上に行くほど寝返る法則
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安倍首相が真珠湾訪問をして「和解」という言葉を使ったと話題になっている。
和解というのは両方が程々に悪くて、一方的な謝罪とその受け入れという問題ではない場合に、使われる
日米の戦争の経緯としては、真珠湾奇襲攻撃があったので、
それをアメリカ側は卑怯な奇襲攻撃と言い、やむを得ず突入した戦争としているのであるが、
その前にハル・ノートがあったことを考えると、
そのように追い詰めて、局面を形成したのはアメリカ側ではないかということになるので、
日本側から言えば、「和解」はおかしい。
さらに、不必要な原爆二発の投下など、それも「和解」の言葉は当たらない。
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そのような全体を「和解」と総括してしまうことは、端的に軍国・愛国・アメリカの立場であって、
米国ナショナリズムが圧力をかけている宣伝工作である。
それに無自覚に乗ってしまい、
自らを植民地奴隷に改造し洗脳する、自滅行為そのものを行っているのはなぜなのだろうと、
疑念が呈されている。
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しかしこのような光景はいつも繰り返されてきた。
日本の指導者としてアメリカに招かれて歓待されれば
気分が良くなり、米国に代わって、愚かな日本国民を教導しようと考えるものなのである
その時点で、その選ばれた人物は、日本人ではなく、名誉アメリカ人である
階段を一歩登ったのである
わざわざアメリカのシンクタンクを訪問して余計なことを言った人もいた
そのシンクタンクで洗脳された政治家もジャーナリストもたくさんいる
何故か彼らは確実に指導層になるのである
同じ構造は、知事職についても言える
沖縄県知事は、基地反対と公約して、当選した後には、基地賛成に回る
鹿児島県知事は原発反対で当選して、当選した後には、
知事には原発阻止の権限はないのだ言い張っている
知事となり、「偉くなって」、日本国政府の中枢と話し合うようになると、
田舎の市民のことなど、知ったことではないのであろう
むしろ、愚かな市民を教導しようとするのであろう
権力者からすれば
あらかじめ自分たちと主張を同じくする者を立候補させて
市民の審判を仰ぐことはロスが大きい
どんな主張のものであっても、当選した後に、
いい気分にさせて、
一段階段を登らせて、権力側の思想を言わせれば確実である
過半数の市民を洗脳するよりは
選ばれた少数を洗脳するほうが簡単であり
ロスが少ない
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同じ誤りを何度でも繰り返すのが
知恵の足りない実験動物である