「頭のいい人」には思いつかない発想

「こういうばかなことを考えるのは、いつも私なの」
 東大大学院総合文化研究科の黒田玲子教授は、英科学誌「ネイチャー」に発表した研究の経緯を、こんなふうに打ち明けた。
 「ばかなこと」というのは、細胞分裂が始まったばかりの巻き貝の受精卵を、微細なガラス棒でつっつくことだった。「院生は乗り気じゃなかったけど、頼みこんでやってもらった」という。
 子供のいたずらのようにも思えるこの実験で、右巻きか左巻きかが遺伝的に決まっている巻き貝を「逆巻き」にさせることに成功した。通常は遺伝子に支配される巻き型を、ガラス棒で変えてしまったのだ。
 正常に育った「逆巻き貝」は自分とは逆の、つまり遺伝的には本来の巻き型の子供を産んだ。実験を思いついた黒田さんにとっても「予想もしない結果だった」という。論文を審査したネイチャー誌の査読者からは「これは面白い」と絶賛されたそうだ。
 その原稿を書きながら、「科学者とあたま」と題する寺田寅彦の随筆を思い出した。最初に読んだのは、小学校高学年か中学生のころだ。「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という逆説的な命題と「頭がいい人には恋ができない」という一節が、印象に残っている。
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 改めて読み返してみると、「普通の人が簡単に分かったつもりになるような日常的な事象の中に疑問を見つけ出すことが、科学者に欠かせない資質だ。その意味で、科学者は普通に頭が悪い人よりも、もっと物わかりが悪くなくてはならない」というような意味のことが書かれている。
 黒田さんの巻き貝実験は「受精卵をガラス棒でついたらどうなるのか」という素朴な好奇心が発端だった。
 研究室の大学院生が「乗り気じゃなかった」ところをみると、「頭のいい人」には思いつかない発想なのかもしれない。
 最先端の研究成果を「わかったつもり」になって記事にするのが、科学記者の仕事だ。普通の意味では「頭がいい」に越したことはない。
 しかし、読者に伝わる記事を書くためには、自分なりに研究の面白さや疑問点を見つけ、脳みそが疲れ果てるような咀嚼(そしゃく)作業を続けることも必要になる。のみ込みが早いことよりも、ある意味で「頭の悪い」ことが、記者にとっても大切な資質なのだと思う。