統合失調症の母親を持ち、「きちんとしつけられずに育った」「人との付き合い方がわからない」という幼いころからの家庭環境によって生じた劣等感にさいなまれてきたという精神科医の夏苅郁子先生。2012年に著書『心病む母が遺してくれたもの:精神科医の回復への道のり』1)で、統合失調症患者の家族であることを公表されてから、診療業務に励む一方、積極的に講演活動を行い、ご自身の体験を多くの人々に伝えられています。今回、精神科医としての立場と統合失調症患者の子どもとしての境遇を知る夏苅先生にお話を伺いました。
Q: 精神疾患を有する親を持つお子さんが困ることは何でしょうか。
自分の経験では、「困り感」は子どもの年齢によって大きく変わってきます。ですから、子どものサポートを考えるとき、まずはその子の発達心理を見極めることが大切だと思います。そこで、最初は思春期以前の子どもについてお話しします。
この年代の子どもが一番困るのは、親のだらしなさです。親の幻聴や一緒に暮らすことの恐怖ではなく、掃除が行き届かないとか、毎日食事を作ってもらえないとか、だらしない親に人間らしい生活をさせてもらえないことが最もやっかいなことだと思います。ですから、小学校低学年くらいの子どもに対しては、100回のカウンセリングや励ましの言葉よりも、「温かいお味噌汁」といった適切な食事があり、掃除などの家事援助を受けられるということの方が大事ではないでしょうか。
私の母は私が生まれる前に精神疾患を発症し、私が10歳の頃に再発しました2)。母は掃除や料理、洗濯などの家事をしなくなりました。正月に親戚の家を訪問したとき、きれいに掃除され飾り付けられている部屋を見て、自分の家と全く違うと感じましたが、特に卑屈にはなりませんでした。それは、思春期以前の子どもの発達心理として、自分の家と他人の家を比べることがさほどないためです。それよりも温かいご飯が食べられれば、「よかった」という気持ちにまずなるように思います。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざがありますが、そのとおりです。小ぎれいな診察室で親が病気であることをいくら丁寧に話してもらっても、ひどい状態の家に帰る子どもにとってはあまり意味がありません。それよりも、栄養バランスを考えた食事を提供する子ども食堂や、ボランティアの方が遊んでくれたり宿題をみてくれたりする生活支援の方がよほど重要だと思います。
Q: 思春期になると子どもの心理はどうなるのでしょうか。
思春期になると、親に対する負い目や憎しみ、家族のことを他人に知られたくない気持ちが芽生え始めます。本来、自分を守り育ててくれるはずの親から言葉の暴力を受け、かつその親は自分のために何もしてくれなかったことが大きく心を占めるようになり、葛藤が生まれます。
こうした反応は第二次反抗期とは違います。児童精神科医の立場から言えば、第一次反抗期、第二次反抗期というのは健全な成長の証しなのです。健全に育った思春期の子どもは、親に対して「うざい」とか「消えろ」とか暴言を吐くことがあります。これは、第一次反抗期をきちんと通過し、親がしっかりと面倒を見てくれて心身の安全があってこその、第二次反抗期の暴言なのです。そんな正常な発達なんて踏みつけられるくらい、精神疾患を有する親の状態が予測不可能に悪化することがあります。ですから、私は幼児期に伯母宅に預けられていたときには第一次反抗期はありましたが第二次反抗期はありませんでした。こちらが何も悪いことをしていないのに、暴言を吐かれれば憎しみだっておこりますし、しかも親に何もしてもらっていない。そういうことで通常の思春期とは全く異なる感情が生まれるのです。
Q: 親が精神疾患に罹患していることは子どものせいではないので、子どもが負い目をもつ必要はないと思うのですが。
子どもが負い目を感じるのは当たり前ではないでしょうか。もし自分の身内に他人に紹介できない状態の方がいたら、それでも「恥ずかしいとは思いません」「人に知られて結構です」と思えるでしょうか。私が今、母のことを話せるのは私自身が家庭も持ち、仕事もあり、ある程度の自信を持てたからです。しかし、子どもは自分の人生でまだ何も獲得しておらず、自分を庇護するはずの親が世間に容認されないことをしたら、恥ずかしい、隠したいと思うのは当たり前のことなのです。ですから、その場合は「それは無理もないね」と言うべきだと思います。
ある家族会の話では、会員のご家族の方に対して、がん患者の家族、身体障害者の家族、認知症患者の家族などさまざまな状況の中から自分の家庭に一番似ていると思う家族を聞いたところ、犯罪者の家族という回答が最も多かったといいます。これが現実なのです。
