実は、重要なのは、議論ではなく、担当局が発表する「局見解」なんです。各問題群検討の最後には、民事局(この小説では、民事・行政局共催の協議会なので、行政局も)の課長たちが、すでに書面にまとめられている局議の結果を、「局見解」として述べます。この見解は、本来、当日の議論を踏まえたものであるべきですが、草案となる原稿はすでに出来上がっており、当日の議論については申し訳程度にふれるだけです。
つまり、最高裁事務総局は、そもそも協議会参加裁判官たちの議論など最初から重視していないのです。事務総局関係者は「局見解」を述べるために出席し、裁判官たちの大多数も「局見解」を聞くために参加しているにすぎません。
だから、多くの出席者は、各庁の意見は聞き流していても、局見解だけは必死でメモします。そこで鉛筆やシャープペンシルが一斉に動き始める様は、スターリン時代のソ連の会議もかくやと思わせる異様な光景です。一度見たら決して忘れられません。
協議会終了後に、その結果を、関係局、事務総局が、いわゆる「執務資料」というものにまとめます。事務総局の執務資料は味も素っ気もない白い表紙のものと決まっているので、裁判官たちは、これを「白表紙(しらびょうし)」と呼んでいます。そこに掲載された「局見解」は、全国の裁判官たちに絶大な影響を与えます。
実際、水害訴訟や原発訴訟など、協議会が開かれた訴訟類型の判決では、「白表紙」中の局見解と趣旨を同じくする判決があるのはもちろん、中には、表現までそっくりの「丸写し判決」まで存在しました。