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公文公氏は、高校の数学教師として教壇に立っていた頃、数学ができないために人生の選択肢を狭めてしまった多くの子供たちを見てきた。「文系の生徒」が、自ら積極的にその道を選んでいるわけではない。数学ができないために、文系に行かざるを得なくなってしまうのだ。一方、「理系の生徒」は理系と文系の両方に進む選択肢を持っている。この自由度の違いは、「数学が分かるかどうか」にかかっている。
また、公文公氏の息子である公文毅氏は、小学6年生の時に、微分の問題を自学自習で解けるようになった。そのため、学校生活が、学校の勉強に追われることなく、余裕を持って過ごすことができたという。要するに、漠然と悩むことが多い思春期に存分に悩み、読書や友人との語らいに時間を費やすことができる。
この2つの事例を経験することで、公文公氏は、自学自習の習慣により、学校のカリキュラムに依存しない自分の学習法を持つ意義を悟った。微分積分のような高度な数学を、自学自習できる力が獲得できれば、世の中のおおよそのことは自分で学べる、と。このために、優れた計算力と読解力を基礎として持っている必要がある。
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