理系の学問が「道具」だとすれば、文系とは道具を持たない人たち。確かにそんな感じはする。理系が文系に見出す価値というのは、いわば先進国の人間が未開の国のプリミティブな文化に見出す価値と同じようなものだろう。
未開ゆえに先進国の人々が忘れてしまった発想、閉鎖的な社会に発達した独特の文化、そういうものを、理系は文系に見出し、再発見し、思考の糧としている。SFが未来を予言するとかのように。
確かに道具に頼り切ると活力が失われる。文系が理系に感じるある種のひ弱さ、理系が文系に感じる力強さというのは、先進国と未開の国に対比することができる。未発達だなと思いつつもどこか魅了される文化。
とはいえいざ生存競争となればやはり圧倒的に近代文明を持つ先進国が強い。かつて大航海時代、ヨーロッパが他の国を植民地化していった。インターネット時代は新たな大航海時代なのかもしれない。それは理系が文系を従属させていく時代。近代兵器をもつ理系に文系はどうやっても勝てない。
繰り返しになるけれど文系というのは理系のサブセット。文系的思考は理系的思考に含まれる。先進国の文明が基本的には未開の文明を包含しているように。むろんだからといって未開の文明に価値がないというわけではないのは上述の通り。
現代の世界が先進国を中心に動いているように、これからの時代は理系を中心に動くようになっていくだろう。むろん現代の世界が平穏ではなく常に紛争に満ちているように、理系と文系の紛争もこれからも続いていくだろうけれど。しかし大きな流れとしては先進国が勝利していく流れが変わらないように、理系が勝利していく流れは変わらないだろう。
これまでメディアや統治機構は文系に抑えられていた。理系もそれが当然と考えていて特に不満を感じることがなかった。それはあたかもフランス革命以前は、庶民は貴族に支配されるのが当然と考えていたようなもの。
フランス革命が起きたのは文明の発達のため。それまで庶民が団結し武力を行使するなど考えられなかった。そしていまやインターネット時代。メディアによる情報の独占は崩れ、庶民が世論形成に影響力をもつようになった。となればそこで有効な武器、理系的な思考という道具、を持ってる人間が強いはず。
革命は起きる…。