かつてブータンのすぐ隣に「シッキム」という国があったんだけど、
外国人を多数受け入れてたらいつの間にかネパール人が国民の75%を占めるようになって、
民主化運動を進めたい国民側と外国人に乗っ取られたくない国王との間で散々揉めた挙句、
国民投票で王制の廃止とインドへの併合が決議され、結局1975年に国ごと消滅してしまった。
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“日本人のファミリーネームの歴史を略記するとこんな感じ。
1 日本の古代の「うじ」はもともとは部族名であり、大和言葉で漢字は当て字。
蘇我氏も曽我氏も同じ。だから漢字の文字数に意味はない。
2 古代後期は天皇が新しいうじを作るとき中国の姓を意識してか源、平、橘など
1字で表記するものが多かった。でも藤原氏みたいのもあるし、読みは全部
和語だし、中国姓としてはない字。丸ごと中国式人名になった朝鮮人、ベトナム人とは違う。
3 武士は名前を二つ持っていた。古代以来のうじ(+かばね)+本名と
武士としての名前=名字+通名。徳川家康なら源朝臣家康と徳川次郎三郎。
ファイティングネームだw
みょうじ(名字、苗字)は古代以来のうじ(氏、姓=せいとも言った)とは
別物で、助詞の「の」や姓(かばね、「朝臣」とか)が付くのがうじ、
名字の方は領地の地名が元々の由来。
朝廷に向って出す文書はうじ+かばね+本名、幕府に向って出す文書は名字+通名。
戦国から江戸時代には庶民も名字を持つようになったし(江戸時代は庶民は交称は禁止)、
公家もうじと別に家名を持つ様になった。「高貴な名字」はだいたい公家の家名由来。
4 明治になって名前が二つあるのは混乱のもとなので戸籍を作るときに名字+本名に
統一した。今いう「氏名」はこれ。だから今ある「氏(し)」は基本名字。
名前の方は本名そのままの人が多かったが、通名の方を以後本名にしちゃった
人も多かった。大和言葉の仮名4字に漢字2字を当てるのはだいたい本名。
「-郎」とか「-兵衛」とかは通名由来の命名法。
源平藤橘とかの「うじ」と今ある名字は別物というのがポイント。”
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「でも、働く場所がないと、外国人が日本に来ても意味がない。移民1000万ってどんな人が
入ってくるかわかんない。せっかく日本は住みやすい国と言いながら治安が悪くなるかもしれない」
これに尽きてるよな。
日本から製造業がだんだん消えざるをえない状況にあるときに、
単純労働者をたくさんいれて、いったいどうなるんだ? ”
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“会社でよく聞く「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」、その由来は正しい社会人のあり方等じゃなくて、「報告は縦、連絡は横、相談は集団、と3種のコミュニケーションがある」という、風通しのよい組織のための分類だったらしい。いつから変化したんだろう。”
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“美味しいご飯を食べるのと
美味しくご飯を食べるのは違う。”
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“実家に、半引きこもりの長男兄がいる。
毎日ネットにかじりついてて、たまに姿を現しては「チヨン公は~」とか「ビツチは~」とかばかり言ってて
次兄のお嫁さんと甥っ子から嫌われている。
元旦も、皆が実家に集まって正月を楽しんでいるのところに、天の岩戸より降臨。
日本の未来を憂う一席を始めた。
水を差されて、シーンとなる家族。
汚い身なりで、得々と語り続ける兄。
すると一年に2、3度しかしゃべらない98歳の祖母が口を開いた。
「なぁぁにが、日本の未来がじゃあぁ。嫁もぉ取らず子供も作らにゃい、せっせと働いて
お国にお金を収ぁめるわけでもにゃい、子供を、育てる女どもを、養う男どもを馬鹿にして、
お前がぁぁ、今お国を亡ぼしとるんだわぁぁぁなぁ」
長兄、無言で退散。
3が日まで実家にいたが、ついぞもう一度姿を見ることはなかった。”
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