教育勅語の精神は大事だとの主張を曲げない
稲田、安倍、鴻池、籠池といった人たち。
しかしこの人達は自分が教育勅語の精神を生きるというのではないらしい
他人に教育勅語の精神を大切にさせることが目的のようだ
どうして、教育勅語の精神は大事だと主張し、そのように生きているはずの人たちが
自分は彼らにトカゲのしっぽ切りをされたとわめいたり
盟友をしつこい人だと悪口を言ったりするのだろうか
片方は10年以上会ったことがないと語り(つまりあの人は嘘つきだと語っている)
片方は2年前に会っていると語る(つまりあの人こそ嘘つきだと語っている)
この人達は教育勅語の精神をどう考えているのだろう
こうした進み行きで言えば
教育勅語がでたらめなのか、教育勅語についての彼らの理解がでたらめなのか、
検証する必要があるだろう
四書五経を現代人が思索しながら、血肉化して読むには
相当の知性と時間がかかるだろうと思われる
漢字が読めない大人たちは
教育勅語、更にはその背景にある
四書五経をどのように理解できるのだろうか
興味深い問題ではある
自分たちは軽んじておいて、他人には強要する
これも昔から典型的な態度である