ですから、まず子どもの不安な気持ちを「そうだよね、そう思いたくなるよね」と受けとめてあげて、その上で、「逃げたくなることもあるよね」と言ってあげるといいと思います。なぜなら、子どもも逃げたいと思っているからです。けれども、「自分の親から逃げたいなどと思ってはいけない」という考えも頭にあり、その板挟みに苦しんでいるのです。「逃げたいなら逃げなさい」と言うのではなく、「逃げたいと思うときもあるよね」「それもわかるよ」と、子どもが封じ込めていたドロドロとした気持ちに寄り添ってあげることが非常に大事なのではないでしょうか。
そうではないと、子どもは二度と相談に来なくなるでしょう。あそこの精神科医に話をしたら、「そんなことを思っちゃいけない」「負い目に思わなくていい」と言われた。でも、家に帰ったら負い目だらけの現実に向き合わなければならないのですから。ですから、「共感」ではなく、一緒にマイナスの感情を「共有」することが大きな支援になると思います。
Q: 子どもが大人になっていくにつれて、どのようなことが困るようになるのでしょうか。
子どもがさらに困難に直面するのが、親から自立するときです。その際、自立できない親を世話しなくてはならない子どもには常々「逃げたいこともあるよね」と、気持ちを共有しておいたことが非常に効果を発揮します。自分のやりたいことをやるためには、逃げなければならないこともあるでしょう。実際にこうした家族と一緒にいる子どもはかなりの制限を受けますから、小さいときから気持ちを共有しておくと、子どもが人生の岐路に立ったときに「親を捨てたい」と言いやすくなるのです。
例えば、僻地に暮らすある子どもは、精神疾患を有する親の世話をするため高校は通信制を選択しましたが、卒業後に都市に行くことを決意しました。そこで、親をグループホームに入れる決断をしたのですが、そのときにひと騒動ありました。親は子どもに超依存状態で、これからもずっとそばにいてくれると思っていましたから、裏切られたと感じたようです。親は子どもが離れてしまうと、グループホーム以外の選択肢がありません。最初の数ヵ月は半狂乱になって大変でしたが、保健師や医師がみんなで支えました。
精神疾患を有する親が退院して家に戻ってくるときに、もっとはっきりと「戻ってこないでほしい」と言う子もいました。その子も大変な思いをしていましたので。私は基本的に、そうした子たちには「憎しみを抱えていていいから、自分の人生は自分優先でね」と言うようにしています。一方で、親の面倒を生涯見続けたいという選択をした子にも、「息切れをしたら言ってね」と話しています。
私の母の場合も、結婚して遠くで暮らすことを告げたときは一旦は平静に受け入れてくれたのですが、翌日には激高して大反対し病状が急激に悪化しました。ですから、子どもが親元を離れるときに、親の病状が悪化したらみんなで支える、支えてもらえると安心できる環境に子どもをおいてあげることがサポートではないかと思います。
Q: 統合失調症の親がいることを外部から発見しにくいケースもあると思います。精神科医がそうした家庭環境にある子どもを見つけられるポイントはありますか。
非常に難しい問題です。なぜなら、私たち精神科医が診ることができるのは、来院した人だけですから。ですが、もし子どもが患者さんである親とともに来院した場合、その子に対してまずやるべきことは、よく状況を聞くことです。ただ、精神科医は圧倒的に大人を、しかも精神疾患の患者さんを診ることしか訓練されていないため、子どもが同行していても、大人ではないし病気でもないからと軽く考えてしまいがちです。ポイントとしては、担当の患者さんに子どもがいた場合は、その子どもを呼んで、だらしのない身なりや、すさんだ様子はないか確認することから始めてほしいと思います。
けれども、来院されない患者さんの子どもの場合は本当に難しいと痛感しています。母のことを公表してから、精神疾患を有する親を持つ方から相談の手紙をいただくこともあるのですが、来院されない以上私は何もしてあげられませんし、下手をすると人権侵害になってしまうでしょう。ですから私は、親戚などの周りの大人が奔走して、親である患者さんを病院に連れて行ってくれて、そこで子どものケアにもつなげていくことが一番いいと思っています。
