最近注目されるcollective geniusは、「集合天才」と訳される。いかにチームや組織全体で創造性を発揮するかを考える概念である。組織の創造性を上げるために、リーダーは何が必要か。
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ひとりで考える限界、みんなで考える罠
最近、注目しているのは、collective geniusという概念です。日本では「集合天才」と訳されることもありますが、要は「一人の天才に頼るのではなく、組織やチームで新しいアイデアを生み出す」という考え方です。
この考え方では、スティーブ・ジョブスがいなくても、凡人が集まって一つの画期的なコンセプトが生まれる可能性を示唆します。そして、人の持つ創造性を無限に引き出す方法論につながるように思えるのです。
よく創造性のある人・ない人という分類をしますが、そんなに差があるものでしょうか。かりにあったとしても、「人に備わるもの」と定義してしまうと、組織として創造性を生み出すには、創造性のある人を集めるしか方法がなくなってしまうことになります。
知りたいのは、組織として創造性を発揮する方法論です。人が集まることで、創造性のアウトプットを倍数以上に伸ばせる手法はあるのか、です。
1人で考えて発想するのと、人との会話から発想するのでは、どのような違いがあるのか。1人で集中して考えていると、「筋」が見えてきた際に、それが一本つながります。整合性が取れる。ただし、「筋」という単線から抜けられなくなる可能性があり、見えてきた「筋」が悪かった場合、思考が行き詰まってしまいます。
これに対し、人との会話から生まれるアイデアは、「筋」は定まりにくいですが、そのブレから多様なルートの選択肢が得られます。そのプロセスには、無駄な寄り道も多々ありますが、思わぬ発想が生まれることもあります。
翻って、企業の会議などで創造性はどのように生まれるでしょうか。私ごとで恐縮ですが、ハーバード・ビジネス・レビュー編集部は5人で企画会議をします。会議前に5人がそれぞれの企画を用意して、それぞれ発表します。つまり、5つの企画が集まることになります。
その中からベストな案を選ぶのが、レベル1の決定方法とします。この場合、会議はコンテストの場となってしまい、それぞれが自分の企画の良さを主張しようとするあまり、お互いから刺激を得ようという意識が低くなる課題があります。
レベル2は、5つの企画から良いところを組み合わせて、新しいアイデアを生む。この場合、それぞれの良さに目が行くので、5つの企画案をニュートラルに議論できます。ただし、それぞれの企画意図が混じることで、企画の筋がぶれる危険性も孕みます。
レベル3は、5つの企画案から議論していた過程で、第6の企画案が生まれるパターンです。5人が事前に考えて思いもつかなかった企画が、5人が集まることで生まれる。私はこのダイナミズムに出会った際には、感動すら覚えます。新たに生まれた「第6の企画案」は誰が提唱したか、よくわかりません。むしろ、5人全員が自分が提唱したかのような錯覚を持ち、5人が自らの意思で作り上げたかのようなコラボレーションが結実する瞬間です。
こういう会議が10人や20人の場でできたら、企業の創造性は格段に向上するに違いありません。では、会議がレベル1で終わるか、レベル3に到達するか、その違いは何でしょうか。
私の編集部の場合、同じメンバーで会議をしていてもレベル1で終わることもあれば、レベル3に到達することもあります。ということは、メンバーの質は関係ない。カギは議論の場の「空気」のような気がします。
自分の意見を言いやすい空気、人を見るのではなく企画を見るオープンな精神状態、バイアスを排除して課題に集中できる状態。これらが必要なのです。そして、これらをつくるうえでのリーダーの役割は絶大です。
ではリーダーは何をすればいいのか。これが難題ですが、言えることは、リーダーの創造性が問われているのではないということです。メンバーと創造性の高さを競い合うなかから、第6の案は生まれないと思われます。むしろ、メンバーの創造性を発露させる力こそ、リーダーに求められます。
その答えはいまだ見えていませんが、一つは「問いかける」力だと思っています。人は問いかけ方一つで、次に口にする言葉が違ってきます。「好きな食べ物は何?」と聞くより、「おでんのネタで3つ外せないのは?」と問いかけた方が、よりその人らしいオリジナルな言葉が出るし会話も広がるものです。
よい「問い」とは言い換えると相手が「考えてみたくなる問い」です。
リーダーはいかにかっこいいメッセージを発するかではなく、いかにメンバーが考えたくなるような言葉を発するか。これがイノベーティブな組織に求められているのではないでしょうか。