“あるとき平凡社に「私は50年前に東洋文庫の執筆を依頼された者です」って電話がかかってきたんだって。当然、80過ぎのおじいさん。いや、70代ということもあり得るか。  で、「最初の編集者は引退されて亡くなりました。2人目の編集者も引退されて、その後はそれっきり編集者はついていませんけれど、50年かかって原稿を仕上げました、2000枚です」って言うわけ。  その電話を受けたのはわりと入社間もない人だったんだけど、上の人に相談したら、「会社のプライドにかけて出版する」っていう話になったんだって。細かいところで

“あるとき平凡社に「私は50年前に東洋文庫の執筆を依頼された者です」って電話がかかってきたんだって。当然、80過ぎのおじいさん。いや、70代ということもあり得るか。
 で、「最初の編集者は引退されて亡くなりました。2人目の編集者も引退されて、その後はそれっきり編集者はついていませんけれど、50年かかって原稿を仕上げました、2000枚です」って言うわけ。
 その電話を受けたのはわりと入社間もない人だったんだけど、上の人に相談したら、「会社のプライドにかけて出版する」っていう話になったんだって。細かいところで聞き間違い、記憶違いはあるかもしれないけど、大筋としてそういう話。
 それで僕が何を思ったかっていうと、その電話をしてきた人は50年間同じことを研究して書きつづけてきたわけだけど、そういうことがいちばんの幸せだと思うんだよ。
 世間に忘れられるとか脚光を浴びるとか、そんなこととは関係なく、50年間やりつづけられるものを持っていた。これにかなうものはない。
 いま、そういうことはやりにくくなっているし、そういうことが通じにくい時代なんだけど、生きる幸せって要はそういうことだと思うんだ。”