"
人間は、他人の心情を推定するとき、自分の心を参照する。
参照するものはそれしかないからだ。
しかし、自分の心の構造が、大多数の他人たちと一致しない場合、
自分の心を参照して推定しても、失敗に終わるのである。
このような場合の苦しみを逃れる場所として、
感情のルールが明白な場所を見つければ良い
悩むことなく、集団と一致した感情が味わえる
たとえば、スポーツ観戦。大声で叫び、体で表現する。
しかし声も運動も予め非常に単純にプログラムされたものであるから
タイミングに困ることもないし、自分の心を参照するまでもないのである
そのような単純さの中で、集団との一体感を味わうことができるのは
楽しいことなのだろう
"
"
プロのスポーツ解説者が育たないのも不思議である。
有名選手の引退後の指定席になっている。
これぞ天下りの実例である。
それは、スポーツ観戦の単純さを維持した方がいいからだろう。
因果関係の分析ではなく、
ここで嬉しがる、ここで悔しがる、ここで大声、ここで跳ねる、
その理由だけがわかればいいので、
今日は本当に大事な一戦、
負けられない大事な試合、
流れを渡したらいけない、
最後まで諦めない、
明日につながる試合、
などのフレーズで、思考を停止させ、感情を同調させる。
"