安倍氏と麻生氏は個人の病理ではなく、時代の病理なのだと思う

国会で
野党の質問は別段いつもと変わりないと思うのだが
安倍総理はいちいち感情を荒げて、
あまり上等とはいえない言葉と表情で応答している

国民の失望はいかばかりだろうか
これが日本の最高権力者の姿なのか

過去の宰相、たとえば宮沢氏と比較してどうだろうか

年齢や地位や役割、また教養や資産や経験が、おのずと態度や風格を形成するものであるが
年齢、地位、資産、家柄、家系の人脈など非常に恵まれているにも関わらず
テレビで国会中継が流されていると知りつつ
あのように余裕のない、教養のない、経験のない態度を見せるのはなぜなのだろうか

どんな会社でも社長というものはそれなりに社長らしくなるはずのものである
隣りに座っている麻生氏もまたそのようである
総理経験者というものがどのような深みのある人格を形成するものか
我々は知っているから、尊敬もしていたのである

マッカーサーは、文脈を少し無視してしまうが、日本人は12歳の少年と語ったのであるが
まさに安倍氏、麻生氏については、正確な分析である

ーーー
しかしこれは自民党や政治家や官僚や大企業職員に広く言えることのようである
成熟を拒否して
子供言葉で考えを語り
12歳の感情レベルで世界を解釈し
昔を学ばず
脊髄反射のようなものを思考と考えて恥じない
みんながそうなっている中で、特に典型的な例がこの二人である
もっと言えば、稲田氏も、高市氏も、世耕氏も、荻生田氏も、下村氏も、菅氏も、加藤氏、百田氏、
そのような種族であって、
選挙にはそのような人たちが有利であるような事情があるのかもしれない

官僚や大企業幹部は若い頃の選考試験のときは優秀だったのだろう
しかしそれを過ぎると、別の方向に人格を発達させるのだろう
というよりも、ある方面への人格の発達を停止させるのだろう

そして停止させる理由があり、
その理由は、彼らだけではなく、一般国民に共有される事情になっているようだ

これ以上詳しくはかかないが
安倍氏と麻生氏は個人の病理ではなく、時代の病理なのだと思う

この状況と日本の1930年とどう違うのか、どう似ているのか、それが問題である