“聖書学や言語学を学んで得したことはなんもないが、世界観は変わった。そしてその変化を、それを学ばない人に伝えることもできないもんだなとも、ゆっくり理解した。”

“聖書学や言語学を学んで得したことはなんもないが、世界観は変わった。そしてその変化を、それを学ばない人に伝えることもできないもんだなとも、ゆっくり理解した。”

学びは世界観を変える
これが重要

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たとえば心理学でよく使う、見方によって違うものに見える図形などがわかり易い例であるが
対象は同じでも、見方によって、違う世界が見えるという考えは重要である

たとえば性についてもそうであって、
子供として完成し、その後大人として性的に成熟するまで、
性器、それだけではなく、身体、ひいては精神についても、性的な使用法は精密には知らない

非・性的意味での性器、身体、精神の意義はたしかにあり、
それはそれで一つの完結した世界を形成している
だから、子供はひとつの完成品なのである

しかしその後性的に成熟して、もう一つの世界観を知り、もう一つの完成を知る
その点で人間の身体も精神も「2階建て」になっている

性器と身体と精神の、つまり、生命と人生の、別の使用法を知るのである

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非・性的人生観の一つの形はカトリック的人生観にある

カトリックが抑圧した部分が性的エネルギーであり
抑圧したから燃えたぎるのか
燃えたぎっていたから抑圧したのかよく分からない
いずれにしても、現状で、抑圧すればするほど、燃え上がる

抑圧がないと燃えない

したがって、カトリック的世界観は、結局、性的世界観を燃え上がらせていると思われるのである

神父は結婚しないのであるが
そして修道女は結婚しないのであるが
エロスの極地を生きているとしばしば指摘されるのである