情報源による思考内容の層化現象が拡大している
短くて易しくて誰にでもわかり何も考える必要もない言葉、それも、
ぶつ切れの言葉でシステムになっていない言葉、に接して
日々生きている人達がいる一方で
ある程度の厚みのある書物で、一つのテーマについて、一貫した体系を、
基礎から応用まで学ぶ人達がいる
両者の話が合わないのも当然である
議論にさえならない
片方は反射神経であり感情である
片方は思索であり思想である
昔は思想がお金になったものだが現代では生活費にならない
情報源にどけだけ出費しているかと考えても良いだろう
ネットに漂っている無料の情報源から
素晴らしい思考が発生することは稀であろう
しかしまた、図書館に行けば、無料で体系的知識を学ぶことはできる
ネット世界に生きている人は原理に戻って考えることをしない
考えなくても答えがすでにあり
検索すれば出てくるからだろう
原理に戻るより検索したほうが早い
それもまた一つの方法だろう
考える事の外部委託とも言える
読者は結論だけをもらうのだが
それが嘘なのかどうか
判断することができない
ただ盲目的に信じるしかできない