もう一つ、そうした家庭環境にある子どもを見つけられる可能性のある場所は学校です。子どもの様子を最もよく観察しているのは学校の先生や保健の先生ですので、様子がちょっと違うなと察知してくれることが期待できます。何よりも確認していただきたいことは、その子が夜、眠れているかどうかです。高校生ならいざ知らず、小学校低学年なのに学校で居眠りしていたら、おかしいなと感じてほしいと思います。統合失調症の患者さんは夜になると病状が悪化し、一晩中うろつきまわったり大声を発したりするため、子どもは不安や心配で眠れないのです。
また、子どもが持ち物を用意できなくなったら要注意です。その児童がADHDなどの発達障害であればまた別の問題ですが、親である患者さんはだらしなくなりますので、家庭科で使う食材や音楽で使うリコーダーなど、親が購入する必要のあるものがなかなか揃わなくなります。
その場合は、まず疑ってください。そして、その子を個別に呼び出して、「朝ご飯、食べている?」「野菜とか、すぐに買えないかな?」と切り出して状況を調査してほしいと思います。親のことを直接尋ねても、子どもは恥ずかしいと思っていますから答えません。ただ、子どもと話をしていくと、親がそうであるか否かは大体判断がつくのですが、ここから先が難しいのです。私の担任は私の家に家庭訪問をして母に追い返されたのですが、それだけでは何もできません。子どもが何も言わない限り踏み込めないのです。私は、何も言うことができませんでした。自分の親を訴えることは、簡単なことではないからです。
Q: 学校に設置されている不登校の児童の相談室などで、第三者が察知することは可能でしょうか。
実は、不登校の子どもと異なり、精神疾患を有する親を持つ子どもは意外に不登校にはならないことが多いです。むしろ、きちんと登校し授業を受けているのに、必要な持ち物を持ってこられなかったり、寝不足な顔をしていたりするのです。不登校ではない子どもは相談室に行くことはないでしょう。ですから、学校の先生が不登校の場合とは違う目線で聞き取りを行って、おかしいと感じたら、その先は精神科医が校医として加わるといいのではないかと思います。ただ、児童精神科医でしたら学校との連携はある程度ありますが、一般の精神科医の場合はまずないと思います。また、精神科医の校医というのもあまり普及していません。
現在は人権問題や個人情報保護法があって、学校の先生であってもなかなか家庭に踏み込めません。統合失調症の方は他者との交流を恐怖に思うので、拒まれれば打つ手はないのですが、少なくとも学校にいる子どもの話を継続して聞いてあげることはできると思います。そしてその子が惨めな思いをしないように、できれば必要な備品を学校が代理で用意してくれたらいいなと思います。
精神疾患を有する親と生活していく中で生じる身の危険も、普段から子どもの話を親身に聞いていれば、その緊急度がわかります。子どもに「危険になったら教えてね」と言うだけでは、どこまでが危険か子どもにはわかりません。ですから、常に子どもといろいろな話をしてこちらで危険度が高いと感じたら、児童相談所に通報するなど対策を講じることになります。これは親の主治医の方も、気を付けるべきですね。
Q: 精神疾患患者さんの配偶者の方が果たす役割はどのようなものがありますか。
配偶者の方の役割は非常に大きく、重要です。精神科医は、診察室で患者さんのほんの一面しか見ることができません。ですから、配偶者の方がどういう状況で症状が悪化したか、改善したかなどについて行動記録をとってくれると、治療にとても役立ちます。そのためには、病気について理解していただく必要があります。子どもに対し、病気の説明をゼロから100までする必要はありませんが、大人には病気の説明を必ず行っていただきたいと思います。共に生活する配偶者の患者への接し方は、病気の経過を左右します。
Q: 配偶者に対して精神科医はどのような対応をすればいいでしょうか。
配偶者の方への説明の際には、「家族なんだから、あなたがやらないとダメでしょう」という言い方ではなく、子どもに接するときと同様に、「仕事を持ちながら大変でしょうね」「ご負担を減らす、こんな方法もあります」と言って、家事援助や患者さんのショートステイなどのさまざまな支援をまず示すことが大切です。私は、配偶者の方に「あなたを楽にするお手伝いをさせてください」と伝えています。その上で、病気について話をしながら配偶者の理解を育て上げていくのが、私たちの仕事だと思っています。配偶者は、離婚すれば赤の他人になれる選択肢があります。そうした選択肢もある中で、家族として患者と共に人生を歩んでおられることに、敬意を表すべきだと思います。
Q: 配偶者の方の親御さんや、患者さんの親御さんへの働きかけをされることはありますか?
