オープンダイアローグ Assertive Community Treatment;ACT

 相談依頼から24時間以内に、多職種からなる医療チームで駆け付け、患者・家族を囲んだ”開かれた対話”を重ねる。それだけで、急性期の統合失調症を投薬なしで劇的に改善させる”オープンダイアローグ”(以下、OD)(関連記事)の教育講演が、今年6月に日本精神神経学会学術集会で行われた(筑波大学医学医療系・斎藤環氏「オープンダイアローグの作用機序」演題番号:EL19)。日本の精神科医に向けてODが”公式に”紹介された場を満員にしたのは、舶来の新たな治療法への関心だけではないだろう。医療・福祉専門職間や患者・医療者間の平等を実施条件とするODによって、ヒエラルキーの頂点に位置する自らの存在意義について不安に駆られて聴講した精神科医もいたはずだ。各地で勉強会が開催され、大流行の様相を呈すODは全国的に普及するのか。ODの開発者であるフィンランド・ユヴァスキュラ大学心理学部教授のヤーコ・セイックラ氏らの初の書籍『オープンダイアローグ』を3月に翻訳・上梓したACT-K主宰の高木俊介氏(たかぎクリニック院長)に、ODの普及の条件を聞いた。
―包括型地域生活支援(Assertive Community Treatment;ACT)を京都市で行っておられますが、ACTとはなんですか。
 ACTは、統合失調症を中心とした重度の精神障害者で頻回入院や長期入院を余儀なくされていた人たちが、地域社会で生活を続けていけるように生活を援助する取り組みです。精神科医、看護師、精神保健福祉士、作業療法士など医療と福祉の多職種の専門家で構成されるチームが、365日24時間体制で訪問サービスを提供します。精神障害者の脱施設化を実効性のあるものにするため、1970年代に米国で始まりました。日本でも2000年代から各地で行われています。私は、”精神分裂病”から”統合失調症”への病名変更の仕事をやり終えて大学を飛び出した後の2004年から、京都の頭文字”K”に因んで”ACT-K”と名付けて実践しています。
―ACT-Kではどのような支援を行っているのですか。
 統合失調症では脳障害としての精神疾患の症状の部分の他、生活上の困難によるストレスに対する反応が大きな部分を占めると考えて、支援を行っています。精神”疾患”ではなく精神”障害”と捉えているわけです。そのため、患者の家の電球を取り替えたり、滞った電気代の工面を助けたり、急性期精神病状態の孤独感に泊まり込みで付き添ったりする支援が主です。
 生活上の障害を取り除くことで、重症患者として精神病院で管理されていた人が、信じられないほどきちんと生活できるようになります。例えば、悪霊が襲ってくるという妄想を持っていて、自分の大便を往来に投げ付けていた重度の統合失調症患者がいました。その患者と信頼関係をつくり、安心できる話し相手になったケースワーカーが、「霊には大便ではなく、塩が効くよ」と助言して万事解決といった感じです。患者は困難な現実に、妄想で立ち向かっていたのです。入院させたり、薬で鎮静させたり、妄想を消したりする必要はありませんでした。
―それほど有効なACTがなぜ全国的に普及していないのでしょうか。
 2008年に『ACT-Kの挑戦』(批評社)で詳述した通り、急性精神病状態の患者1人当たりの3カ月間の医療費は、入院治療で約150万円、ACTでのケアで約90万円と試算できます。医療費をより安く抑えながら、精神病院での管理よりもはるかに手厚いケアを行うことが今の診療報酬で可能です。それにもかかわらずACTに診療報酬が付かず普及しないのは、理解を示す厚生労働省の担当者が途中で任期を終えて異動してしまうといった事情の他、精神障害に対する偏見のために往診できる医師がいないことにあると考えています。「往診して怖くないですか」などと尋ねてくる医師がいるように、医師自身の心理的問題も壁になっています。彼らは、地域へ飛び出すことよりも病院で患者を待つ方を好むのです。
―ODについては、ODと標準的治療(対照群)を比較したフィンランドの成績があります。それによると、介入後に服薬を要した例は対照群の100%に対しOD群では35%でした。2年間の予後を見たところ、再発なしまたはごく軽微な再発は、OD群で82%、対照群では50%でした。障害者手当を受給していたのは23%(対照群では57%)、再発率は24%(対照群では71%)だったと報告されています(Seikkula J, Olson ME. Fam Process 2003; 42: 403-418)。ODがこれほど良好な治療成績を挙げられるのはなぜだと思いますか。
