではないだろうか
少なくともキリスト教の倫理の一面はそのようなものだと理解している
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