もちろんあります。ほとんどのケースでは、結局、配偶者の方だけでは担えないので、親戚縁者全員でお世話をするという感じになります。日本では公的支援が少ないので、例えば、週末は子どもを祖父母の家に預けるとか、今日は親戚の誰それに家に来て掃除をしてもらうとか、協力してもらえる人にはお願いしたらいいと思います。日本人は汚い家に他人を入れたくないと考える風潮があるので、家事援助の導入も難しいんですよね。「今日はヘルパーさんが来るから掃除しておかないと」となるので、できれば親戚が助けてくれるといいのです。
私は精神疾患を有する親を持つ子どもたちを何人も見ていますが、非常に健康な子どもたちもいます。それはなぜか。親戚の中に極めて明るくて、健康で、楽天的な人がいて、週1回でも子どもたちの世話をしてくれるから。そういう明るく健康な人たちと関わりがあると、子どもは健康に育っていけるのです。
Q: 先生はお母様に対する憎しみが尊敬に変わったとお話しされていますが、そのようにお気持ちが変化するきっかけはいつごろ、どのようにして起こったのでしょうか。
母への嫌悪が尊敬に変わった3)のは、母のことを公表したことがきっかけです。初めは、こんなドロドロした話は嫌がられると思っていましたが、みんなが私の話を最後まで聞いてくれて、聞いてよかったと評価してくれたのです。それが大きかったと思います。母の人生に意味があることを、私は他者から教えてもらいました。
私が公表しようと思った背景には、絶縁していた母に会うために北海道に同行してくれた「花街の人」1)という女性の存在が大きいです。後にお金を請求してきたこともありましたが、もし彼女がいなかったら、私は母とは会うことができないまま非常にかたくなな、人に心を開かない人間でいたでしょうね。彼女は私が孤独であることを見抜いてくれて、自分の家に泊まらせてくれて、お茶碗の洗い方から教えてくれたのです。これって究極の生活支援ですよね。彼女のおかげで、私は自分がまともになってきたという感じがしました。人間って、まともにならないと次のステージに行けないでしょう。小児期、青年期の発達段階の積み残しを、彼女がそばにいて私に経験させてくれたのです。それがあって、中村ユキさんの本4)を読んで公表に至ったのです。
「花街の人」は精神医学の専門家ではありません。お料理を教えてくれて、「落ち込んだらおいしいご飯を食べるのよ」と言ってくれた。確かにそうです。母が突然亡くなったときも、私は彼女の言いつけを守ってしっかり食べましたので、お葬式も倒れずにきちんと出すことができました。精神科医もそれは見習わないといけないなと思いました。診察室の生活感のないやり取りだけではなくて、そうした生活の工夫も患者さんに伝えてあげるべきかなと思いました。
Q: 精神科医として日々感じていることをお聞かせください。
精神科は日常生活と非常に密着しているはずなのに、精神科医はある意味、日常生活がわかっていないことが多いのではないかと感じます。例えば、患者さんは来院するときは緊張していますので、普段は全く風呂に入らないのに診察の前日に入ってきたりします。しかし、精神科医はそれだけを見て、「あ、いいですね」で終わってしまうことも多いのではないでしょうか。病気だけを診て、生活も病気の観察のうちだということがあまり頭に入っていないような気がします。
ですから、本当は患者さんを直接訪問する人たちともっと連携すべきなんでしょうね。私も保健師さんに患者の様子を見に行っていただいたら、暖房どころかコンロ一つない部屋で座っていたと報告を受け、びっくりしたことがあります。
そういった日常生活の問題を聞き出せない理由は、患者さんがそれを話したがらないのもありますが、いわゆる「5分診療」であることも大きいと思います。けれども、その5分間の中に1分でいいので、生活のことに懸念を持ってほしいと思います。当診療所も訪問看護はとても手が回らないのでできませんが、医師会の地域生活支援センターや保健師さんに頼んで見に行ってもらうことはできるかなと思っています。やはり「衣食足りて礼節を知る」ですから。家族会の人たちはそのことをよく理解していて、配食サービス等を行っていますので、精神科医も家族会の活動を知ってほしいと思います。インスタント食品ばかり食べていたら、身体どころか心も健康にはなりません。でも、診察室では野菜を食べるという処方箋はないのです。どんなにすばらしい薬を処方しても、野菜の入ったおいしいおかずの方が、時に有効なことがあるんですよね。
母のことを公表して以来、遠方の患者さんやそのご家族から私に診てほしいというご連絡を時々いただくことがありますが、来院されるのも大変ですし、1回の診察で済むことではないので、これを治療につなげていくのは難しいと感じます。患者さんの回復は患者さんがお住まいの地域の力にかかっているのではないでしょうか。こうしたことを考えると、私たち精神科医は、医学知識のみならず、生活や地域についても知るべきだと思います。参考文献1) 夏苅郁子著、『心病む母が遺してくれたもの:精神科医の回復への道のり』、日本評論社、20122) 夏苅郁子著、『もうひとつの「心病む母が遺してくれたもの」:家族の再生の物語』、日本評論社、20143) 中日新聞、『統合失調症の母との歩み 児童精神科医が本出版』、2012年8月15日. http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120815152049067[Accessed October 18, 2016]4) 中村ユキ著、『わが家の母はビョーキです』、サンマーク出版、2008
2017-03-08 17:50