福祉の問題

為政者が税金を徴収する理由として
福祉があげられる

空前に不幸や不運に出会った人も、
1.衣食住が確保できる、つまり生存できる
2.奴隷的な労働をしなくても良い、教育が確保できるなど、つまり人間らしい暮らしが確保できる
3.生きがいが確保できる
などのそれぞれのレベルで共同体の助け合いとして、
キリスト教ならば隣人愛であるし、
仏教でも、その他いろいろな宗教でも、根本的には、
不幸な運命に出会った人に対して、
共同体として助け合うという気持ちがある
現状では2.の近辺を浮動しているようである

共同体が小さいうちは、具体的に、
誰が誰に助けられたか、
誰が誰に感謝すべきか、それが見えている
共同体が大きくなると、匿名者のお金を匿名者がもらうようになる
人間の倫理感情は現状では発達不十分であって、
匿名の出資者も匿名の受益者も、いいことをしたという感情や、ありがたいという感情が
薄いことは確かである

抽象的に、貧困者とか、失業者とか、孤児、障害者といわれるのであるが
どのようにしてそれらの人々に隣人愛を抱けるだろうか

そもそも税金は福祉用途に使われるべきものなのだろうかという議論もあり、
アメリカのある地域では、
自分たちの支払った税金が貧困者の救済に当てられることは賛成できないとして、
救済される必要がない富裕層だけが集まって
税金の使いみちも監視しているというコミュニティがある

チャリティはする、寄付行為もする、ボランティアもする、
しかしそれが国家の仕事かと言えば、そうではないと考えるのである

日本の報道など、マスコミは、常に、国と市民という視点で作っているので、
市民に不都合があれば、「国にきちんとしてほしい」というメッセージで締めくくり、
そうすれば、役所は権益が増えて望ましいわけである

自分たちで自覚を高めて、物事を決めて、やっていきますという自治の思想は
まったく出てこない

それもそのはずで、自治会でものを決めようとして、うまくいった話はあまり聞かない
各人の性格の問題点というか、未熟な部分が露呈して、
憎しみ合い、物事は決まらないまま、という場合も多いようである
その結果として、「国がきちんと決めてほしい」となる場合もあるようである

理想状態からは二重に遠いのが現実である

ーーーーー
たとえば地方自治の問題としてゴミの問題は大きいと思う
最近では個人情報の問題などがあり、
ゴミ出しにも注意しなければならないのであるが、
共同ゴミ捨て場だとやはりいろいろと問題があることがある

そこで、注意深い人は、シュレッダーなどでは足りず、
自分の地域の共同捨て場を使用しないこともあるようだ

たとえば、共同ゴミ捨て場の見張りをしている人がいて、
分別が不十分だとか警告する場合もあるようだが
それは簡単に言って、ゴミの中身を見ているということになるのであるから
そのようなゴミ捨て場を利用したくないという意見である

もちろん、共同ゴミ捨て場というものは、ある程度貧困地域の話であって、
富裕地域では、自分の家の玄関にゴミ箱を出しておけば、ゴミ収集車が
一軒一軒を回って、収集してくれる
そのような富裕地域に住めば、個人情報問題は消えてしまう

また、ゴミの分別にしても、資源にして再利用できるものは再利用すればいいと思うが
実態として、結局償却するものもあるようで
性能の悪い、古い焼却炉を使っている自治体では、ゴミの細かい分別が必要で
性能の良い、新しい焼却炉を使っている自治体では、ゴミの分別は簡単になるようだ
何度か引っ越しをするとそのへんの事情が分かるようになるらしい