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NHKの番組で、
横尾忠則が母校の小学校でおこなった
絵の授業だ。
通常の授業で、こどもたちは、
「みんなおんなじ」ような絵を描いていた。
ひらべったい構図、
お人形のような人物たち、
空は青、唇は赤、ひまわりは黄色、
といった「お約束」の色づかい。
横尾忠則は、
事前にこどもたちに連絡して、
「自分の好きな絵」を1枚もってこさせていた。
こどもたちは、もっと「漫画」とか、
「キャラクターもの」とか持ってくるかと思ったら、
意外にも、「絵画」っぽいものを持ってきていた。
ピカソを持ってきた小学生もいた。
横尾は、こどもたちに、
まず、持ってきた絵を忠実にうつさせた。
つまり「模写」をさせた。
そのあと、こんどは、何も見ないで、
「記憶」で、同じ絵を描かせた。
記憶力が良いこどもたちは、
もとの絵を見なくても、
すいすいと再現するかとおもいきや、
もとの絵を、あえて改変して描きたい、
という子が、つぎつぎあらわれた。
もとの絵では、2匹だった動物を
3匹に増やしたいとか、
もとの絵とはちがった色で塗りたいとか、
こどもたちは次々主張し、
そのたびに、横尾はそれを快く許可し、
奨励していった。
結果、記憶ちがいではなく、
こどもたちが、記憶していた原典に
意図して改変を加えた絵が
つぎつぎと描きあがった。
クラス全員の絵をならべてみる。
以前の画一的な絵がならんでいたのとは
まったく違う風景がそこにあった。
クラス全員が、ひとりひとり、
まったく違う、オリジナリティあふれる絵を描いていた。
模写だけをクラス全員ならべたものより、
「記憶」で描かれた絵たちは、
もっともっと個性が炸裂していた。
授業がすんだとき、
こどもたちは、絵を描くことも、
横尾忠則も、大好きになっていた。
「解放されたのだ。」
見ていて私は、そう思った。
こどもたちは、身の内にあって、
出したくても出せなかったものを、
横尾の授業によって、見える形で外へ出せた。
その「解き放たれた快感」がえもいわれず、
絵を描くことの歓びを知ってしまった。
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