 お答えする前に申し上げておくと、私は、言葉の上だけで次々と輸入され、一時的流行として忘れ去られていった数々の舶来の思想や治療法と同じ運命をODにたどらせたくありません。ですから、実践者ではなく翻訳者にすぎない私が、ODの権威であるかのように解説することはしません。代わりにACT-Kでの経験から類推できることを言えば、ODの効果は、患者に大きな安心感を与えることによっていると思います。強制入院や強制投薬をさせる意図のない、自分の話を十分に聴こうとしてくれる人たちが、相談の電話を1本入れたら自分の生活の場所に24時間以内に来てミーティングを開いてくれる。状態が改善するまで、同じ医療チームでそれを毎日行ってくれるのですから、患者さんには大きな安心感がもたらされる。それだけのことでしょう。
―安心感だけで、重度の急性精神病状態がなぜ改善するのですか。
 安心感があれば、相手の話を聴けるようになり、医療チームとの対話が成立します。つまり、患者が自分の体験を話して、その内容を聞いてどう思ったかを医療チームが包み隠さず話せるようになります。これは”リフレクティング”と呼ばれるODに特徴的な技法の1つです。集団精神療法の心得のある医師であれば既に行っているたぐいのことですが、ODではそれが自然とできるものになります。リフレクティングで、自分の話が周りの人にどう思われるかを患者は省みて、現実との折り合いを付けられるようになります。一方、医療チームは傾聴を通じて、患者の話が脳の病気で生み出されたものではなく、患者の人生の文脈に位置付けられる、有意味な内容であることに気付き、患者の世界との折り合いを付けられます。皆が折り合いを付け合うことで、互いに離れていたそれぞれの共同体が1つになり現実に着地すると理論的には考えられています。
―ODは、重度の精神障害者の生活を24時間体制で支援するACTとの類似から、それと組み合わせることで日本でも実践可能ではないかとの期待が高まっています。ODを全国的に普及させることは可能だと思いますか。
 無理でしょう。ACTもODも、広く普及させ制度として定着させるためには、精神科医を含む数多くの職種の専門家を巻き込んで、対等な関係をつくりながら協力し合う必要がありますが、精神科医が絡むと平等な関係が壊されるためです。全国的な普及を目指したとき、ODがどこで挫折するかはACT-Kでの経験から見えています。ACT-Kは、10年以上にわたって続けても、120人程度の患者さんを対象に13人のスタッフで小規模に行えているだけです。ACTと同様、ODも、少数の熱心なスタッフの間での実践なら可能かと思います。
―精神科医が入ると、なぜ対等な関係がつくれないのですか。
 今の精神医療では、精神科医の指示の下で他の医療専門職が動くことになっているからです。統合失調症を脳の病変で起こる疾病と見なし、患者は精神病院に収容し症状を薬で鎮静させ、落ち着いたら社会適応のためにリハビリを受けさせ、地域で”管理”する。こうした治療論を持つ精神科医の診療をサポートするため、患者をコントロールする役割しか他の医療専門職には与えられていません。
 この精神病院体制が解体されない限り、患者に治療方針を開示し、専門職間のヒエラルキーのないところで皆が平等に対話するODが成立するはずはありません。逆に言えば、ODを真剣に取り入れて精神病院体制を根底からひっくり返す人がたくさん出てくれば、ODに可能性はあると思います。しかし、精神病院体制に疑問を持つ人は多いものの、実際に自分の現場を飛び出す人はほとんどいませんね。
―今後やりたいことはなんですか。
 『オープンダイアローグ』でも紹介されていますが、私がそこで”未来語りのダイアローグ”と訳したAnticipation Dialoguesを実践したいと思っています。これは、学校でも作業所でも、医療機関に限らず対人支援機関であればどこでも使える対話法です。スタッフ間や当事者との関係がうまくいかないときに、問題が解決した後のポジティブな未来を想定して、その地点から”想起する”形で現在の問題を語り合います。京都で今、福祉関係者や教育関係者と一緒に勉強を始める準備をしています。平等な関係を築きながら熱心に取り組めます。これが広まって、ダイアローグの大切さが広く認知されれば、いつかはODの実践が可能になるような土壌が日本の精神医療にもできるかもしれませんね。