人の気持ちがわかる優しい人が傷つく社会

人の気持ちがわかる優しい人が傷ついてしまう社会は
よくないのではないかと話していた

優しい心がある人は、それゆえ、いじめる側に回ることもできず
傷つけられてしまうという

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優しい心の人同士が集まって社会を作るなら
それが理想的だろうと思う

しかしそのような集団では人を平気で傷つける人に
何かの利益があるから存在するようになってしまう

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また一方、
優しさについて考えると、
優しい心の人はどちらかと言えば傷つきやすい心を持っていて
(つまりvulnerability)
その自分の心を参照して他人の心を推定するので
他人に対して優しくなれるということになる

やさしくない人は
ちょっとのことでは傷つかない心を持っているので、
自分の心を参照して考えた場合に、
この程度は我慢すべきだと判断するかもしれない

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また一方、
他人の心がわからず、人に優しくできず、傷つけてしまう人たちが
生きにくさを感じていないかといえば、そうでもない部分もある

きにくさを感じているのだけれども、それを表現する手段を持たないし、
生きにくさだと気づいてもいないという場合もある

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それもこれも複合していじめという現象になっているので
難しい

それにしても、年々いじめはきつくなっているようだというのが感想であり
その背景にどのような事情があるのか
それも複雑である

心理構造の変化
コミュニケーション手段の変化
家族構造の変化
友人構造の変化
地域社会の崩壊
学校社会の変化、教師の立場の変化

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いずれにしても、いじめが原因で自殺する人もいる状況はなんとか解決しないといけないと思う
それは半分は制度の問題だが
半分は心の問題だしつまりは言葉の問題だろうと思う

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それにしても、こんなにもコミュニケーション不全社会になっているのはどうしてなのだろう

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PCやスマホ、携帯で、人間の脳の代わりをしてもらっているうちに
人間の脳は変質してしまったのだろうか